グーテンベルク(英語表記)Johannes Gutenberg

精選版 日本国語大辞典 「グーテンベルク」の意味・読み・例文・類語

グーテンベルク

(Johannes Gutenberg ヨハネス━) (本名 Johannes Gensfleisch ヨハネス=ゲンスフライシュ。グーテンベルクは通称) ドイツの活版印刷の発明者。鋳型によって活字を作り、印刷機を発明。「四二行聖書」「カトリコン」および免罪符を印刷。一四六八年没。

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デジタル大辞泉 「グーテンベルク」の意味・読み・例文・類語

グーテンベルク(Johannes Gensfleish Gutenberg)

[1400ころ~1468ころ]ドイツの技術者。活字印刷術の発明者とされる。1450年ごろ、鋳造活字を使った印刷機を考案してマインツで印刷所を開業。印刷した聖書は「グーテンベルク聖書」として知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「グーテンベルク」の意味・わかりやすい解説

グーテンベルク
Johannes Gutenberg
生没年:1397-1468

活字鋳造・活版印刷術の発明者。ドイツ,マインツの生れ。父は同地の高級官吏フリーレ・ゲンスフライシュFriele Gensfleischで,本名はJohannes Gensfleisch zur Laden。グーテンベルクは母方の姓による通称。その生涯は今日なお不明の点が多く,生年には1394-1402年の幅で諸説がある。ここではマインツ市グーテンベルク博物館(1900創建,62再建)の説を採る。一般に印刷術と火薬と羅針盤は世界の秩序を変えたルネサンス期の三大発明とされるが,ライン川とマイン川の合流点に近い中世以来の文化都市・商業都市マインツは,ヨーロッパにおける印刷術発祥地であり,この地で書物の機械的製作という新技術の先頭に立ったのが,グーテンベルクである。当時の手引き印刷機を復元した博物館蔵木製プレスは,再度日本に搬送され,実演もされた。1434年から44年までストラスブールで文字の機械的再生について考案を重ね,再びマインツに戻ったグーテンベルクは,書物をたやすく安くつくる,つまり1冊の本をつくるのと同じ時間で数百の本をつくるという着想を,印刷機のかたちで実現させた。可動式の金属活字として,鉛,スズ,アンチモン,少量のビスマスの合金を溶かしたものが,鋼鉄製の字母に鋳込んでつくられ,これを良質の印刷インキと紙と羊皮紙など(パーチメントあるいはベラム)と,たくみに組み合わせ,55年に四十二行聖書と呼ばれる美しいラテン語聖書の機械的印刷が完成した。当初に出版されたのは200冊ほどでグーテンベルク聖書とも呼ばれる。それはゴシック書体の傑作であるうえ,いずれの点からみても非のうちどころのない活版印刷最初の本であり,人はその語間から発する精神に,読む以前すでに打たれたという。しかし各種の実験に財産全部を使いはたし,マインツの資産家フストJohannes Fust(?-1466)から借入した資本金を返済できず,グーテンベルクは訴訟でその提携を解消された。55年11月以後,事業はフストの手に移り,グーテンベルクの弟子シェファーPeter Schöffer(?-1503)とフストの共同で聖書の出版はつづけられた。貧困と人々の忘却のなかで亡くなったが,彼の発明した技術は急速に全ヨーロッパに広まり,宗教改革科学革命を促した。なお,西洋式活版印刷の発明については,1423年オランダのL.J.コステルとする説,イタリア説,チェコ説などがある。
執筆者:

