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A.フロイトと並ぶ児童分析の創始者。ウィーンに生まれたが,結婚後ブダペストに移り,そこで精神分析に興味を抱き,フェレンツィの教育分析を受けた。ついでベルリンでK.アブラハムの指導を受け,強い影響を与えられた。1925年ロンドンに移住し,児童分析の臨床を通して独自の理論を発展させて,いわゆるクライン学派を生むに至った。彼女は乳児の抱く活発な無意識的幻想に注目し,最初の対象である母(と乳房)に対する無意識的幻想が,人格発達過程で重要な役割を果たすことを明らかにした。そして外界の客観的対象とは別に,投影,取入れなどの機制によって心の内部に形成される内的対象が,無意識的幻想を生む上で重要な働きをするとした。また精神発達上,妄想的・分裂的態勢,抑うつ的態勢を区分し,対象についての自我の体験様式に基づく発達論を樹立した。妄想的・分裂的態勢とは,乳児が口愛羨望による攻撃性を母に投影する結果,母によって迫害されるという被害的不安を抱き,これを分裂を中心として防衛しようとする心的傾向を意味する。ここではまだ対象を全体的存在としてとらえることはできないが,対象の良い面悪い面の統合が可能になると,悪い対象とみなしていたものが実は同一対象の一面であったことがわかって,乳児は罪悪感を抱いて抑うつ状態に陥るという。クラインは,S.フロイトが4~5歳のエディプス期を重視したのに対し,とくに乳児期の母子関係を重視し,各態勢で働く分裂,投影的同一視などの原始的防衛機制を解明して,境界例や統合失調症の精神力動の理解に貢献した。
執筆者:馬場 謙一
フランスの画家。画家を両親としてニースに生まれたが,美術教育はうけていない。生涯にわたって,主として青色を用いたモノクローム(単色)の絵画を制作し,モノクロミズムの代表的存在の一人。1958年パリのイリス・クレール画廊で何も展示しない〈空虚Le vide〉展を開き衝撃を与えた。この展覧会はある意味でモノクロミズムの徹底化であったが,これをきっかけにして次の段階へと進み,空気や水(風雨)など自然の諸力を画面に定着する《宇宙進化Cosmogonies》(1960),裸婦モデルに青い絵具を塗って画面に人体のプリントをする《人体測定Anthropométrie》(1960),火炎放射器で板に焼けこげをつくる《火の絵画peinture de feu》(1961)など,人間の行為も含めた自然の諸力の痕跡を絵画化ないし作品化する試みを行った。18歳で薔薇十字団に属して神秘思想を抱き,また52-53年には来日して講道館で,若くより習っていた柔道を修めている。父親がマレー系であるクラインは,パリの国立東洋語学校に学び,東洋の思想と文化に関心を抱いていた。生前フランスでは61年,美術批評家レスタニーPierre Restanyによって,クリスト,ティンゲリーらとともにヌーボー・レアリスムの一員とされた以外はあまり評価されず,ドイツのゲルゼンキルヘン歌劇場の装飾(1959)を委嘱されたり,61年にクレフェルトで初の回顧展が開かれるなど,むしろ国外で注目をあびた。心臓発作のため34歳で急逝。
執筆者:千葉 成夫
ドイツの数学者。デュッセルドルフで出生。ボン大学でプリュッカーPlückerに師事して数学および物理学を学び,頭角をあらわして,23歳の若さでエルランゲン大学教授に就任した。その後,ミュンヘン工科大学,ライプチヒ大学を経て,1886年にゲッティンゲン大学教授となり,終生この職を続け,広範な活動と偉大な組織力によって当時の数学界を指導した。業績は数学のほとんど全分野にわたるが,射影幾何学と保型関数の理論における貢献がとりわけ大である。とくに,今日《エルランゲン・プログラム》(1872)と呼ばれている論文は有名である。これは当時まで知られていたいろいろの幾何学を,群論の立場から鳥瞰(ちようかん)して総合したもので,その後の幾何学の発展に大きな影響を与えた。晩年は数学教育の改善にも熱心に取り組み,ドイツにおける改革運動を指導した。彼は講義を基とした著書を多く残しているが,なかでも《19世紀における数学の発展について》および《高等な立場から観た初等数学》はよく知られている。
執筆者:中岡 稔
アメリカの経済学者。オマハに生まれる。カリフォルニア大学(バークリー)で学士(1942),マサチューセッツ工科大学で博士号(1944)をとる。シカゴ大学(コールズ・コミッション),ミシガン大学(サーベイ・リサーチ・センター),オックスフォード大学(統計研究所),国民経済研究所(NBER)等の研究員,講師を経て,1958年ペンシルベニア大学教授となる。クラインはその第1作《ケインズ革命》(1947)において,ケインズ経済学の革命的意義を体系的に展開して一躍有名になったが,その後,連立方程式体系を使ったモデル分析の分野で,《アメリカの経済変動-1921-1941》(1950),《計量経済学》(1953),《ワートン計量経済予測モデル》(1967)等の先駆的業績をあげ,計量経済学界で指導的役割を果たしてきた。80年ノーベル経済学賞受賞。
執筆者:中村 貢
ニューヨーク生れの写真家。カレッジ卒業後,1948年以降パリに移り住む。画家F.レジェの下で働き,絵画,映画,デザイン,写真を学ぶ。クラインの代表作《ニューヨーク》(1956)は,荒れた粒子にコントラスト,極端なフレーミングとアングルという今までにない写真技法を駆使し,1950年代の都市ニューヨークの猥雑(わいざつ)ぶりを余すところなくとらえ,写真表現の新たな地平を切り開いた。ほかに写真集《ローマ》(1959),《東京》(1964),《モスクワ》(1964)等がある。
執筆者:金子 隆一
