クライン(英語表記)Klein, Lawrence R.

デジタル大辞泉 「クライン」の意味・読み・例文・類語

クライン(Felix Klein)

[1849~1925]ドイツの数学者。幾何学・代数学および数学の歴史的考察、数学教育などにすぐれた功績がある。著「エルランゲンの目録」など。

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精選版 日本国語大辞典 「クライン」の意味・読み・例文・類語

クライン

(Felix Klein フェリクス━) ドイツの数学者。「エルランゲン目録」で変換群の種類によって幾何学を分類し、のちの幾何学研究に指標を与える。関数論をはじめ、数学の各分野に多くの業績を残した。(一八四九‐一九二五

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クライン」の意味・わかりやすい解説

クライン
Klein, Lawrence R.

[生]1920.9.14. ネブラスカ,オマハ
[没]2013.10.20. ペンシルバニア,グラッドウィン
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Lawrence Robert Klein。1942年カリフォルニア大学バークリー校を卒業後,マサチューセッツ工科大学でポール・サミュエルソンのもとに学び,1944年博士号を取得。シカゴ大学,全米経済研究所を経てミシガン大学オックスフォード大学統計研究所に勤めた。1958年にペンシルバニア大学ウォートン校に移り,1968~91年ベンジャミン・フランクリン記念金融・経済学教授を務め,のちに名誉教授となる。マクロ経済モデルの創始者の一人で,第2次世界大戦終結時,多くの経済学者が終戦によっていっそうの景気後退が始まると予想するなか,戦時中に抑制されていた需要と帰還兵の購買力が景気を支えると正しく予測した。1980年,景気変動や経済政策を分析する経済予測モデル,クライン・モデルを考案し,その手法を開発した功績により,ノーベル経済学賞を受賞した。クライン・モデルを改良したウォートン計量経済予測モデルは,国・地域の国内総生産 GDP,輸出,投資,消費などの変動予測に広く用いられている(→マクロ・モデル)。さらに,先進国,計画経済諸国,途上国の膨大なデータを収集した「リンク・プロジェクト」は,国際貿易や資本移動を予測し,経済政策の効果を事前にはかろうとした。"Economic Fluctuations in the United States, 1921-1941"(1950),『計量経済学』A Textbook of Econometrics(1953),アーサー・S.ゴールドバーガーとの共著 "An Econometric Model of the United States, 1929-1952"(1955)など著書多数。

クライン
Klein, (Christian) Felix

[生]1849.11.25. ジュッセルドルフ
[没]1925.6.22. ゲッティンゲン
ドイツの数学者。ボン,ゲッティンゲン,ベルリンで学び,その後,エルランゲン大学の数学教授 (1872~75) ,ミュンヘン工科大学教授 (75~80) ,ライプチヒ大学教授 (80~86) ,ゲッティンゲン大学教授 (86~1913) を歴任。数学の諸分野に大きく貢献したが,特に,エルランゲン大学教授就任講演はのちに『エルランゲン目録』と呼ばれ,画期的な内容で,その後の幾何学の発展に大きな影響を与えた。数学史や数学教育にも強い関心をもち,行政面にも手腕があった。 1872年から専門誌"Mathematische Annalen"の監修者であり,数学百科全書の編集協力者でもあった。主著『正二十面体講義』 (1884) ,『保形関数論講義』 (2巻,97,1902) 。

クライン
Klein, Yves

[生]1928.4.28. ニース
[没]1962.6.6. パリ
フランスの美術家。ニースの国立東洋語学校を卒業後,一時ジャズ音楽家となったがのち美術家を志す。両親も画家。 1958年より青一色の絵画を始め,彼は「単色の画面は色彩の非物質化を意図したものだ」と述べている。同年パリで画廊の内部を白一色に塗っただけの「からっぽ」と題する個展を開いて話題となる。 60年,女性のからだに青い絵具を塗ってカンバス上にプリントさせる『人体測量』を発表。その後,炎で画面を焼いた作品をはじめ,火の噴水の計画などを発表。フランスのヌーボー・レアリスムの一人とされていたが,現実よりもむしろ形而上の世界への関心で一貫していた。 1952~53年滞日し,講道館柔道の有段者でもあった。

クライン
Kline, Franz

[生]1910.5.23. ペンシルバニア,ウィルクスバレ
[没]1962.5.13. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の画家。フルネーム Franz Rowe Kline。白と黒の,カリグラフィーを彷彿させる絵画で知られる。ジャクソン・ポロック,ロバート・マザーウェルらと同世代で,1950年代のアメリカ抽象表現主義の画家の一人。1931~35年ボストン大学で絵画を学び,1950年最初の個展を開いた。1950年代末の一時期は色彩を用いた作品がある。

