コロンビア(英語表記)Colombia

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精選版 日本国語大辞典 「コロンビア」の意味・読み・例文・類語

コロンビア

(Colombia) 南アメリカ北西端の共和国。北部はカリブ海、西部は太平洋に面し、東部はアマゾン川の上流地域、南北にアンデス山脈が走る。首都はボゴタ。一五〇二年にコロンブスが到達し、その後、スペイン植民地となっていたが、一八一九年大コロンビア共和国として独立。三〇年ベネズエラエクアドルが、一九〇三年パナマが分離。コーヒー、バナナ、タバコなどを生産。

コロンビア

(Columbia)
[一] アメリカ合衆国サウスカロライナ州の州都。一七八六年計画都市として建設された。農産物の大集散地で、綿工業の中心。
[二] アメリカ合衆国、ミズーリ州中部の都市。ミズーリ大学の所在地。

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デジタル大辞泉 「コロンビア」の意味・読み・例文・類語

コロンビア(Columbia)

米国サウスカロライナ州中央部の都市。同州の州都。1786年に建設。商工業都市として発展。サウスカロライナ大学が所在する文教都市でもある。
米国ミズーリ州中部の都市。1820年代に開かれ、1920年代に自動車交通の要地として発展。ミズーリ大学コロンビア校をはじめ、高等教育機関が多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「コロンビア」の意味・わかりやすい解説

コロンビア
Colombia

基本情報
正式名称=コロンビア共和国República de Colombia 
面積=114万1748km2 
人口(2010)=4551万人
首都=ボゴタBogotá(日本との時差=-14時間) 
主要言語=スペイン語 
通貨=コロンビア・ペソColombian Peso

南アメリカ北西部にある共和国。1830年1月独立。北東はベネズエラ,南東はブラジル,南はペルー,エクアドル,西はパナマに接する。カリブ海と太平洋に臨む熱帯の国で,国土面積は日本の約3倍,ブラジルに次ぐコーヒーの生産で知られ,国名はコロンブスを記念したものである。

地形的にはアンデス山系が形成する起伏のある山稜と河谷,および山間盆地(国土の35%)と未開のギアナ高地とアマゾン川流域の一部(同65%)とに大別でき,さらに(1)西部太平洋岸地域,(2)カリブ海岸低地,(3)東部山脈地域,(4)中央山脈地域,および(5)東部地域に区分される。(1)は標高の割には急峻な山系,狭隘(きようあい)な河谷,高温多雨などでブエナ・ベントゥーラ以北は,金,プラチナ,木材などを産出するが,まだ開発が進んでいない。最近,南部地方でバナナ農園,油田などの開発が始まった。(2)はマグダレナ,カウカ両川の沖積低地とアンデス山系の丘陵地帯から成る。洪水がしばしばあり,低水位時でも多くは湿地で,排水の良好な沖積地以外,農牧業は不可能であった。近年,農業振興政策により灌漑農地が開発され,綿花,バナナ,サトウキビなどの栽培が始まった。(3)はアンデス山系の最東部の山地部とマグダレナ河谷から成る。気候の良好な高地盆地(サンタンデル,クンディナマルカ地方)は,早くから開発され,タバコ,コーヒー,小麦,ジャガイモなどが栽培され,より高地部のパラモ地域では,放牧が行われている。岩塩や地下資源なども豊富にあり,鉱業も興っている。マグダレナ河谷部低地は未開発だが,気候のよい周辺部では綿花,カカオ,サトウキビなどが栽培されている。(4)はアンティオキア地方とカウカ河谷に区分される。アンティオキア地方は大小さまざまな河谷盆地から成り,地形がきわめて複雑なため,永年他地域から孤立していた。植民地時代より鉱業が発達していたが,本格的な地域開発はコーヒー栽培とその加工業の創設をもって開始された。第2次大戦後,鉄道や道路が拡張整備され,外部地域との交流が容易になり,さらに発展した。カウカ河谷部は植民地時代サトウキビの栽培が盛んであった。のち,カカオやタバコの栽培や牧畜も興った。高温多湿だが土地が高い生産力をもつ地域であるため,1960年代農業改革庁がこの地域の総合開発を始め,以後急速に開発が発展し各種産業が興り,今日では伝統産業のほかに,金属,機械,化学工業などがある。河谷部のさらに南部にパティア河谷地域があるが,湿潤なため河谷内部の高地部に牧畜が行われる以外,産業は発達していない。(5)はギアナ高地の一部と,オリノコ,アマゾン両川の支流が東部山脈の東側部に形成する扇状地とが展開する地域。全般的には開発は進展しておらず,地域南部の南カケタ地方の東部山脈沿いで,小規模な農牧業が営まれているのみである。