グーテンベルク
Erich Gutenberg
生没年:1897-1984

ドイツの経営経済学者。ウェストファーレン州ヘルフォルトに生まれる。フランクフルト大学卒業後,実業界生活を経て学問の世界に入り,イェーナ大学,ゲーテ大学などを経て,1951年シュマーレンバハの後継者としてケルン大学に迎えられた。代表的著作の《経営経済学原理》全3巻(1951-69)は,生産過程の把握に重点を置き,経営過程を基本的要素(労働給付,経営手段,材料)と派生的要素(営業指導と経営指導)の最終過程に分け,要素投入と要素収益との生産性関係が,狭義には生産理論と原価理論の基礎をなし,広義には企業活動すべてに中心的意義をもつとした。また本書は数式展開が多く,1950年代に大方法論争の引金にもなった。とくに経営経済学における没価値性,数学的方法の利用,国民経済学に対する経営経済学の関係などがその論争の的となった。メレロビッツとの間の激しい費用論争,方法論争は有名である。本書出版後,彼の理論を出発点として多くの研究論文が発表され,生産・投資計画などの研究へと拡大されていった。
執筆者:

グーテンベルク
Beno Gutenberg
生没年:1889-1960

アメリカの地震学者。ドイツのダルムシュタットに生まれ,ゲッティンゲン大学に学び,J.E.ウィーヒェルトの創立にかかるゲッティンゲン大学地球物理学教室へ入った。1914年地球の中心部にある核の大きさを半径3500kmと決定した。そのころストラスブールの大学へ就職したが,第1次大戦後はフランクフルト・アム・マインの大学の教授となった。30年アメリカのカリフォルニア州パサデナへ移り,カリフォルニア工科大学教授となる。36年アメリカに帰化。パサデナの地震研究所で研究を進め,47年所長。1930年代にはC.F.リヒターとともに地震のマグニチュードを定義し地震学に大きな進歩をもたらした。45年には《地球の地震活動度Seismicity of the Earth》という本を著し,この中で有名なマグニチュード別の地震の頻度の式を与えた。59年《地球内部の物理学Physics of the Earth's Interior》を出版し,永年にわたる地球内部構造の研究をまとめた。
執筆者:

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図書館情報学用語辞典 第5版 「グーテンベルク」の解説

グーテンベルク

1400?-1468.ドイツのマインツ生まれ.活版印刷術の発明者といわれ,鉛とアンチモンと鍚の合金による活字鋳造,油性インキの改良,ブドウ搾り用の木製プレスを応用した印刷機の考案により,活版印刷の普及をもたらした.グーテンベルクの名入りの印刷物は存在しないが,1454年から免罪符や暦などの一枚ものの印刷を試み,1455年頃には残存する世界最初の活字印刷本『42行聖書』を印行した.図書の大量生産を可能にした活版印刷術の発明は,宗教改革時代の小冊子類の印刷や科学書の出版など知識の普及拡大に多大な役割を果たし,今日のコンピュータ革命に匹敵するメディア革命として論じられている.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グーテンベルク」の意味・わかりやすい解説

グーテンベルク
Gutenberg, Erich

[生]1897.12.13. ノルトラインウェストファーレン,ヘルフォルト
[没]1984.5.22. ケルン
ドイツの経営経済学者。ハレ大学で近代経済学を専攻し,1921年博士号を取得して一時産業界へ出たが,その後フランクフルト大学で経営経済学を研究,1928年ミュンスター大学で教授資格を得て経営監査士として再び産業界で活躍し,1938年クラウスタール鉱山専門学校講座外教授。 1940年イェナ大学,1947年フランクフルト大学,1951年ケルン大学各教授。 1966年退官。近代経済学的手法を駆使して,経営経済理論の近代化に貢献した。生産理論,費用理論,価格理論にその成果がみられる。主著"Die Unternehmung als Gegenstand betriebswirtschaftlicher Theorie" (1929) ,『経営経済学原理』 Grundlagen der Betriebswirtschaftslehre (2巻,1955) ,『経営経済学入門』 Einführung in die Betriebswirtschaftslehre (1958) ,"Untersuchungen über die Investitionsentscheidungen industrieller Unternehmen" (1959) ,『企業の組織と意思決定』 Unternehmensführung (1962) 。

