グルジアで反政府デモ(読み)ぐるじあではんせいふでも

知恵蔵 「グルジアで反政府デモ」の解説

グルジアで反政府デモ

グルジアの親欧米的なサアカシュビリ政権は2003年末の民衆デモにより04年初めに成立し(バラ革命)、新政権はNATO加盟などを対外政策に掲げてロシアを強く刺激した。また、グルジア内のアブハジア自治共和国、南オセチア自治州の分離主義の問題も、同国とロシアとの対立を強めた。ロシアがこれら自治共和国・州に軍隊を駐留し、また住民にロシア国籍を与えているからだ。ロシアはグルジアのワインや農産物の輸入を禁止したり、ロシア内で働くグルジア人を、07年1月の新移住法で締め出したりして、グルジアとロシアの緊張関係は「戦争の一歩手前」といわれるほど悪化した。この状況の中で、サアカシュビリ政権は新たな内憂を抱えることになった。07年11月に、政権の腐敗汚職を批判し大統領の退陣を求める野党の反政府デモが起き、これに対して政権はデモ隊を催涙ガスやゴム弾などで強制排除し、500人以上の負傷者が出たと報じられた。11月7日に非常事態宣言を発して(11月16日に解除)、野党系メディアに活動停止を命じた。グルジア当局は、このデモはロシアの情報機関が画策したものとして、ロシアの外交官3人を追放し、ロシアもグルジアの外交官を追放して両国の関係は最悪の状況になった。サアカシュビリは国内を安定させるために、08年秋に予定されていた大統領選挙前倒しで1月5日に実施し勝利した。また、ノガイデリ首相を解任し、後任に国内最大の民間銀行「グルジア銀行」の会長、グルゲニゼ(36)を指名した。民主主義政権としてサアカシュビリを支持してきた欧米諸国特に米国は政府による言論弾圧や非常事態宣言を発する事態に失望感を隠さなかった。

(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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