欧米系20%,アフリカ系4%,原住民系1%,混血系75%(うちメスティソ58%,ムラート14%,サンボ3%)という人種構成にみられるように,コロンビアはメキシコとともに混血度がきわめて高い国である。19世紀後半のコーヒー産業の興隆期に大規模な南欧からの移民を受け入れて以来,外部からの新しい血統の注入はない。またベネズエラ同様,アフリカ系人種の比率がきわめて高いことも,この国の人種構成上の特徴の一つとなっている。地域的には欧米系はアンデス山系の高地盆地に,アフリカ系は太平洋岸やカリブ海沿岸低地に,原住民系はエクアドル国境地帯や東部地域に,混血は全国各地にそれぞれ分布している。社会階級構成においては欧米系や一部の混血系が大規模な土地所有者,金融業者,商工業者,あるいは高級官僚などとして,社会の上層部を支配し,社会的・経済的実権を掌握している。一方,大部分の混血系,アフリカ系あるいは原住民系の人たちは経済的側面においては各種労働者として,また政治的には権力構造の末端部の構成者として位置づけられている。

 こうしたコロンビア社会の基本的な権力または階級構造に多少の変化が生じるのは,1920年代からで,それがさらに大規模になるのは,40年にガイタンの社会改革運動が展開された後であり,いわゆるビオレンシア以後(1950年代)全国的な規模になったのである。さまざまな社会経済改革が施行された結果,中小規模の商工業者,運輸業者,砂糖,綿花,精肉などの農牧業者や下級官僚,技術者,専門家などが台頭して新たに中間層を形成するにいたった。こうした社会変化は下層部にも影響を与え,彼らの政治的,あるいは階級的意識の高揚の結果,中間層をも巻き込む労働者大衆運動が各地で展開され,労働組合,労働者大衆組織が結成されたが,現在の活動は概して活発ではない。それは政党(特に自由党)から独立しておらず,労働組合独自の活動ができる状況にないからである。特に58年以来の保守自由同盟の結果,いずれもの体制内に封じ込められ,御用組合化している。社会構造の変化に対応した教育制度および内容に関する改革は十分ではない。若干の教育機関の拡充,教育科目の多様化がなされたのみである。60年代前半〈進歩のための同盟〉政策の一環として,農村部における労働者大衆の成人教育や原住民教育が華々しく宣伝された。しかし農地改革の挫折とともにこれらの教育活動や識字運動は挫折し,文盲率は40%にとどまっている。学校あるいは日常生活においては,特定地域を除き,スペイン語が使用されている。

コロンビアは南米諸国のなかで,比較的早くから政党政治が定着している国の一つである。主要な政治組織として以下のようなものがある。(1)自由党はサンタンデルの自由主義思想をその源泉にもち正式には1853年に結成され,信教の自由,地方分権,政教の分離などを党是として,約1世紀半にわたり保守党と国論を二分して,国家政治を指導してきた。工業ブルジョアジーを中核とし,組織労働者や自営農民をもその勢力に加え結成されているが,急速に社会の階層化が進行し,構成勢力内の利害関係が複雑化した第2次大戦後,多くの派閥が生まれた。(2)保守党は1849年マリアノ,オスピナを中心に結党され,伝統的特権,カトリックの擁護などを旗印としている。大土地所有者,大産業資本家,キリスト教関係者などにより構成されているが,1960年代以降内部の派閥抗争が激しい。(3)全国大衆同盟(ANAPO)は1940年代の人民社会党の流れをくむもので60年代後半より既成の政党に不満な新興社会階層を中心に勢力を結集したもの。大土地所有制の解体,貿易・金融機関の国有化,政治経済分野における民主主義的諸改革の遂行(推進)などを綱領としている。70年の大統領選挙では,わずかの差で敗れた。(4)キリスト教社会民主党はホワイトカラーや中間層の専門家,中小企業家などを結集して1959年に結成された。学生組織や労働者同盟のなかにも支持勢力を拡大しつつある。(5)共産党は1944年に結成された。中ソ論争を契機に分裂し,ソ連派は民族解放軍を,中国派は人民解放軍を組織し武力闘争を開始したがその後崩壊状態に陥った。最近再建され,都市部では平和路線を,農村部では武闘路線をとっている。しかし,労働者大衆を広範囲に結集するにいたっていない。ほかに小規模な左翼政党があるが大局に立つ政治展望に欠け,労働者,農民を十分に掌握していない。政治的圧力団体として企業家同盟,砂糖生産同盟,商業家連盟,大衆企業家連盟などがある。