クライン
Klein,William

[生]1926.4.19. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2022.9.10. フランス,パリ
アメリカの写真家。ニューヨーク市立大学で社会学を学ぶ。 1945年から3年間ヨーロッパで兵役をつとめたあと,ソルボンヌ大学で文学を専攻。絵画に興味をいだきレジェに学んだ。 53年まで画家として活躍。次いで写真に関心を移し,54年からファッション写真を始めた。 56年『ニューヨーク』を刊行,以後『ローマ』,『モスクワ』,『東京』と都市をテーマにした作品集を出版した。 58年から映画に専念し,20本以上の映画を制作。 80年再び写真家として復帰した。

クライン
Klein, Melanie

[生]1882.3.30. ウィーン
[没]1960.9.24. ロンドン
オーストリアの女性精神分析家。児童の精神分析療法で業績を上げ,理論面でもクライン学派といわれるものを打立てた。これは精神分析の理論をそのまま児童にも適用できるというもので,修正を要するという A.フロイトと対立した。医師にはなれず,終生無学位のままであったが,1919年ブダペストの精神分析学会の会員に選ばれ,25年には招かれてロンドンに移り,イギリス精神分析学会に所属して活躍した。

クライン
Klein, Calvin

[生]1942.11.19. ニューヨーク
アメリカの服飾デザイナー。ニューヨーク州立ファッション工科大学卒業。 1962年にニューヨークのスーツとコートの既製服メーカーに入り,68年友人とともに独立。シンプルで控えめ,クラシックなデザインを特徴とする。最初はスーツとコートが注目されたが,78年からはメンズウエアにも進出。次第にスポーツウエアやジーンズのデザインも手がけ,デザイナーズ・ジーンズの先駆者とも言われる。 73年から 75年にかけて3年連続コティ賞受賞。

クライン
cline

トポクライン topocline,エコクライン ecoclineの総称。生物の分類学的な形質を考えるときの概念。画然とした不連続的な形質はないが,幅広い変異が存在し,しかし同じ群としてまとめて考えられる場合に,その形質の差が,地理的分布に従ってある傾斜をもっていればトポクラインといい,生態的条件の変化に従って傾斜しているときはエコクラインという。 J.ハクスリーの提唱 (1939) に基づく。

クライン
Klein, Georg Michael

[生]1776
[没]1820
ドイツの哲学者。シェリング哲学の後継者。ウュルツブルク大学教授。主著"Darstellung der philosophischen Religions-und Sittenlehre" (1818) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「クライン」の意味・わかりやすい解説

クライン
Melanie Klein
生没年:1882-1960

A.フロイトと並ぶ児童分析の創始者。ウィーンに生まれたが,結婚後ブダペストに移り,そこで精神分析に興味を抱き,フェレンツィの教育分析を受けた。ついでベルリンでK.アブラハムの指導を受け,強い影響を与えられた。1925年ロンドンに移住し,児童分析の臨床を通して独自の理論を発展させて,いわゆるクライン学派を生むに至った。彼女は乳児の抱く活発な無意識的幻想に注目し,最初の対象である母(と乳房)に対する無意識的幻想が,人格発達過程で重要な役割を果たすことを明らかにした。そして外界の客観的対象とは別に,投影,取入れなどの機制によって心の内部に形成される内的対象が,無意識的幻想を生む上で重要な働きをするとした。また精神発達上,妄想的・分裂的態勢,抑うつ的態勢を区分し,対象についての自我の体験様式に基づく発達論を樹立した。妄想的・分裂的態勢とは,乳児が口愛羨望による攻撃性を母に投影する結果,母によって迫害されるという被害的不安を抱き,これを分裂を中心として防衛しようとする心的傾向を意味する。ここではまだ対象を全体的存在としてとらえることはできないが,対象の良い面悪い面の統合が可能になると,悪い対象とみなしていたものが実は同一対象の一面であったことがわかって,乳児は罪悪感を抱いて抑うつ状態に陥るという。クラインは,S.フロイトが4~5歳のエディプス期を重視したのに対し,とくに乳児期の母子関係を重視し,各態勢で働く分裂,投影的同一視などの原始的防衛機制を解明して,境界例や統合失調症の精神力動の理解に貢献した。
執筆者:

