グレナダ(読み)ぐれなだ(英語表記)Grenada

翻訳|Grenada

精選版 日本国語大辞典 「グレナダ」の意味・読み・例文・類語

グレナダ

(Grenada) 西インド諸島の小島群からなる独立国。一四九八年コロンブスが発見。イギリス領をへて一九七四年独立。首都、セントジョージズ

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デジタル大辞泉 「グレナダ」の意味・読み・例文・類語

グレナダ(Grenada)

西インド諸島南東部、小アンティル諸島南部にある国。グレナダ島と付属島とからなる。首都セントジョージズ。英国領から1974年独立。人口11万(2017)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレナダ」の意味・わかりやすい解説

グレナダ
ぐれなだ
Grenada

中央アメリカの西インド諸島南東部、小アンティル諸島に含まれるウィンドワード諸島最南端にある国。グレナダ島とその属島からなる。面積344平方キロメートル、人口10万1000(2001年推計)、10万4000(2009年推計)。首都セント・ジョージズ(人口4万、2003年推計)。主島のグレナダ島は火山島で、中央部は山地となっており、平地は小さな谷の沖積地や沿岸の狭い平野だけである。気候は熱帯海洋性で、北東貿易風が吹き、比較的しのぎやすい。1~5月が乾期、6~12月が雨期で、年降水量は中央山地の風上斜面で3750ミリメートルであるが、風下の南西海岸では1000ミリメートル程度である。

 1498年コロンブスの第三次航海によって「発見」され、当時コロンブスの航海を支援したスペイン南部の都市グラナダGranadaにちなんで命名された。先住民の抵抗が少なかったので、17世紀中ごろにはフランス人が入植し、タバコ、インジゴ(アイ)を栽培した。1763年のパリ条約によってイギリスに譲渡されたころはコーヒー、綿花、サトウキビが主要商品作物であった。その後フランスに奪回されたが、1783年のベルサイユ条約によってふたたびイギリス領となった。イギリス人はサトウキビ栽培を拡大するためプランテーションに多くの黒人奴隷アフリカから導入した。しかし、1837年の奴隷解放令施行によって解放された奴隷の多くは労働条件のよい、近くのトリニダード島に移住したので、島は労働力不足となった。島に残った解放奴隷も自分の土地を求めて山地に入り、森林を開拓して小農民となったり、プランテーション経営者から土地を安く買って独立農民となった。1958~1962年には西インド諸島連邦の一部であったが、1967年にイギリス連邦の準加盟国となり、内政自治権を獲得、1974年2月イギリス連邦の一員として独立した。

 イギリスからの独立を主張した統一労働党党首ゲーリーEric Gairy (1922―1997)は、独立を達成すると、首相のほか、外相、内相、計画開発相、土地観光相を兼任し、独裁者となった。1979年、独裁体制に反対する野党ニュー・ジュウェル(新宝石)運動党党首ビショップMaurice Bishop(1944―1983)は、無血クーデターで首相のゲーリーを追放し、人民革命政府を樹立した。ビショップは首相となり、憲法を停止し、14人からなる革命評議会を設置した。新政権はコカ・コーラ工場を接収するなど社会主義政策を進め、外交面ではソ連、キューバに急速に接近した。1983年10月、副首相コードBernard Coard(1944― )ら左翼急進派によるクーデターが発生し、首相のビショップら4閣僚が殺害された。この直後、突然アメリカとジャマイカなどカリブ海諸国6か国の軍隊がグレナダに侵攻し、全島を制圧してコードらは逮捕され、アメリカの指導と援助のもとに暫定政府が発足した。その後1984年12月の総選挙で、親米派の新国民党(NNP=New National Party)が下院15議席中14議席を獲得して、ハーバート・ブレーズHerbert Blaize(1918―1989)が首相に就任した。1985年6月にアメリカ軍は撤退した。