 歴代政府は,保守,自由を問わず対米従属外交をその基本路線としている。特に1958年以来,60年代前半には〈進歩のための同盟〉や平和部隊を受け入れたほか,アメリカ合衆国の提唱した米州平和維持軍構想にも積極的に賛意を表明した。米州諸国との関係は米州機構を通じてきわめて良好で,特にアンデス地域統合加盟諸国とは緊密な関係を維持し,その中心的役割を果たしている。隣国ブラジルとはアマゾン条約を締結し,地域開発を通じて経済政治関係のいっそうの発展を図っている。80年,中国と国交樹立するなど社会主義諸国との関係も消極的ながら維持されているが,1975年以来再開していたキューバとの国交関係は81年のゲリラM-19運動の外国公館占拠事件が原因で断絶した。

 日本とコロンビアは1908年に修好通商航海条約を締結したが,実質的な関係は29年の移民の受入れをもって開始されたといえよう。カウカ河谷のパルミラ市を中心に移民者は居住し近代農業の経営を行っている。54年国交回復後,主として,技術援助や機械の輸出,コーヒー,綿花の輸入など経済面を中心に良好な関係にある。とくに,コーヒーは,アメリカ合衆国とともに最大の輸入国となっている。

1541年以来,アンティオキア地域で主として金の採掘が開始された。その後,鉱山用の食糧と荷役動物を生産・飼育するアシエンダが各地に開設された。とくに,1590年代よりレスグアルドresguardo(原住民保有地)の確保の名目のもとに,トゥンハ,ボゴダ,サンタ・マルタなどの地域の原住民共有地がアシエンダ所有者に収奪された。この過程で,現在,約23家族が大部分の耕地を所有するという大土地所有制度の原型が形成された。以後,アンティオキアの鉱工業,サンタ・マルタを中心とする海岸地域の農業,クンディナマルカ地域の農牧業がコロンビア植民地経済の中核をなしてきた。植民地時代末期のカルロス3世の自由貿易政策は,これら地域の諸産業を大いに刺激した。独立戦争の混乱期に一時停滞したコロンビア経済も1830年代には回復し,皮革,ココア,コーヒーなどの生産が増加し,貿易も活発に行われた。

 国家経済は独立当初からこのように輸出産業に大きく依存していたが,その後,歴代政府はさらに,その育成と振興に努めた。なかでもコーヒー産業は18世紀後半に始まり,ククタ峡谷がその中心であったが,1850年よりサンタンデル全域へ,19世紀末から20世紀初頭にかけて,アンティオキアやクンディナマルカ地域(1910)へと栽培が拡大した。コーヒー産業の異常なまでの成長は,国内生産条件もさることながら,当時主要なコーヒーの生産国であったベネズエラやカリブ諸国が石油,砂糖,ココアなどの生産の方に傾斜するという外的条件にも大きく依拠していた。その結果,1870年から1910年にかけてコーヒー・ブームが現出した。コーヒー生産は,西部アンティオキア地域では,小規模な自作農により,また,クンディナマルカ地方では,大小さまざまな大土地所有者により担われた。欧米諸国のコーヒー産業への投資は,道路,鉄道,港湾設備,倉庫などへの投資とともに,1880年代よりさらに活発になった。自由,保守両党間の千日戦争(1899-1902)で10万人の死者が出,大規模な労働力不足が生じたため,多数の中小コーヒー生産者が破産した。コーヒー価格の低落が追打ちをかけ,外国資本を含む特定コーヒー生産者への土地と生産の集中が進行した。この傾向は1950年代になってより強まった。その一方で自作農民の零細経営化,あるいは無産者化が深化した。こうして,農業経営者のうち3%の大土地所有者が全耕地面積の60%を占有する一方で,圧倒的多数の農民は土地を欠くという事態が生じた。この傾向は他の熱帯性農産物産業にも生じ,しかも拡大されつつある。