グーテンベルク
Gutenberg, Johannes

[生]? マインツ
[没]1468.2.3? マインツ
ドイツの活字印刷術創始者とされている人物。生年は 1394~99年と推定されている。グーテンベルクは母の姓で,本名はヨハネス・ゲンスフライシュ。マインツの貴族の家に生れ,飾り職ギルドに入り,金属細工に長じた。 1434年頃シュトラスブルク (ストラスブール) に行き,滞在中にワインしぼり機を利用して活字印刷機をつくった。 44~45年頃マインツに帰り,50年頃金細工師 J.フストと提携,彼の資金で印刷所を設けた。 52年『42行聖書』の活字組立てが始り,その後『36行聖書』の組版もつくられた。 55年両者の不和から裁判となり,印刷所はフストと写本業者 P.シェーファーの手に渡り,彼自身は K.フンマーの援助を得て印刷業を再建,60年には 42行活字よりもさらに小さい活字により一種の辞書『カトリコン』を印刷したとされる。 65年,マインツ大司教,ナッサウ伯から年金を受け,ようやく生活の安定を得た。なお,彼の生涯には不明な点が多く,活版印刷術の発明についても,『42行聖書』その他についても諸説がある。

グーテンベルク
Gutenberg, Beno

[生]1889.6.4. ダルムシュタット
[没]1960.1.25. カリフォルニア,パサディナ
ドイツ生れのアメリカの地球物理学者。ゲッティンゲン大学卒業。シュトラスブルクの国際地震学協会の助手 (1911~18) ,フランクフルトアムマイン大学の私講師を経て,地球物理学教授 (26) 。カリフォルニア工科大学教授 (30~57) 。パサディナ地震研究所所長 (47) 。地球内部のマントルとコアの境の深さを 3500kmと決定。地震のマグニチュードを定義し,それを用いて地震の強さと頻度の関係式を与え,地震学の進歩に貢献した。著書『地球内部の物理学』 Physics of the Earth's Interior (59) 。

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百科事典マイペディア 「グーテンベルク」の意味・わかりやすい解説

グーテンベルク

ドイツの活版印刷術発明者。マインツ生れの金細工人で,1440年ごろから印刷を研究,1450年ごろ鉛,スズ,アンチモン,少量のビスマスの合金の鋳造活字による印刷術を完成。そのころJ.フストの出資で印刷所を始め,《四十二行聖書》を刊行した。事業は破産したが,その後も印刷術の改良に尽くした。なお西洋での活版印刷の発明は,1423年オランダのL.J.コステルによるとする説などもある。→活字
→関連項目インクナビュラ印刷タイポグラフィーマインツ

グーテンベルク

ドイツ生れの米国の地震学者。ゲッティンゲン大学卒,フランクフルト大学教授。第2次大戦中ナチスの弾圧をのがれて米国に移住し帰化。カリフォルニア工科大学でパサデナ地震観測所を創設。地震の規模別頻度(ひんど)分布や地球内部構造の研究などに著名な業績が多い。
→関連項目グーテンベルク=ウィーヒェルト不連続面リヒター=グーテンベルク不連続面

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「グーテンベルク」の解説

グーテンベルク
Johannes Gutenberg

1400頃~68

活版印刷術の発明者。ドイツのマインツに生まれ,シュトラスブルク(ストラスブール)で印刷術を研究,1440年頃一応完成。48年マインツに帰って印刷業開業。『42行聖書』(『グーテンベルク聖書』55年頃)などを印刷したが,事業は困難続きで生活も困窮,晩年マインツ大司教の保護を受けた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「グーテンベルク」の解説

グーテンベルク
Johann Gutenberg

1400ごろ〜68
ドイツの活字印刷の先駆者
15世紀半ばごろ,マインツにおいて,ぶどう圧搾機を改良した印刷機と良質のインクを組みあわせ,ラテン語の『聖書』を印刷した。この技術開発は,宗教改革や科学革命に影響を与えた。印刷所の経営には失敗し,貧困の中で死去。

