コロンビア(国)(読み)ころんびあ(英語表記)Colombia

翻訳|Colombia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コロンビア(国)」の意味・わかりやすい解説

コロンビア(国)
ころんびあ
Colombia

南アメリカ大陸の北西隅にある共和国。正式名称はRepública de Colombiaといい、国名のコロンビアはアメリカ大陸の「発見者」コロンブスに由来する。西は太平洋、北はカリブ海に臨み、北西部でパナマに、東はベネズエラとブラジルに、南はエクアドルとペルーに接する。古代の黄金文化とコロンビア・コーヒーとで日本にもなじみが深い。1985年11月、同国中西部のネバド・デル・ルイス(ルイス火山、5399メートル)が噴火、火山灰と融雪による大洪水が発生し、近くの町アルメロ周辺が泥流で埋まり、2万人を超える死者を出した。面積114万1748平方キロメートル、人口4153万7000(1999推計)、4416万4417(2018センサス)。首都はボゴタ。

[山本正三]

自然

国土の南東部と北西部は対照的な地形を示している。東部および南東部はギアナ高原の一部に属する高原地帯、オリノコ川沿いのリャノとよばれる大草原地帯、アマゾン川沿いの密林地帯からなり、大半は未開発の草原と森林に覆われている。

 北西部ではアンデス山脈の北端部がオリエンタル山脈(コルディエラ・オリエンタル)、セントラル山脈(コルディエラ・セントラル)、オクシデンタル山脈(コルディエラ・オクシデンタル)に分かれ、扇形状に広がっている。セントラル山脈がもっとも高く、オクシデンタル山脈との間にはカウカ川、オリエンタル山脈との間にはマグダレナ川が流れている。各山脈とも火成岩、変成岩の基盤の上に堆積(たいせき)岩が重なり、そこへさらに火山灰の積もっている所が多い。オリエンタル山脈は5000メートルを超える褶曲(しゅうきょく)山脈であり、エクアドル国境近くでセントラル山脈から分かれて北に走り、やがて北東に向かってベネズエラとの国境に達する。この山脈の内部にある多くの山間盆地は、この国の主要な生活空間となっており、ボゴタやソガモソなどの盆地はその好例である。土地が肥沃(ひよく)なため産物も豊富で、人口密度が高く、文化も発達している。セントラル山脈は幅50~60キロメートル、長さ800キロメートルにも及び、そのうえ5000メートルを超える火山を頂き、この国の交通上著しい障害となっている。3485メートルの高度に、古来ボゴタからカウカ河谷を経てブエナベントゥラ港に至る重要なキンディオ街道が通っている。マグダレナ川にカウカ川が合流するあたりが山脈の北端で、この付近の準平原化された花崗(かこう)岩の高地には金鉱脈が点在し、古くから重要な産金地になっている。オクシデンタル山脈は狭い太平洋岸の海岸平野のすぐ東にあり、高度は3000メートルを超えず、北上するにつれて低くなる。植物が繁茂し、太平洋側斜面は急峻(きゅうしゅん)なうえに湿潤である。同山脈にはカウカ河谷のカリと太平洋岸のブエナベントゥラ港を結ぶ重要な鞍部(あんぶ)がある。

 太平洋岸の海岸線は約1300キロメートル、カリブ海岸は1600キロメートルである。太平洋側の海岸平野は、不健康地のうえ途中を山々に遮られているので経済的意義は少ない。カリブ海側は低地続きで暑く、その北東部のみが山地で、この国の最高峰クリストバル・コロン山(5800メートル)がそびえる。カリブ海上のサン・アンドレス島、プロビデンシア島、太平洋のマルペロ島がコロンビア領になっている。

 国土の大部分が赤道と北緯10度の間にあるので、標高900メートル以下の地帯(ティエラ・カリエンテ)は高温多湿で不健康地が多く、典型的な赤道雨林地帯である。しかし低地の健康条件も、1970年代以降の合成薬の開発によるマラリア退治などによりかなり改善されてきている。山地では高度に応じて気候が変化し、標高900~2000メートルの地帯(ティエラ・テンプラダ)は亜熱帯気候で、おもにコーヒー栽培が行われている。2000~3000メートルの地帯(ティエラ・フリア)は温帯気候で、そこに山間盆地がある。この盆地では、平均気温が一年中14~15℃、年降水量も1000ミリメートル内外で、気候は快適であり、麦類や豆類、ジャガイモの栽培が盛んである。標高3000~4500メートルまでが荒涼とした樹木の乏しい草原地帯(パラモス)で、牧場に利用されている。標高約4500メートルで雪線に達し、それ以上の地帯は氷雪の地となる。