 本格的な工業化は1920年代,主としてアンティオキア地域で始まった。ここは元来,鉱工業の発展を通じて,小規模な資本蓄積があったうえに,コーヒー生産で多くの経済的余剰を創出し,その他の農産物の加工産業が興った。その後,この地域の総合開発のため多くの外資が民間や公共部門(とくに鉄道,道路)に導入され,地域の統合化や交通機関の整備を促進するとともに,より大規模な食品加工業を中心とする各種産業を創出した。この時代にはまた,全国的な規模での開発が,パナマの賠償金をもとに行われ,港湾設備,鉄道,石油産業,鉄鉱業,製糖業,バナナ産業などが興された。1930年代の世界的規模の経済恐慌を契機に,これらの工業生産力を基礎に輸入代替産業が発展した。その初期は,経済成長率は年2%に低下したが,少なくともこのとき,この地域の本格的な工業発展の基礎が確立された。

 全国的な規模での産業開発はやっと1940年代より,大規模な外資の導入をもって開始された。コーヒー,バナナ,砂糖,石油,化学製品,薬品,機械などの産業部門へのアメリカ資本を中心とする外資の導入が積極的に行われた。こうした外部依存の経済構造のもとで対外債務の累積赤字,経済の停滞,インフレによる慢性的失業などが生じた。この経済的閉塞状況を打開するために,61年,経済開発十ヵ年計画が実施されたのを皮切りに,鉱業公団の創設(1967),農業総合開発計画の画定とカウカ河谷開発(1968)と国家の鉱業,エネルギー産業などの基幹産業への介入(1978),世界銀行からの融資受入れとコーヒー輸出国機構の組織(1980)などが行われた。とくに70年以降の自由党政権のもとでコロンビア経済は民族主義的性格をもつようになったが,基本的には,外国資本が国家経済の重要部分を支配するという,いわゆる欧米依存の経済的体質を依然として保持しており,そのため,大土地所有制と低生産性,零細農業と貧困化,輸出用農産物生産を優先する農業経済政策,伝統工業との有機的結合を欠如した工業開発,投機的な鉱物資源の開発などの基本的な諸問題が未解決のまま放置されている。この解決なくしては現在苦悩する経済的後進性から脱却することは困難である。

先スペイン期には,北部,大西洋岸地域にカリブ系原住民が,また中央部から南東部にかけてアンデス系の原住民が居住していた。なかでも比較的高度の文化を有していたのはクンディナマルカ地方のチブチャ族であった。すでに1499年スペインの征服者,アロンソ・デ・オヘダがウラバ地方にその足跡を残していたが,本格的植民事業は1541年,アンティオキアの鉱物資源(金)の開発をもって始まった。以後全般的植民地支配がボゴタを中心にして展開された。アルカバラ(取引税)や人頭税などによる封建的な経済余剰の収奪は過酷なもので,1781年クンディナマルカのコムネロスが,85年にはカウカ河谷の貧農や奴隷が反乱を企てた(コムネロスの反乱)。91年A.ナリーニョー(1765-1823)はこうした社会的状況のなかで独立を企図したが失敗した。1819年植民地解放軍はサンタンデルやボリーバルの指揮のもとにボヤカの戦で勝利し,グラン・コロンビアとして独立を達成した。30年,現コロンビアの地域はヌエバ・グラナダ共和国として分離独立し,サンタンデルが初代大統領に就任した。彼は国内産業の育成に尽力したが,膨脹する支出の財源確保のため既存の輸出産業の発展に努力しなければならなかった。そのために原住民の保有地が1839年に,また教会の領有地が61年に没収され,労働生産性の見地から奴隷制が廃止された。綿花,コーヒー,織物などが重要な外貨獲得源として,この国の経済構造上に位置づけられた。40年代に自由党はサンタンデル政権が育成した産業資本家を中心に結成されたが,大土地所有制を容認し,輸出産業を育成,発展させるという国策に関しては保守党と同じであった。一方,教育,宗教については両党間に大きな意見の不一致があった。自由党は86年まで政権を握ったが,その間,きわめて積極的な自由主義的あるいは改良主義的政策を遂行した。

