クーザン(英語表記)Cousin, Victor

精選版 日本国語大辞典 「クーザン」の意味・読み・例文・類語

クーザン

[一] (Jean Cousin ジャン━) フランスルネサンスの画家。サンスでガラス絵の制作に従事。のちパリで、ステンドグラスや絵画、彫刻を手がける。代表作「エバ・プリマ・パンドラ」。(一四九〇頃‐一五六〇頃
[二] (Victor Cousin ビクトル━) フランスの哲学者、政治家。折衷主義の代表者。哲学と宗教との調和を説き、フランスではじめて哲学史を学問的に確立した。著に「近世哲学史講義」「真善美について」など。(一七九二‐一八六七

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デジタル大辞泉 「クーザン」の意味・読み・例文・類語

クーザン(Victor Cousin)

[1792~1867]フランスの哲学者。ヘーゲルシェリングスコットランド常識哲学などの影響を受け、折衷主義を唱えた。哲学史の領域を開拓。著「近世哲学史講義」「真善美について」など。

クーザン(Jean Cousin)

[1490ころ~1560ころ]フランスの画家。絵画をはじめ、ステンドグラス・版画・彫刻・建築・著述など、幅広く活躍。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クーザン」の意味・わかりやすい解説

クーザン
Cousin, Victor

[生]1792.11.28. パリ
[没]1867.1.13. カンヌ
フランスの哲学者。 1815年ロワイエ・コラールの助手としてソルボンヌ大学で哲学史を講じる。 20年反政府活動のかどでソルボンヌを追われ,24年ドレスデンで捕えられ半年の牢獄生活をおくる。 28年大学に復帰,哲学史を講じて空前の人気を博する。 30年の七月革命によって多くの要職が与えられる。 31年ドイツを視察して教育制度に関する有名な報告を書き,それは 33年の F.ギゾーの画期的な初等教育の改革に結実し,40年には教育相となった。やがてナポレオン3世の登場とともに 48年引退して著作と研究に専念した。彼はフランスの大学で初めて哲学史を講じた人であり,その講義録には『哲学史講義』 Cours d'histoire de la philosophie (3巻,1829) ,『近世哲学史講義』 Cours d'histoire de la philosophie moderne (5巻,41~46) ,"Cours d'histoire de la philosophie morale au XVIIIe siècle" (4巻,39~42) などがある。彼の哲学は唯心論的形而上学で,意識を知情意に3分し,それぞれに真美善の問題を対応させるが,3者は独立したものではなく同一であるとする。この統一性を具体的に提示するのが芸術であり,最高の芸術たる詩は人間の全能力の総合である。これが主著『真・善・美について』 Du vrai,du beau et du bien (36) の思想の中核である。

クーザン
Cousin, Jean

[生]1490. サンス
[没]1560/1561. パリ
フランスの画家,彫刻家,版画家。フランス歴史画の祖。サンス大聖堂のステンドグラスなど,主としてガラス絵によって知られる。『イブ,最初の女』 Eva Prima Pandora (1550頃,ルーブル美術館) はクーザンの作品といわれる。木版画も多い。著作は『遠近法論』 Traité de perspective (1560) 。『肖像画の本』 Livre de pourtraicture (1571) は同名の息子 (1522~94) が完成。

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改訂新版 世界大百科事典 「クーザン」の意味・わかりやすい解説

クーザン
Jean Cousin
生没年:1490ころ-1560ころ

フランスの画家。同名の子と区別するため〈父クーザンJean Cousin le Père〉と呼ばれることもある。測量師として生地サンスで活動したのち,1538年ころパリに赴き,タピスリーやステンド・グラスの下絵や版画制作をはじめる。49年グージョンとともにアンリ2世のパリ入市式典の装飾を行い,そのテーマのひとつを用いて《エバ・プリマ・パンドラ》を描いた。彼の名声は外国にまで及び,バザーリの《芸術家列伝》初版(1550)にも言及されている。彼に帰せられる作品は少ないが,寓意画,肖像画など数点存在する。フランス・ルネサンスの代表的画家の一人で,北方版画の影響に加えて,フォンテンブロー派とくにロッソ・フィオレンティーノの強い影響を示しながら,自己の様式を確立した。《遠近法の書》(1560),《画法の書》(1571。子に引き継ぐ)の著作ものこす。今日でも子クーザンJean Cousin le Fils(1522ころ-94ころ)の作品との確実な識別は困難とされている。子クーザンの代表作とされるものに《最後の審判》(1585ころ)がある。
執筆者:

クーザン
Victor Cousin
生没年:1792-1867

フランスの哲学者。ロアイエ・コラールとメーヌ・ド・ビランに学び,エコール・ノルマルやソルボンヌで教えた。カントやヘーゲルなどのドイツ哲学に学ぶとともに,師のロアイエ・コラールにも影響を与えたスコットランド常識学派の説をもとり入れ,これらとデカルト以来のフランス哲学の伝統を結合して,ソルボンヌ講壇哲学の主傾向となる唯心論的折衷主義を唱えた。またフランスではじめて哲学史研究の分野をひらき,《近世哲学史講義》(1841)は主著の一つである。彼はまた政治家として七月王政下で国務院顧問官や教育大臣をつとめ,アカデミー・フランセーズ会員となった。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「クーザン」の解説

クーザン Cousin, Jules Alphonse

1842-1911 フランスの宣教師。
1842年4月21日生まれ。慶応2年(1866)パリ外国宣教会から禁教下の長崎に派遣され,布教にあたる。明治2年大阪にうつり,川口教会を創立。24年初代長崎司教として大浦天主堂に着任し,日本人司祭の養成,教会設立につくした。明治44年9月18日長崎で死去。69歳。ルーソン出身。

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百科事典マイペディア 「クーザン」の意味・わかりやすい解説

クーザン

フランスの講壇哲学者。パリ大学教授。スコットランド常識学派,ドイツ観念論等の諸哲学を摂取し,これらをフランス哲学の伝統と調和させようとした。哲学史研究の先駆者でもあり,デカルト,パスカルらの著作を刊行するとともに,《近世哲学史講義》(1841年―1846年)を執筆。

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世界大百科事典(旧版)内のクーザンの言及

【唯美主義】より

… 19世紀以来の唯美主義は観念的美の世界と悪魔的な官能美への惑溺,すなわちデカダンスdécadenceの二極を絶えず往復しているが,これはスウィンバーンに影響を与えたフランスの文学者ゴーティエボードレールに始まる。前者は,いわゆる〈芸術至上主義〉,すなわち〈芸術のための芸術l’art pour l’art〉(命名は1845年,V.クーザンによる)の唱道者として知られ,効用性を超越した自律的な美を主張した。のちに彼は《文学的肖像と回想》(1881)で,様式としてのデカダンスを〈このうえない成熟に達した芸術であり,輪郭がきわめて曖昧(あいまい)でつかみにくいものを表現しようと格闘し,腐敗した情熱の死にぎわの告白や妄執のもたらす狂気寸前の幻覚を伝えようとするもの〉と定義,唯美主義の到達した極点を示した。…

※「クーザン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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