[山本正三]

地誌

コロンビアは自然の変化が大きく、東西方向の交通が不便なため、経済的にも政治的にも細分されて地域差が著しい。国土はカリブ海岸低地、太平洋低地、東部平原地域、アンデス地域に区分できる。

 カリブ海岸低地は、低い丘陵、海岸段丘、河川沖積地などで、植民時代初期には重きをなしていたが、いまでは全人口の十数%がバランキヤカルタヘナ、サンタ・マルタなどの都市に住んでいる程度である。気候は暑く、東から西へ行くほど降水量が多くなる。カウカ、マグダレナ両川の合流点付近では雨林地帯になっている。海岸低地では伝統的な牧畜が行われ、シヌ川、セサル川の排水良好な沖積地では綿花とゴマを中心にした大規模な農業開発が進められている。ウラバ湾に面するトゥルボはバナナの主産地である。

 太平洋岸低地は狭い海岸地帯で、年降水量が5000ミリメートル以上に達する大雨林地帯をなしており、農業にはあまり適しない。川が主たる交通機関で、農業開拓はその自然堤防の上に限られている。東部平原地域は、アンデスの東側山腹を流れ下る諸河川がつくった広大な扇状地で、コロンビア全土の3分の2の面積を占めるが、人口では2%足らずしかない。北部のオリノコ川流域は土壌が比較的良好で、広いリャノのサバナは早くから牧畜地になっている。アマゾン川流域には草原が少なく、セルバとよばれる濃密な雨林が多い。

 アンデス地域は気候が温和で、鉱物資源に富み、先住民人口も多いため、植民地時代以来いまなおコロンビアの政治、経済の中心をなしており、総人口の78%を占め、三大都市のボゴタ、メデリン、カリを擁する。もっとも人口が稠密(ちゅうみつ)で、文化の中心をなしているのはオリエンタル山脈地域で、ジャガイモ、小麦、タバコ、コーヒーなどを産し、マグダレナ川を利用する交通が発達していた。セントラルおよびオクシデンタル山脈地域は、オリエンタル山脈より険しい火山性の地域であるが、牧草、サトウキビ、タバコ、コーヒーなどを産し、カリやメデリンは商工業都市の性格を帯びてきている。

[山本正三]

歴史

コロンビアの古代民族の歴史の全貌(ぜんぼう)は謎(なぞ)に包まれているが、12世紀ごろ種々の地方文化が発展していた。スペインは1525年にサンタ・マルタの町を建設してコロンビアの征服を開始した。1536年から1538年にかけて、征服者ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサダGonzaro Gimenez de Quesadaはマグダレナ川上流のチブチャ人の首都ボゴタに遠征し、これを占領してサンタフェ要塞(ようさい)を築いた。ケサダはボゴタをサンタフェ・デ・ボゴタと改め、この地方をヌエバ・グラナダと名づけた。1539年までに内陸の主要な植民都市のほとんどが建設され、以後3世紀に及ぶスペインの支配が確立された。18世紀の初めまでペルーの総督に統治されたが、1718年ごろから現在のコロンビアとベネズエラ、パナマを含めたヌエバ・グラナダ総督府が統治した。

 植民地に対するスペイン本国の過酷な支配は、植民地住民の不満を募らせ、1810年にナリニョNariño(1765―1823)を指導者とする最初の独立革命が起こった。1819年には国民的英雄シモン・ボリーバルがヌエバ・グラナダに侵攻し、ボヤカにスペイン軍を破り、今日のコロンビア、パナマ、ベネズエラ、エクアドルを含む大コロンビア共和国が誕生した。しかし、中央集権主義者と連邦主義者の対立が起こり、1830年に大コロンビア共和国は解体し、コロンビアとパナマからなるヌエバ・グラナダ共和国が生まれた。その後、国名はしばしば変更されたが、1886年にコロンビア共和国と改称された。