 国家政治体制も1832年には連邦制となり,さらに58年には合州国制となった。1850年以降のコーヒー産業の興隆によって,教育,出版,科学技術において顕著な影響が現れた。それは大衆の購買力を増大させたからである。しかしこの自由貿易政策のもとに安価な欧米製品が流入し,国内の競合産業に大きな打撃を与えた。こうした自由党の自由主義的,あるいは地方分権主義的政策は,やがて自己の存立基盤を危うくし,党の分裂を招来した。独立派と急進派の確執は内戦に発展し,86年ついに支配能力を喪失した自由党は保守党に国家権力を奪取された。以後保守党は2度にわたる自由党の反撃(1895,99)を撃退して1930年まで国政を担当した。この間貿易,借款などを通じアメリカ合衆国の政治的・経済圧力が強まり,1903年パナマが分離独立させられた。パナマ独立に対するアメリカの賠償金2500万ドルと多量のアメリカ資本を基礎に各地の経済開発が行われた。新規の産業は多くの農村人口を労働力として都市に吸引する一方で,牧畜などの伝統的産業が衰退した。第1次大戦後の世界的経済不況は国家経済を直撃した。投機的な投資と巨大な公共支出で物価が高騰したうえ貿易条件が悪化し,輸出産業は停滞して,多くの失業者が生じた。輸入代替産業への転換も技術,資金などの制約から順調に運ばず深刻な事態を招来し,29年の反政府暴動は1400名の死者を出した。34年自由党左派のアルフォンソ・ロペスが反政府勢力を結集して大統領に当選した。税制の改革,財政の健全化,未耕地の分配などで労働者,農民大衆の不満を鎮静する一方,政教の分離を断行,教会の政治経済権力を規制し,外資を統制し,民族資本の育成を図った。政策は効を奏し,保守党勢力は弱体化して38年の大統領選挙には候補者も立て得なかった。第2次大戦後アメリカの圧力と1934年以来の大幅な社会構造の変化の結果,自由党内部で左右両派の間に深刻な対立が生じてきた。46年保守党は自由党の内紛に乗じて政権を奪回した。労働者,農民に対する弾圧が随所で始まり,世界政治の冷戦体制がこれに拍車をかけた。ガイタンの暗殺とボゴタ暴動はこうした状況の中で発生し,地方都市にも波及した。耕地破壊,工場占拠,農場の焼打ちなどが継起した,いわゆるビオレンシアの時代である。クーデタで大統領となったロハス・ピニーリャのもとで事態は終息するかに見えたが,59年,彼は軍部右派勢力に打倒された。徐々に階級的色彩を鮮明にする政治動向を前に,自由,保守両党は伝統的な政治構造を維持し,発展させるために58年,向こう16年間の政治闘争を凍結する休戦協定を締結した。両党は国民戦線を結成し,中央および地方の政治権力を掌握し,諸問題の抜本的解決を回避しながら,強権で労働者,農民大衆の政治経済的諸要求を封殺しようとした。