 政治体制はイギリス国王を元首とする立憲君主国で、議院内閣制である。議会は二院制で、上院13議席、下院15議席。上院議席のうち10議席を首相が指名、3議席を野党党首が指名。下院議席は直接選挙によって選ばれる。ともに任期は5年。首相は下院の多数派を占める政党党首を、イギリス国王の代理を務める総督が任命する。

 1990年3月の総選挙では国民民主会議(NDC=National Democratic Congress)が政権を握ったが、1995年6月の総選挙で新国民党が勝利して政権を奪回し、1999年1月の総選挙でも新国民党は圧勝した。2008年の総選挙では国民民主会議が政権を取り戻した。政党は、新国民党と国民民主会議の二大政党制が成立している。

 経済活動は農業が中心で、農林・漁業就業者は全就業者の35%を占める。ほかに小規模の製糖業が行われている。山地が多いにもかかわらず、島の3分の2は耕地として利用されている。海岸の低地にはサトウキビやカカオ、山地の中腹にはバナナ、カカオおよびニクズクナツメグ)が栽培されている。ニクズクはグレナダの代表的な産物で、皮は化粧品の香料用にイギリスへ、実はスパイスとしてアメリカに輸出される。ニクズクはグレナダの国旗にも描かれていて、世界第2位の生産量を占める。さらにシナモン、クローブ、ショウガも産するので、グレナダは香料の島ともよばれる。経営面積40ヘクタール以上の農園が全耕地の約半分を占め、小農民が残りの半分を占める。農園の所有地は山腹にあり、小農民の所有地は沿岸の低地にある。これは、農園が樹木作物としてのニクズク、バナナ、カカオを栽培していることを反映している。またカリブ海の美しい海と砂浜に恵まれて、観光も主要な産業となっている。砂浜と水上スポーツの場所は島の南西部にあるが、エコツーリズムを楽しむのに適した自然豊かな地域は島の南東部と西部に多い。

 2004年9月にグレナダを襲ったハリケーン「アイバン」は島全体に大きな被害をもたらし、道路や港湾設備など生活や経済活動に必要な公共施設の多くを流し去り、グレナダの経済と国民の生活に大きな影響を与えたが、復興が進むにつれ、経済は回復基調となった。通貨は東カリブ・ドル(ECドル)。住民はアフリカ系82%、混血13%、インド人3%、白人1%である。公用語は英語。英語と先住民族言語との混合語(クレオール語)も使われる。宗教はキリスト教(カトリック、英国国教会、プロテスタント)がほとんどである。

 日本とは1975年(昭和50)に外交関係を開いた。貿易では、グレナダから日本への輸出はほとんどなく、日本から自動車や水産品などを輸入しており、輸入額は5億円程度である。

[菅野峰明]


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改訂新版 世界大百科事典 「グレナダ」の意味・わかりやすい解説

グレナダ
Grenada

基本情報
正式名称=グレナダGrenada 
面積=344km2 
人口(2009)=10万人 
首都=セント・ジョージズSaint George's(日本との時差=-13時間) 
主要言語=英語 
通貨=東カリブ・ドルEast Caribbean Dollar

イギリス連邦に加盟する独立国。ベネズエラの北方沖合いに浮かぶカリブ海ウィンドワード諸島の最南端に位置する長さ34km,幅19kmの火山島グレナダ島と,グレナディン諸島南部の若干の小さな島々から成る。面積は長崎県の福江島よりはやや大きい程度である。熱帯海洋性気候で年平均気温28℃,北東貿易風が吹き,1~5月が乾季,6~12月が雨季で,雨量は南海岸で年1000mm,中央山岳地域で3750mm程度。住民はアフリカ系黒人およびその混血が全体の9割以上を占め,ほかにインド系住民や白人が見られる。公用語は英語で,英語系クレオールも用いられる。宗教は住民の6割程度がカトリック信者で,かつてのフランス領時代の影響が残っているほか,イギリス国教会およびその他のプロテスタント各派が活動している。