 独立闘争以来、権力を握った大地主階級と外国資本が結び付いて、コロンビアの社会経済的発展はゆがめられていった。それが典型的に現れたのはパナマ地域の独立であった。20世紀初め、パナマ運河建設に関連してコロンビアはアメリカと対立し、パナマはアメリカの援助のもとに1903年に独立を宣言し、アメリカに運河工事を許可した。コロンビア政府はアメリカの政策に有効に対処できず、1914年にパナマの独立を承認した。その後、比較的安定した民主政治が続いた。第二次世界大戦後は、1947年に「全米相互援助条約」に加盟、1952年にはアメリカとの間に軍事援助協定が結ばれるなど、親米反共的外交政策をとっていた。一方、コロンビア人民の生活が独占資本の支配によって耐えがたいものになるにつれて、民族解放を唱えるゲリラ闘争が1960年代に激化した。1970年代以降は麻薬シンジケートによるテロ事件に加え、左翼ゲリラ勢力も存続しているが、1980年代後半以降は武装闘争を放棄して合法政党化の姿勢をみせる勢力も出てきた。なお、この地域には古い土器が出土し、古代文化の存在が知られている。

[山本正三]

政治・外交・軍事

1891年に発効した新憲法では立憲民主共和制がしかれており、死刑廃止、参政権の男女平等、人身保護令要請権、信仰・集会・労働・思想・教育の自由などが保障されている。立法権は上院(定員102名、任期4年)と下院(定員166名、任期4年)からなる議会に属し、上・下院とも直接選挙により選出される。上院の被選挙権は30歳以上で公職従事の経験者にあり、下院のそれは25歳以上の者にある。政党としては、保守党と自由党が最大の政党として存在し、独立以来、両党の政争と、それに伴う変革が繰り返されてきた。保守党はかつての半封建的勢力の利益を代表し、スペインの植民地支配体制を維持し、現在も大地主や大ブルジョア階級の利益を擁護している。自由党はかつて奴隷労働やカトリック教会の封建的支配に反対する勢力として進歩的性格をもっていたが、現在ではブルジョア階級の利益を代表している。司法権は最高裁判所、上級裁判所、行政裁判所、地方裁判所、町村裁判所により行使されている。行政の最高責任は大統領にある。1957年の憲法修正で、大統領は国民戦線方式(政治休戦)により保守党と自由党の持ち回りと決められたが、1974年に通常の選挙が復活、大統領は国民の直接選挙で選出され、任期は4年で、再選は認められていない。地方行政は32県、5特別地区、1首都特別区に分かれる。

 コロンビアは深刻な政治的、社会的問題を抱えており、治安が悪く、アメリカへ密輸されるコカインの大部分はコロンビアからのものであり、メデジン・カルテルやカリ・カルテルとよばれる麻薬業者のシンジケートが牛耳(ぎゅうじ)っている。麻薬業者は国際的な非合法ネットワークを背景に、麻薬に関連したテロ事件を繰り返してきた。アメリカは1994年にコロンビア麻薬対策非協力国として経済制裁を課そうとし、この年に発足したサンペール新政権は麻薬テロ対策を推進し、対アメリカ関係の改善と社会経済開発計画を押し進めてきた。

[山本正三]

産業・経済

コロンビアは経済的に開発の後れた国で、農業が主要産業である。国民総生産(GNP)に占める第一次産業の割合は15.7%(1992推計)、全就業人口中に占める農林・漁業人口の割合は24.7%(1994)であるが、可耕地は546万ヘクタールで国土総面積の4.8%にすぎない。農業の発展はきわめて遅々としているが、その主要な障害は大土地所有制である。そのことは、土地のない農民が多数いることと、前近代的農業形態が支配的であることも意味している。輸出用農産物としてコーヒー、バナナ、タバコが、国内消費用としてトウモロコシ、小麦、米などが栽培されている。

 コーヒーの生産は世界第2位で、その収穫高は68万4000トン(1994)、世界全体の12.6%を占めている。コーヒーは1850年以降、オリエンタル山脈でプランテーション作物として取り入れられ、コーヒー栽培が開始されたが、コーヒーが重要な輸出農産物になったのは1880年代以降であった。マグダレナ川からメデリンまでの鉄道が開通して、アンティオキア県南西部の火山斜面とカルダス県の土地はコーヒー・プランテーションに変えられていった。そして現在まで、キンディオ県のアルメニア周辺はコロンビアでもっとも重要なコーヒーの産地になっている。ほかに、クンディナマルカ、サンタンデル、ノルテ・デ・サンタンデルの諸県も重要なコーヒーの産地である。市価の維持、統制栽培のため、コーヒー生産者連合会が組織されている。また、成熟期を長くするため日陰で栽培し、よく熟したコーヒー豆を手で収穫して、コロンビア・コーヒーの品質は高く保たれている。コロンビア・コーヒーはマイルド種であり、通常ブラジル・コーヒーなどの強い種類のものとブレンドされて用いられている。