 この間依然として欧米依存の諸政策のもとで,政府は土地改革を含む農業開発や鉱工業の促進,地域鉱工業開発を企図したが,それは民族経済の育成,国家経済の均衡発展を目標とするものではなく,むしろ社会矛盾を拡大し深化させた。そのため労働争議や土地占拠,ゲリラ活動などが頻発した。74年,16年間の協定解消後初の完全自由選挙で自由党左派のミケルセンAlfonso López Michelsen(1917- )が当選した。食糧難とインフレに困苦する国民大衆は彼の大胆な政策の転換を期待したが,相変わらず輸出産業に直結する公共部門への巨額の投資が続行され,そのうえ,75年より原油の自給自足体制が崩壊し,石油輸入のための多額の外貨支出は国家財政をさらに逼迫させた。インフレは78年には20%に達し,失業率も年々上昇し,78年には18%を記録した。同年行われた選挙で自由党右派のトゥルバイJulio Cesar Turbay Ayala(1916- )が,労働者大衆がボイコットするなかでわずかに20%の支持を受けて当選した。トゥルバイは政権の安定化を画策して国民戦線方式を踏襲し,閣僚ポストを保守党との間で折半した。物価高騰,失業,生活水準の低下などによる社会不安の増大から一段と悪化した社会状勢の打開のため,戒厳令を敷き,治安法を施行して,個人的自由を制限し,ストを禁止し,報道言論の統制を行い,軍隊を出動させ,社会秩序の維持に当たる一方,灯油,公共料金,輸入関税の引上げなどを断行して国家財政の改善を画策するとともに,既存の各種経済開発の見直しを行い,財政の安定化に努力している。彼には輸出産業の育成,鉱工業の促進という従来の経済政策を変更する意思はまったくなく,インフレ(1980年30%),失業,生活水準の低下という積年の諸問題は解決されそうにない。
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コロンビア
Columbia

アメリカ合衆国サウス・カロライナ州中央部にある同州の州都。人口11万7088(2005)。同州最大の都市で,州中央地域の商工業の中心地。印刷,織物,衣服,プラスチック,電気部品,事務用機器,ガラス製品などの工場がある。コンガリー川の遡行の終点に位置し,1786年,州の中央部にあるという理由で新しい州都として建設された。1805年に村となり,54年に市制施行。サウス・カロライナ大学,ベネディクト大学,コロンビア大学,コロンビア神学校などがある教育都市でもある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コロンビア」の意味・わかりやすい解説

コロンビア
Colombia

正式名称 コロンビア共和国 República de Colombia。
面積 114万970km2
人口 4959万2000(2021推計)。
首都 ボゴタ(旧称サンタフェデボゴタ)。

南アメリカ北西隅を占める国。西は太平洋,北はカリブ海に面し,北西端で両洋を分けるパナマと国境を接する。東から南にかけてはベネズエラブラジルペルーエクアドルに囲まれる。地形は北西半のアンデス山脈と南東半の低地に大別される。南アメリカ大陸の太平洋岸に沿って連なるアンデス山脈は,最北部のコロンビア領内では北流するカウカ川マグダレナ川により,西部山脈,中部山脈,東部山脈の 3山脈に分岐する。中部山脈が最も高く,ウイラ山,トリマ山など標高 5000mをこえる高峰がそびえる。カリブ海沿岸には広い海岸低地が発達。アンデス山脈の南東に広がる広大な低地はオリノコ川支流グアビアレ川によって二分され,北はオリノコ川流域のリャノスと呼ばれる熱帯草原,南はアマゾン川上流域の熱帯雨林となる。赤道地帯に位置するため,概して年中高温の熱帯気候であるが,山地では垂直気候が発達し,首都を含む主要都市は温帯性の気候を示す標高 1000~3000mの山地斜面や高原に集中する。雨季乾季の別があるが,その時期や年降水量などは地域差が大きい。16世紀にスペイン人が訪れ,この地を征服するまでは,カリブ族,チブチャ族などのラテンアメリカインディアンインディオ)が住んでいたが,その後スペイン人,奴隷として連れてこられた黒人(→黒人奴隷)との間に混血が進み,今日住民の約 60%がこれらの混血である。純粋なインディオは少なく,約 1%。公用語はスペイン語。信教の自由は保障されているが,国民の 80%以上がキリスト教のカトリックである。農業が主産業で,なかでも輸出品のコーヒーが最も重要な作物であり,世界有数の産出国となっている。そのほかの主要作物は輸出用のバナナ,花卉,サトウキビ,タバコ,主食用のトウモロコシ,イネ,コムギ,イモ類など。ウシの飼育を中心とした牧畜も重要。鉱物資源は豊富で多種にわたる。主要鉱産物は天然ガス,石油,石炭,金,銀,白金,エメラルドなど。特に金は南アメリカで上位の,エメラルドは世界最大の産出量。森林資源に恵まれ有用樹も多いが,大部分は未開発。工業は食品,化学,繊維など消費財生産の軽工業が中心であるが,金属加工,自動車組み立て,石油化学などの工業も発達しており,1990年代初頭に農業を抜き,国内総生産 GDPの 20%を占めるにいたった。一方で,コカインの密輸出がコーヒー輸出額の 2倍に相当すると推計されており,国際的問題となっている(→麻薬問題)。麻薬組織と並んでコロンビアの治安を脅かしてきた共産主義武装勢力のコロンビア革命軍は 2010年代に政府との和平交渉を始めた。国民の 80%以上が住むアンデス地域では鉄道,道路,水路,空路による交通網が比較的よく発達しているが,南東半の低地帯では道路がわずかに通るだけで,交通はもっぱら水路と空路による。(→コロンビア史