 1498年,コロンブスらによって発見され,17世紀初頭にイギリス人が入植を試みたが,先住民カリブ族に撃退された。その後,17世紀半ばにフランス人が植民地を建設し,カリブ族を絶滅させフランス領としたが,18世紀後半になってイギリスが占領し,1763年のパリ条約でイギリスに正式に譲渡された。その後フランスが奪回したものの,83年のベルサイユ条約で再度イギリス領となった。他のカリブ海の島々と同様にグレナダでも,18世紀までは奴隷制プランテーションによるサトウキビの栽培が進められたが,18世紀末に土壌が香辛料の栽培に適していることがわかり,ヨーロッパ市場向けの香辛料の生産が盛んになった。19世紀に奴隷制が廃止された後は,自作農による香辛料栽培が続けられた。20世紀に入ってグレナダは,1958年の西インド諸島連合結成に加わったが,62年の同連邦解体後,67年にイギリスの自治領となり,73年12月のイギリス議会における正式な独立承認を経て,74年2月7日,独立を達成した。イギリスの女王を元首とする立憲君主国で,女王の名代として総督が任命されている。東カリブ諸国連合に加盟しており,また司法は東カリブ裁判制度に属している。独立後の79年に野党連合の主柱ニュー・ジュエル運動党(NJM)によるクーデタでビショップ首相の人民革命政権が誕生し,ソ連,キューバ寄りの社会主義路線を歩んだが,83年10月,内紛を契機にアメリカおよびカリブ6ヵ国の軍事侵攻をうけて,人民革命政権は崩壊した。侵攻後はアメリカの主導下で社会主義色の一掃が進められ,84年の総選挙では親米中道3党で結成された新国民党が圧勝した。その後,90年の総選挙では野党,国民民主会議を中心にした連立政権となったが,深刻な失業問題を解決することができず,95年の選挙では再び新国民党が政権に復帰した。

 グレナダは〈香辛料の島〉といわれており,ニクズクの種であるナツメグの生産量は世界第2位,またニクズクの種皮で高級香辛料となるメースの生産量は世界の25%を占めている。この他,バナナやココアなどの熱帯農産物生産がグレナダの主要産業であり,労働人口の多くが農業関連の産業に従事してきた。しかし,EUがバナナ輸入における優遇措置撤廃を検討するなど輸出向け農業を取りまく環境は厳しくなっており,代わって,きれいな海と白い砂浜を利用した観光産業の開発が進められている。しかし産業の多角化は若年人口の多いこの国の労働人口を十分に吸収するにはいたっておらず,95年の1人当り国民総生産も2980ドルで,カリブ海諸国の中でも低い水準にとどまり,イギリスからの経済援助に頼らざるをえない状況にある。
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百科事典マイペディア 「グレナダ」の意味・わかりやすい解説

グレナダ

◎正式名称−グレナダGrenada。◎面積−344km2。◎人口−10万3000人(2011)。◎首都−セント・ジョージズSt.George's(4万人,2011)。◎住民−黒人53%,ムラート42%,東インド人4%など。◎宗教−カトリック53%,英国国教会14%など。◎言語−英語(公用語),クレオール。◎通貨−東カリブ・ドルEastern Caribbean Dollar。◎元首−英女王エリザベス2世,総督セシル・ラグレナーCecile LA GRENADE(2013年5月就任)が代行。◎首相−ミッチェルKeith Mitchell(2013年2月就任)。◎憲法−1974年2月発効。◎国会−二院制。上院(定員13,10人は首相が任命,任期5年),下院(定員15,任期5年)。最近の選挙は2013年2月。◎GDP−6億ドル(2008)。◎1人当りGNP−4420ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−12%(1993)。◎平均寿命−男70.3歳,女75.3歳(2013)。◎乳児死亡率−9‰(2010)。◎識字率−96.0%(2004)。    *    *中米,西インド諸島,ウィンドワード諸島最南端の火山島国。最高峰は標高838m。ナツメグなど香辛料の産地として知られ,ほかにカカオ,バナナ,綿花などを産する。 1498年にコロンブスが到達,1674年からフランスが植民したが,1762年英領となった。現在のグレナダ国民の多くは,この間に植民地経営のためにアフリカから連れて来られた黒人の子孫である。1974年2月独立し,自治領時代からのゲーリー首相が政権を掌握したが,1979年クーデタによって打倒され,左翼のビショップが首相に就任した。1983年急進派がクーデタを起こしたが,直後に米国が軍事侵攻(グレナダ侵攻)して新政権を制圧し,1984年親米政権が樹立された。1999年1月下院選挙では野党は惨敗し,新国民党が全議席を獲得したが,2003年11月下院選挙では国民民主会議が躍進し,新国民党が小差で過半数を制した。2008年7月の総選挙で,野党国民民主党が勝利,13年ぶりに政権が交代した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレナダ」の意味・わかりやすい解説

