クロタール2世(読み)クロタールにせい(英語表記)Chlothar(Clotaire) II

改訂新版 世界大百科事典 「クロタール2世」の意味・わかりやすい解説

クロタール[2世]
Chlothar Ⅱ
生没年:584-629

メロビング朝のフランク国王。在位584-629年。ネウストリア王ヒルペリヒ1世の子。父が殺害されたため生後まもなく王位を継ぐ。祖父クロタール1世の死後フランク王国分国に分かれ,対立・抗争が続いていたが,613年国内の豪族層の支持により王国の統一を達成した。翌614年パリ勅令を発布し,伯にはその地方所領をもつ有力者を任命することを規定したことは,統一の代償として豪族層に譲歩したことを示す。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クロタール2世」の意味・わかりやすい解説

クロタール2世
クロタールにせい
Chlothar(Clotaire) II

[生]?
[没]629.10.18.
メロビング朝時代のフランク王 (在位 613~629) 。ヒルペリヒ1世の子。初め分国ネウストリアの王 (在位 584~629) 。アウストラシア王妃ブルンヒルダが全フランクに支配を及ぼしたのに対し,アウストラシア貴族はクロタール2世を擁立。ブルンヒルダの孫同士の争いと彼らの死の機会をとらえて,彼女を捕え,残酷な処刑ののち,613年全フランクを統一して王に即位。しかし彼を支持したピピン (大ピピン) らアウストラシアの貴族勢力と妥協せざるをえず,メロビング王権は衰退に向った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クロタール2世」の解説

クロタール2世(クロタールにせい)
Clothar Ⅱ

584~629(在位584~629)

フランク王。クロタール1世の孫,生後4カ月でネウストリア王。アウストラシア,ブルグントの聖俗貴族の協力により王国を統一。彼らへの大幅な譲渡を認めた614年の勅令は,荘園領主権の台頭を示す史料として重要。

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世界大百科事典(旧版)内のクロタール2世の言及

【フランク王国】より

…これはかつてのグラフィオがテュンギヌスの権限をも吸収して,南ガリアのコメスとほとんど同じ権限を獲得したことの反映とみなされる。他方クロタール2世のパリ勅令(614)は,以後在地の豪族層のなかから伯を任命することを規定している。これは南部と同様,北部ガリアでも国王に対するコメスの独立性が強くなっていく傾向を反映したものと解釈され,その傾向はメロビング朝時代末,王権の弱体化に伴い,いっそう著しくなった。…

【メロビング朝】より

…ライン川以東でも,ランスの歴代の諸王がチューリンゲン,バイエルンおよびイタリア遠征を行い(531,539),さらにビザンティン遠征を計画するなど,ガリアの枠を超えた帝国政策を展開した。 ソアソン分国王クロタール1世(在位511‐561)が兄弟諸王の死により,単独支配者となったが,彼の死が内乱の始まりであった(561)。相続の方法は前回と同じであるが,4人の相続者のうちカリベルトの死(567)後の3分国が以後定着する同朝の分国図となった。…

※「クロタール2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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