 アメリカのユナイテッド・フルーツ社による大規模栽培に始まったバナナは、コーヒーに次いで重要な輸出農産物である。バナナ生産の中心地域はサンタ・マルタ地方からアンティオキア県トゥルボ地方以南へ移動した。トゥルボの南の地域は灌漑(かんがい)を必要とせず、バナナの風倒の被害と病虫害が非常に少ない所である。バナナはおもにヨーロッパ市場に向けて輸出されている。

 砂糖生産は1959年に自給可能となり、61年に輸出を実現するとともに国際砂糖協定の一員となった。砂糖の生産量は196万4000トン(1994)である。サトウキビの主要栽培地はカウカ川流域の平野である。

 工業生産は大きく立ち後れている。主要生産物はセメント、砂糖、小麦粉、綿糸などの軽工業製品で、重工業製品はみるべきものはない。しかし、低廉で豊富な水力発電と石炭・石油の利用により、コロンビアの工業は発達しつつあり、コロンビア政府も鉄鉱生産に力を入れ始めている。国民総生産中に占める製造業の割合は約35%であるが、食料品の100%、繊維の90%は国内自給できるようになった。

 地下資源は豊富である。17世紀から18世紀にかけて、ヌエバ・グラナダは世界の主要な産金地域の一つであった。今日でもチョコ川とカウカ川の砂利から金が採掘され、金の生産額はラテンアメリカ第3位、世界第14位である。エメラルドはボヤカ県の鉱山で産し、コロンビアは世界のエメラルドの主要生産国になっている。ほかに銀やプラチナ、岩塩、石炭、鉄鉱石なども豊富であるが、開発はきわめて遅れている。

 もっとも重要な地下資源は石油で、埋蔵量は推定で5億5700万キロリットル、石油生産は3366万キロリットル(1995)である。マグダレナ川中流域とカタトゥンボ川流域の油田は過去40年以上にもわたって石油を産出し、国内消費の余剰が輸出されていた。国産の石油は、マグダレナ川中流域やカルタヘナ、バランキヤなどの港湾都市で火力発電の燃料になっている。1966年には、エクアドル国境近くのプトゥマヨ県に新しい油田が発見され、太平洋岸の港湾都市トゥマコまでパイプラインが引かれた。石油化学と石油精製の二大中心はバランカベルメハとマモナールで、ここまで石油と天然ガスのパイプラインが内陸から引かれている。石油利権をもつおもなものは、デ・マレスのコロンビア石油産業、バルコのコロンビア石油会社、ヨンドのシェル石油などである。石油の産出量の増加がコロンビアの経済活性化に大きく寄与し始めている。

[山本正三]

貿易

貿易相手国はアメリカが輸出および輸入とも第1位で、それぞれ36.7%、38.4%を占めている(1994)。ついで輸出入とも、EU(ヨーロッパ連合)諸国、アンデス共同体(ボリビア、エクアドル、ベネズエラ、ペルー)、日本が続いている。コーヒーとバナナの輸出が外貨の20%以上を占め、石油、石炭などがこれに続いている。主要輸入品は機械、自動車、モーター、鉄鋼、化学製品などで、工業製品が53%を占めている。この国最大のブエナベントゥラ港がコロンビアの貿易の過半数を取り扱っている。

 日本との貿易では、輸出、輸入額はそれぞれ2億6374万ドル、5億6621万ドル(2000)で、貿易収支はかなり赤字である。輸出品はコーヒー、貴石と半貴石、エビ、銅鉱石、綿花であり、おもな輸入品は電気機械、機械類、鉄鉱石、自動車である。

[山本正三]

交通

初期のコロンビアの交通は河川交通に依存していた。マグダレナ川の下流は河口からラ・ドラーダまでの約1000キロメートルが航行可能で、内陸地方と海岸、さらに外国とを結ぶ生命線になっていた。カリとブエナベントゥラ間の鉄道と道路が開通するまで、カウカ河谷の商業やカルダス県のコーヒーはマグダレナ川を通って輸送されていた。現在、河川交通は幹線道路や鉄道、パイプラインと競合し、ほとんど利用されていない。

 陸上交通網の不備は開発上の最大の欠陥で、1950年代から1960年代にかけて、コロンビアは国内の自動車道路網の拡張、改良計画に着手し、とくに主要都市と海港・河港とを結ぶ道路建設に力を入れた。ボゴタとこの国第一の港ブエナベントゥラを結ぶ道路と鉄道の改善、メデリン―カルタヘナ道路およびボゴタとサンタ・マルタを結ぶマグダレナ鉄道の完成は、交通システムを変化させただけでなく、コロンビアの産業経済にも大きな影響を与えた。しかし、主要都市は海岸から隔てられた内陸にあり、いまだ交通困難の状態である。