カナダの詩人。法律家,ユダヤ系新聞編集人としてシオニズム運動に尽力。《ユダヤ人も持たざるや》(1940),《ゆり椅子,その他の詩編》(1948)など4冊の詩集と,イスラエル建国までのユダヤ民族の放浪と苦悶を,著者の肉親探しという形に託して,力強く歌い上げた散文詩《第二の書》(1951)がある。ジョイス研究家としても知られる。1950年代中ごろから病のため世間との接触を絶った。
執筆者:平野 敬一
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…例えば哺乳類では,同一種でも北方にすむものほど体が大きく,また手足が相対的に短いという傾向が知られている。これは寒さに対する適応とみられ,このような形質のこう配をクラインclineと呼ぶ。他方,ある限られた地域の小集団でみられる変異を個体変異または個体差という。…
…擬似幾何学ともいう。クラインは1872年に有名な《エルランゲン・プログラム》を発表し,その中で幾何学を変換群の立場から統一的に論じ,例えば,図形の性質のうち,合同変換で変わらないような性質を調べるのがユークリッド幾何学であり,射影変換によって変わらない性質を調べるのが射影幾何学であると定義したが,この立場に立つとき,アフィン幾何学とはアフィン変換によって不変な性質を調べる幾何学といえる。この幾何学の源泉はメービウスの《重心算法論Der baryzentrische Kalkül》(1827)にあるが,新しい種類の幾何学として確立したのはクラインである。…
…しかしながら,これらの人たちは非ユークリッド幾何学を展開しただけで,その無矛盾性を証明したわけではなかった。このため,ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の両方がともに成り立つことがありうるだろうかとの疑問がもたれたが,これは19世紀末から20世紀の初めにF.クラインらによって解決された。すなわち彼らはユークリッド幾何学の中に非ユークリッド幾何学の模型をつくり,ユークリッド幾何学が矛盾を含まぬかぎり,非ユークリッド幾何学も矛盾を含まない論理体系であることを示した。…
…ユークリッド幾何学,非ユークリッド幾何学がともに成り立つというのは,(A,E),(A,Ē)とも無矛盾であるという意味であった。(A,Ē)の無矛盾性が確認されたのは,そのモデルが(A,E)の中につくられることがA.ケーリー,F.クライン,H.ポアンカレらによって示されたからである。ヒルベルトはさらに実数を用いて(A,E)の諸命題が成り立つモデルをつくり,(A,E)の無矛盾性を示した。…
…これらに対応してユークリッド幾何学は放物幾何学と呼ばれる。 19世紀の終りころには,非ユークリッド幾何学のモデルをユークリッド幾何学の中に作るという仕事がE.ゲーリー,F.クライン,E.ベルトラミ,H.ポアンカレらによってなされた。例えば,ポアンカレが《科学と仮説》(1902)に記述しているモデルは次のようである。…
…このような投資乗数に関する数量的情報を求めておけば,将来の投資増加による景気拡大効果を予測したり,逆に一定の所得を創出するために必要な投資量を求めることも可能になる(〈乗数理論〉の項参照)。このようなマクロ計量経済モデルの最初の開発はL.R.クラインによってなされたが,現在では一国経済の予測や経済計画の策定手段として広く用いられている。
[マクロ計量経済モデルへの批判]
しかし1970年代の経済激動期にマクロ計量経済モデルはその予測力が著しく低下し,さまざまな立場から批判が加えられた。…
…現在,マクロモデルを中心に多くのモデルが作られている。マクロモデルの先駆としては,L.R.クラインが1950年に作ったモデルおよびゴールドバーガーArthur Stanley Goldberger(1930‐ )とクラインが協力して作ったクライン=ゴールドバーガー・モデル(1955)がある。現在,日本の代表的なマクロ計量モデルとしては,経済企画庁経済研究所の〈世界モデル〉の中の〈日本モデル〉があげられる。…
…この時期は単に対象をとり入れるだけではなく,心理的には対象を攻撃し破壊するという関係が生じる。またM.クラインは,口唇期の乳児には,良い乳房のイメージと悪い乳房のイメージとが別個のものとして体験され,この両イメージがめまぐるしく交代するという仮説を提出している。いずれにせよ,この時期に良好な母子関係を持てた乳児には,E.H.エリクソンが唱えたように基本的信頼感がはぐくまれると考えられる。…
…彼は人格における自我の機能に注目し,自我と衝動体イドと行動の規準の内面化による超自我との葛藤や妥協を力動的にとらえて,人格をその相互関係の過程の上で扱っている。これに続く者として,フロイトの精神分析から現代精神分析への転向を方向づけたライヒ,超自我の早期形成の影響を解明したM.クラインなどがあげられる。またE.H.エリクソンは人格の形成に関する精神分析理論に比較文化論的・対人関係論的見地を導入した。…
… フロイトの精神性的発達理論は,一部の精神分析学者,たとえばイギリスの対象関係論者の一人であるフェアベアンW.R.D.Fairbairn(1889‐1964)を除けば,さまざまな修飾をうけながらも継承されている。たとえばM.クラインの独創的なポジションpositionの概念は,口唇期における対象関係を細分することから出発している。現存在分析の創唱者L.ビンスワンガーもこの身体形態論的な精神発達理論を承認し,高く評価している。…
※「クライン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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