クライン
Yves Klein
生没年:1928-62

フランスの画家。画家を両親としてニースに生まれたが,美術教育はうけていない。生涯にわたって,主として青色を用いたモノクローム(単色)の絵画を制作し,モノクロミズムの代表的存在の一人。1958年パリのイリス・クレール画廊で何も展示しない〈空虚Le vide〉展を開き衝撃を与えた。この展覧会はある意味でモノクロミズムの徹底化であったが,これをきっかけにして次の段階へと進み,空気や水(風雨)など自然の諸力を画面に定着する《宇宙進化Cosmogonies》(1960),裸婦モデルに青い絵具を塗って画面に人体のプリントをする《人体測定Anthropométrie》(1960),火炎放射器で板に焼けこげをつくる《火の絵画peinture de feu》(1961)など,人間の行為も含めた自然の諸力の痕跡を絵画化ないし作品化する試みを行った。18歳で薔薇十字団に属して神秘思想を抱き,また52-53年には来日して講道館で,若くより習っていた柔道を修めている。父親がマレー系であるクラインは,パリの国立東洋語学校に学び,東洋の思想と文化に関心を抱いていた。生前フランスでは61年,美術批評家レスタニーPierre Restanyによって,クリスト,ティンゲリーらとともにヌーボー・レアリスムの一員とされた以外はあまり評価されず,ドイツのゲルゼンキルヘン歌劇場の装飾(1959)を委嘱されたり,61年にクレフェルトで初の回顧展が開かれるなど,むしろ国外で注目をあびた。心臓発作のため34歳で急逝。
執筆者:

クライン
Felix Klein
生没年:1849-1925

ドイツの数学者。デュッセルドルフで出生。ボン大学でプリュッカーPlückerに師事して数学および物理学を学び,頭角をあらわして,23歳の若さでエルランゲン大学教授に就任した。その後,ミュンヘン工科大学,ライプチヒ大学を経て,1886年にゲッティンゲン大学教授となり,終生この職を続け,広範な活動と偉大な組織力によって当時の数学界を指導した。業績は数学のほとんど全分野にわたるが,射影幾何学と保型関数の理論における貢献がとりわけ大である。とくに,今日《エルランゲン・プログラム》(1872)と呼ばれている論文は有名である。これは当時まで知られていたいろいろの幾何学を,群論の立場から鳥瞰(ちようかん)して総合したもので,その後の幾何学の発展に大きな影響を与えた。晩年は数学教育の改善にも熱心に取り組み,ドイツにおける改革運動を指導した。彼は講義を基とした著書を多く残しているが,なかでも《19世紀における数学の発展について》および《高等な立場から観た初等数学》はよく知られている。
執筆者:

クライン
Lawrence Robert Klein
生没年:1920-

アメリカの経済学者。オマハに生まれる。カリフォルニア大学(バークリー)で学士(1942),マサチューセッツ工科大学で博士号(1944)をとる。シカゴ大学(コールズ・コミッション),ミシガン大学(サーベイ・リサーチ・センター),オックスフォード大学(統計研究所),国民経済研究所(NBER)等の研究員,講師を経て,1958年ペンシルベニア大学教授となる。クラインはその第1作《ケインズ革命》(1947)において,ケインズ経済学の革命的意義を体系的に展開して一躍有名になったが,その後,連立方程式体系を使ったモデル分析の分野で,《アメリカの経済変動-1921-1941》(1950),《計量経済学》(1953),《ワートン計量経済予測モデル》(1967)等の先駆的業績をあげ,計量経済学界で指導的役割を果たしてきた。80年ノーベル経済学賞受賞。
執筆者:

クライン
William Klein
生没年:1928-

ニューヨーク生れの写真家。カレッジ卒業後,1948年以降パリに移り住む。画家F.レジェの下で働き,絵画,映画,デザイン,写真を学ぶ。クラインの代表作《ニューヨーク》(1956)は,荒れた粒子にコントラスト,極端なフレーミングとアングルという今までにない写真技法を駆使し,1950年代の都市ニューヨークの猥雑(わいざつ)ぶりを余すところなくとらえ,写真表現の新たな地平を切り開いた。ほかに写真集《ローマ》(1959),《東京》(1964),《モスクワ》(1964)等がある。
執筆者:

クライン
Abraham Moses Klein
生没年:1909-72

カナダの詩人。法律家,ユダヤ系新聞編集人としてシオニズム運動に尽力。《ユダヤ人も持たざるや》(1940),《ゆり椅子,その他の詩編》(1948)など4冊の詩集と,イスラエル建国までのユダヤ民族の放浪と苦悶を,著者の肉親探しという形に託して,力強く歌い上げた散文詩《第二の書》(1951)がある。ジョイス研究家としても知られる。1950年代中ごろから病のため世間との接触を絶った。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「クライン」の意味・わかりやすい解説

クライン

ヌーボー・レアリスムを代表するフランスの美術家。ニース生れ。1950年代半ばから,赤や緑などの単色による《モノクローム》絵画を発表し始める。《モノクローム》絵画は後に〈インターナショナル・クライン・ブルー〉と呼ばれる独特の青い色に収斂していく。1958年,画廊に何も置かない《空虚》展を開催。また1960年には〈インターナショナル・クライン・ブルー〉を女性の裸体に噴射したりこすりつけて人拓を取るパフォーマンス〈人体測定〉シリーズを開始する。さらに絵具の乾いていないキャンバスを雨や風に曝す《宇宙創成論(コスモゴニー)》シリーズ,バーナーでキャンバスを焼く《炎の絵画》シリーズ,スポンジを使った立体作品や自ら空中に飛翔してみせるパフォーマンスなど,短い生涯の間に数多くの活動を展開した。自らの手で直接作品を作る行為を否定しながら,芸術表現における〈非物質的なもの〉(精神性)を希求し,絵画にとどまらず,さまざまな美術の表現形式の打開を図る実験を試みた。
→関連項目アルマンジャーマン徳島県立近代美術館

クライン

米国の写真家。ニューヨーク生れ。ニューヨークのシティ・カレッジで社会学を専攻。1948年パリに渡り,レジェのもとで絵画を学ぶ。1950年以降の数年はパリで画家として仕事をする。1955年ごろより一転して写真に専念しはじめ,多くの雑誌に写真を発表。とりわけブロドビッチのアート・ディレクションのもとでの《ボーグ》誌の仕事は,時代と呼応して高い評価を得た。1965年写真を中断して映画に転向。《ポリー・マグー,お前は誰だ?》(1967年),レネゴダールらとのオムニバス映画《ベトナムから遠く離れて》など20作を超える作品を残し,テレビ映画も多数手がけている。代表的な写真集に《ニューヨーク》(1956年),《ローマ》(1960年),《モスクワ》(1964年),《東京》(1964年),《イン・アンド・アウト・オブ・ファッション》(1994年)などがある。

クライン

米国の計量経済学者。カリフォルニア大学卒業後いくつかの大学を経てペンシルベニア大学教授。個々の企業活動のミクロ経済理論から社会全体のマクロ経済理論を基礎づけるため関数を用いて集計の問題を提起し,またケインズ理論を用いて米国経済のモデル・ビルディングを実証的に研究してアメリカ経済学に新風を吹きこんだ。主著に《ケインズ革命》《米国の経済変動》《計量経済学》など。1980年ノーベル経済学賞。
→関連項目ケインズ学派

クライン

ドイツの数学者。エルランゲン,ミュンヘン,ライプチヒ各大学教授を経て,1886年よりゲッティンゲン大学教授。1872年変換群の不変量の理論から幾何学を分類した《エルランゲン・プログラム》を発表,回転群,母数関数等多方面の研究がある。数学史,数学教育にも貢献。
→関連項目エルランゲン・プログラム群論

クライン

カナダのジャーナリスト,社会運動家。モントリオール生まれ。トロント大学卒業。1999年《ブランドなんか,いらない》(日本語訳,2001年はまの出版)で,一躍反グローバリゼイションの旗手として注目され,2002年の《貧困と不正を生む資本主義》で世界的な評価を得る。2011年に始まる,ウォール街占拠などのオキュパイ・ムーブメントに強い影響を与えた。

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367日誕生日大事典 「クライン」の解説

クライン

生年月日:1895年9月15日
スエーデンの物理学者
1977年没

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世界大百科事典(旧版)内のクラインの言及

【変異】より

…例えば哺乳類では,同一種でも北方にすむものほど体が大きく,また手足が相対的に短いという傾向が知られている。これは寒さに対する適応とみられ,このような形質のこう配をクラインclineと呼ぶ。他方,ある限られた地域の小集団でみられる変異を個体変異または個体差という。…