 航空交通は、1920年にマグダレナ河谷で操業した現コロンビア航空アビアンカの前身の会社に始まる。陸上交通が不便なため、航空はコロンビアの重要な交通となっている。また、多くの貨物が空輸されており、このような航空貨物輸送は陸上交通網の発展をいっそう後らせている。ボゴタとメデリンの間を35分間で飛行する運賃は、南アメリカでもっとも屈曲の多い山道を越える24時間のトラック行程の運賃とあまり変わらない。

[山本正三]

社会・文化

コロンビアは他のアンデス諸国と違って、メスティソ(白人と先住民との混血)と白人が多数を占める国であり、総人口に占める割合はそれぞれ58%、20%である。コロンビアの指導・有産階級はおもに白人とメスティソにより占められている。白人はメデリンおよびマニサレスを中心にセントラル山脈の山間盆地に居住している。白人と黒人の混血であるムラートは総人口の14%を占め、海岸平野部や河谷低地に居住している。黒人は植民地時代にサトウキビ栽培の労働者として移入され、現在では総人口の4%を占める。ほかに、黒人と先住民の混血であるサンボが、総人口の3%を占めている。混血をしていない純粋な先住民は総人口の1%を占めるだけで、オリエンタル山脈やエクアドル国境に近いナリーニョ県、とくにパストに集中している。コロンビアの住民の78%はアンデス山脈地帯に集中し、17%は海岸地帯に住んでいる。

 ローマ・カトリックはコロンビアで公認されてきた唯一の宗教であったが、1936年には国教の地位を外された。しかし、コロンビアのカトリック教会はラテンアメリカ諸国でもっとも強い勢力を保持しており、住民の90%以上はカトリック教徒である。言語はスペイン語で公用語になっている。

 16世紀ごろまでのコロンビアには、チブチャ、キンバヤ、シヌー、タイローナなど先住民諸部族の高度な文化が存在していた。しかし、スペイン人との混血が進み、政治的な力をもった大きな部族集団や言語的統一が存在しなかったため、先住民の文化はスペイン文化に同化され、共通語としてスペイン語が採用されることになった。コロンビアの伝統的な生活様式を示すものは、農民が着用するルアナというポンチョ式外套(がいとう)と、先住民がかぶるフェルトの山高帽である。

 教育制度は初等教育6年が義務制で、さらに4年の中等教育と4年から6年の大学がある。大学は1573年創立のコロンビア大学(ボゴタ)など公立、私立あわせて73校である。

[山本正三]

日本との関係

第二次世界大戦中は一時国交が中断されたが、戦後1954年(昭和29)に国交が再開され、現在両国の外交関係は良好である。両国間には、査証相互免除取決(1962年7月)および技術協力協定(1976年12月)が締結されており、両国国民の関心の高まりや、経済関係の増進を反映して、近年両国要人の往来が活発である。1996年現在、邦人移住者数は1353人で、大部分はカウカ県のパルミラ周辺で農業に従事しており、大農経営で相当の成功を収めている者も少なくない。ボゴタ盆地でカーネーションなど花の栽培を大規模に成功させた者もいる。しかし、1991年東芝社員誘拐事件、1992年マツダ社員殺害事件などのゲリラによる被害があり、日本企業の進出は活発でない。両国間の貿易は、わが国の大幅な出超となっており、コロンビア政府はこの是正を求めているが、片貿易の是正は、同国の輸出産品がコーヒー、エメラルドなど一次産品に限られているほか、対外競争力上の問題からきわめて困難な状況にある。

[山本正三]

『福井英一郎編『世界地理15 ラテンアメリカⅡ』(1978・朝倉書店)』『川崎栄治他著『ラテン・アメリカ事典』(1989・ラテン・アメリカ協会)』『日本貿易振興会編『コロンビア』(1986・同振興会刊)』『大原美範著『海外政治・経済研究レポートシリーズ コロンビア』(1995・科学新聞社)』『三津野真澄著『コロンビアに住んで教えて』(1996・日本貿易振興会)』『山本進著『中南米ラテン・アメリカの政治と経済』(岩波新書)』『田辺裕監修『世界の地理5――南アメリカ』(1997・朝倉書店)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android