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367日誕生日大事典 「グーテンベルク」の解説

グーテンベルク

生年月日:1897年12月13日
ドイツの経営経済学者
1984年没

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世界大百科事典(旧版)内のグーテンベルクの言及

【経営学】より

… こうした論争を通じて,(1)理論学派,(2)技術論学派,(3)規範論学派がそれぞれその時々の経営経済学の主流を形成してきた動きこそ,1920年代の産業合理化期,30~40年代のナチス期,第2次大戦後の西ドイツの〈経済の奇跡〉といわれる時期,70年代のオイル・ショック,公害,エコロジー運動の時期にあっても,企業の在り方をめぐりつねに問われてきた問題点であった。(1)理論学派はM.R.ワイヤーマン,H.シェーニッツ,W.リーガー,E.グーテンベルク,H.アルバハらにその系譜をみるが,彼らに共通の主張は,経営経済学が資本主義的企業の本質とその因果法則の解明に主眼をおき,現実の企業との間に一定の距離を保ちながら,理論科学であることに力点をおいたことである。(2)技術論学派は簿記,会計学にたけた初期の研究者,さらにE.シュマーレンバハ,F.ライトナー,K.メレロビッツ,E.ハイネンらにその流れを求めることができるが,この学派は経営経済学が経営者に企業の健全性,存続のための処方箋を示すことにあるとシュマーレンバハが指摘したように,実践的・応用的側面を強調するものであった。…

【印刷】より


[活版印刷の誕生]
 ヨーロッパに活字印刷(活版印刷)が始まったのは15世紀半ばであるが,その最初の考案者が誰であったかについては異説がある。その中で有力なのはオランダ人コステルJ.Costerとドイツ人グーテンベルクJ.Gutenbergをあげる説である。主としてオランダ人学者の説によると,コステルはすでに1423年ごろ活字印刷術を発明しており,グーテンベルクはその技術を盗んだというが,明確な点はまだ確かめられていない。…

【印刷】より


[活版印刷の誕生]
 ヨーロッパに活字印刷(活版印刷)が始まったのは15世紀半ばであるが,その最初の考案者が誰であったかについては異説がある。その中で有力なのはオランダ人コステルJ.Costerとドイツ人グーテンベルクJ.Gutenbergをあげる説である。主としてオランダ人学者の説によると,コステルはすでに1423年ごろ活字印刷術を発明しており,グーテンベルクはその技術を盗んだというが,明確な点はまだ確かめられていない。…

【印刷機】より

…このほかのまったく新しい考えによるものにインキジェットプリンター(インキジェット印刷)などのノンインパクトプリンターがある。
[印刷機の歴史]
 ドイツのJ.グーテンベルクが活版印刷術を発明したとき(15世紀中ごろ)使用した印刷機は,ブドウをしぼるために用いた圧搾器を利用したものであった。機械というにはあまりに簡単な装置であるが,現在の印刷機の原点として評価される。…

【著作権】より

… やがて活版印刷術が開発され,新しい時代を迎える。15世紀,ドイツのマインツでヨハン・グーテンベルクの発明した活版印刷術が急速にヨーロッパの各地に広まるにつれ,著作物に関して財産的な権利を認める思想が芽生えてくる。もっとも,当初は,聖書や古典の印刷がふつうであったから,著作物または著作者ではなくて,むしろ出版者を保護するものであった。…

【マス・メディア】より

…メディウムの類語には〈記号のりものsign‐vehicle〉がある。 メディウムの大量生産は,15世紀半ばグーテンベルクによる(異説もある)印刷術の発明で可能になった。すなわち雑誌や新聞,パンフレットなどの印刷物が,最初のマス・メディアである。…

【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より

…しかし,これらの施設はあくまでも一部のエリートのための〈ラテン語教育〉の機関であって,民衆レベルでの読み書きそろばんの普及に貢献するものではなかった。また,15世紀中葉J.グーテンベルクによって金属活字印刷術が発明され,ヨーロッパの各地に続々と印刷工房が生まれたが,手写本と比較してはるかに安価に製作された印刷本にしても,当初は教会や学者・学生を対象にしたもので,その大半は民衆の日常生活とは無縁のラテン語書で占められていた。ラテン語教育
[16~18世紀]
 民衆の読み書きそろばんの歴史において著しく貢献したのは,宗教改革以後のプロテスタント教会とカトリック教会である。…

※「グーテンベルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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