【アフィン幾何学】より

…擬似幾何学ともいう。クラインは1872年に有名な《エルランゲン・プログラム》を発表し,その中で幾何学を変換群の立場から統一的に論じ,例えば,図形の性質のうち,合同変換で変わらないような性質を調べるのがユークリッド幾何学であり,射影変換によって変わらない性質を調べるのが射影幾何学であると定義したが,この立場に立つとき,アフィン幾何学とはアフィン変換によって不変な性質を調べる幾何学といえる。この幾何学の源泉はメービウスの《重心算法論Der baryzentrische Kalkül》(1827)にあるが,新しい種類の幾何学として確立したのはクラインである。…

【幾何学】より

…しかしながら,これらの人たちは非ユークリッド幾何学を展開しただけで,その無矛盾性を証明したわけではなかった。このため,ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の両方がともに成り立つことがありうるだろうかとの疑問がもたれたが,これは19世紀末から20世紀の初めにF.クラインらによって解決された。すなわち彼らはユークリッド幾何学の中に非ユークリッド幾何学の模型をつくり,ユークリッド幾何学が矛盾を含まぬかぎり,非ユークリッド幾何学も矛盾を含まない論理体系であることを示した。…

【数学】より

…ユークリッド幾何学,非ユークリッド幾何学がともに成り立つというのは,(A,E),(A,Ē)とも無矛盾であるという意味であった。(A,Ē)の無矛盾性が確認されたのは,そのモデルが(A,E)の中につくられることがA.ケーリー,F.クライン,H.ポアンカレらによって示されたからである。ヒルベルトはさらに実数を用いて(A,E)の諸命題が成り立つモデルをつくり,(A,E)の無矛盾性を示した。…

【非ユークリッド幾何学】より

…これらに対応してユークリッド幾何学は放物幾何学と呼ばれる。 19世紀の終りころには,非ユークリッド幾何学のモデルをユークリッド幾何学の中に作るという仕事がE.ゲーリー,F.クライン,E.ベルトラミ,H.ポアンカレらによってなされた。例えば,ポアンカレが《科学と仮説》(1902)に記述しているモデルは次のようである。…

【計量経済学】より

…このような投資乗数に関する数量的情報を求めておけば,将来の投資増加による景気拡大効果を予測したり,逆に一定の所得を創出するために必要な投資量を求めることも可能になる(〈乗数理論〉の項参照)。このようなマクロ計量経済モデルの最初の開発はL.R.クラインによってなされたが,現在では一国経済の予測や経済計画の策定手段として広く用いられている。
[マクロ計量経済モデルへの批判]
 しかし1970年代の経済激動期にマクロ計量経済モデルはその予測力が著しく低下し,さまざまな立場から批判が加えられた。…

【モデル・ビルディング】より

…現在,マクロモデルを中心に多くのモデルが作られている。マクロモデルの先駆としては,L.R.クラインが1950年に作ったモデルおよびゴールドバーガーArthur Stanley Goldberger(1930‐ )とクラインが協力して作ったクライン=ゴールドバーガー・モデル(1955)がある。現在,日本の代表的なマクロ計量モデルとしては,経済企画庁経済研究所の〈世界モデル〉の中の〈日本モデル〉があげられる。…

【口唇期】より

…この時期は単に対象をとり入れるだけではなく,心理的には対象を攻撃し破壊するという関係が生じる。またM.クラインは,口唇期の乳児には,良い乳房のイメージと悪い乳房のイメージとが別個のものとして体験され,この両イメージがめまぐるしく交代するという仮説を提出している。いずれにせよ,この時期に良好な母子関係を持てた乳児には,E.H.エリクソンが唱えたように基本的信頼感がはぐくまれると考えられる。…

【性格】より

…彼は人格における自我の機能に注目し,自我と衝動体イドと行動の規準の内面化による超自我との葛藤や妥協を力動的にとらえて,人格をその相互関係の過程の上で扱っている。これに続く者として,フロイトの精神分析から現代精神分析への転向を方向づけたライヒ,超自我の早期形成の影響を解明したM.クラインなどがあげられる。またE.H.エリクソンは人格の形成に関する精神分析理論に比較文化論的・対人関係論的見地を導入した。…

【精神分析】より

… フロイトの精神性的発達理論は,一部の精神分析学者,たとえばイギリスの対象関係論者の一人であるフェアベアンW.R.D.Fairbairn(1889‐1964)を除けば,さまざまな修飾をうけながらも継承されている。たとえばM.クラインの独創的なポジションpositionの概念は,口唇期における対象関係を細分することから出発している。現存在分析の創唱者L.ビンスワンガーもこの身体形態論的な精神発達理論を承認し,高く評価している。…

※「クライン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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