クレメンテ(Roberto Walker Clemente)(読み)くれめんて(英語表記)Roberto Walker Clemente

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

クレメンテ(Roberto Walker Clemente)
くれめんて
Roberto Walker Clemente
(1934―1972)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のピッツバーグ・パイレーツ外野手としてプレー。「史上最高の強肩」とうたわれた守備力と首位打者を4回獲得した強打パイレーツに2回のワールド・シリーズ優勝をもたらし、最後は悲劇的な死を遂げた「プエルト・リコの英雄」である。

 8月18日、プエルト・リコのカロリナで生まれる。1954年、ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)に入団。マイナー・リーグでプロ生活をスタートさせたが、抜群の身体能力に目を付けたパイレーツに引き抜かれ、1955年に同球団で大リーグに昇格。1年目からレギュラーとして定着した。1960年は、打率3割1分4厘、ホームラン16本を打ってワールド・シリーズ制覇に貢献。翌61年には、打率3割5分1厘で首位打者を獲得した。1964年と65年にも、2年連続して首位打者となった。1966年は、無冠ながら打率3割1分7厘、ホームラン29本、打点119の好成績で最優秀選手(MVP)を受賞した。翌67年は4回目の首位打者を獲得。1970年からは3年連続地区優勝に貢献し、とくに71年にはワールド・シリーズで打率4割1分4厘、ホームラン2本、打点4と猛打を振るって優勝に貢献し、シリーズMVPに選ばれた。1972年のシーズン終了時点で通算安打数をちょうど3000としていたが、そのシーズンオフ、ニカラグア大地震の被災者に救援物資を届けようとチャーターした飛行機が墜落し、死去した。本来殿堂入り資格は引退後まる5年を経てから発生するが、特別措置として翌73年には殿堂入りとなった。現在でも年1回、社会貢献に寄与した選手に「ロベルト・クレメンテ賞」が贈られている。

 18年間の通算成績は、出場試合2433、安打3000、打率3割1分7厘、本塁打240、打点1305。獲得したおもなタイトルは、首位打者4回、最多安打2回、MVP1回、ゴールドグラブ12回。1973年に野球殿堂入り。

[山下 健]

『佐山和夫著『ヒーローの打球はどこへ飛んだか ロベルト・クレメンテの軌跡』(2001・報知新聞社)』

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