グレナダ
Grenada

正式名称 グレナダ。
面積 344km2
人口 11万4800(2021推計)。
首都 セントジョージズ

西インド諸島東部,小アンティル諸島南東部,ウィンドワード諸島南端にある島国。ベネズエラ北東岸沖約 150kmに位置するグレナダ島とその北に連なるグレナディーン諸島の南部からなる。グレナダ島は楕円形をした火山島で,森林におおわれた山地が中央を南北に延び,最高峰は北部のセントキャサリン山 (840m) 。短い急流の川が多く,また島の中央部の旧火口にグランデタン湖があり,水資源に恵まれる。熱帯海洋性気候に属し,6~12月が雨季で,年降水量は沿岸部で 1500mm,山地では 5000mmに上るが,乾季には貿易風の影響できわめて快適である。住民の 90%以上は黒人系。公用語は英語で,日常語としても用いられるが,フランス支配のあとが方言や地名に残っている。 1498年コロンブスが「来航」。 1609年イギリス人が植民を試みたが,先住民のカリブ族に撃退された。 1650年フランス人がセントジョージズに植民地を建設,1762年までフランス領。その後 1779~83年フランスに占領されたほかはイギリス領で,アフリカからの黒人奴隷の労働力によりサトウキビを栽培し繁栄。 1833年奴隷制が廃止されたが,農民の土地所有制が急速に進んだため,カリブ海の他の島々に比して打撃が少なかった。 1885~1958年イギリス領ウィンドワード諸島に属し,その中心地であった。 1958~62年西インド諸島連邦の一員。 1967年西インド諸島連合州の一州となり自治権を獲得したのち,1974年2月7日独立,イギリス連邦の構成国となった。 1979年社会主義のビショップ政権が誕生したが,1983年ビショップ暗殺とともにアメリカ合衆国軍とカリブ海諸国軍が「グレナダ侵攻」を行ない,左翼政権を打倒した。主産業は農業で,「香料島」の名で知られるようにニクズクをはじめとする香料植物の栽培が盛ん。ほかにバナナ,カカオが主要作物で,いずれも主要輸出品となっている。また 1984年セントジョージズ郊外に国際空港が完成して以来,観光業が重要な収入源となってきた。島内交通は道路が中心で,海路,空路によりカリブ海諸島をはじめ,アメリカ合衆国やヨーロッパとも連絡。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「グレナダ」の解説

グレナダ
Grenada

カリブ海東部の小アンティル諸島南端に位置する島。1650年マルティニック島のフランス総督が植民,74年フランス王領となったが,七年戦争パリ条約で1763年イギリス領となった。先住カリブ人の抵抗が続いたが,95年に制圧された。1958~62年西インド諸島連合の一員となった。74年に独立したのち,79年にM.ビショップらが無血クーデタを起こし,親社会主義政権が誕生した。83年に政権内部の抗争を契機としてアメリカおよびカリブ6カ国が軍事介入を行い,親米政権となった。

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