コロンビア
Columbia

アメリカ合衆国,サウスカロライナ州の州都。同州の中部に位置する。 1786年州都として建設され,南北戦争では市の大半を焼失したが,美しい都市に復興。綿花,タバコなどの集散地で商業中心地。豊富な水力電気を利用し,合成繊維,織物,建築用鉄骨などを生産し,航空宇宙産業も発達。文教中心地でもあり,サウスカロライナ大学 (1801創立) など高等教育機関があり,コロンビア美術館は,イタリアのルネサンス期の絵画のコレクションで名高い。州刑務所,州立病院,空港,州議会議事堂 (ルネサンス様式) ,W.ウィルソン大統領の少年時代の家,フォートジャクソン歩兵訓練部隊などがある。人口 12万9272(2010)。

コロンビア
Columbia

アメリカ合衆国,ミズーリ州中央部ミズーリ川の北方にある都市。セントルイスとカンザスシティーのほぼ中間に位置する。 1821年に入植。 1920年代に発達したハイウェー・システムにより,主要自動車交通の要地となる。ミズーリ大学 (1839創立) をはじめいくつかの大学や,州立癌病院などの医療機関が集中し,高等教育と医療の一中心地。軽工業があるが,市の経済は教育機関が支えている。人口 10万8500(2010)。

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百科事典マイペディア 「コロンビア」の意味・わかりやすい解説

コロンビア

◎正式名称−コロンビア共和国Republic of Colombia。◎面積−114万1748km2。◎人口−4712万人(2013)。◎首都−ボゴタ(2000年サンタ・フェ・デ・ボゴタを改称。695万人,2006,大都市圏)。◎住民−混血75%(メスティソ58%,ムラート14%,サンボ3%),白人20%,黒人4%,インディオ1%。◎宗教−カトリック95%,プロテスタント,ユダヤ教。◎言語−スペイン語(公用語)。◎通貨−コロンビア・ペソColombian Peso。◎元首−大統領,サントスJuan Manuel Santos(1951年生れ,2014年8月再任。任期4年)。◎憲法−1991年7月公布,2005年10月改正。◎国会−二院制。上院(定員102,任期4年),下院(定員166,任期4年)。最近の選挙は2014年3月。◎GDP−2423億ドル(2008)。◎1人当りGDP−2740ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−18.8%(2003)。◎平均寿命−男70.4歳,女77.7歳(2013)。◎乳児死亡率−17‰(2010)。◎識字率−93%(2008)。    *    *南米北西部の共和国。北はカリブ海,西は太平洋に面し,パナマ地峡で中米に連なる。西部はアンデス山脈北端部の山岳,高原地帯で,マグダレナ川が南北に流れ,おもな居住地域をなす。中部から東部のオリノコ川支流域に平野が広がり,南部はアマゾンの熱帯密林地帯。農業,牧畜が主で,コーヒーの生産量はブラジルに次ぎ,サトウキビ,ジャガイモ,バナナも産する。エメラルド,金,白金,石油などの資源に恵まれる。 1499年スペイン人が到来し,1541年からスペインが金鉱山の開発を始めた。1819年ボリーバルサンタンデルの指導下に,現在のパナマ,ベネズエラ,エクアドルとともにコロンビア共和国(グラン・コロンビア)として独立した。1830年ベネズエラ,エクアドルの脱退で国名をヌエバ・グラナダ共和国とし,1886年改めてコロンビア共和国となった。1903年パナマが分離・独立した。独立以来,保守,自由二大政党の政争が激しく,自由党党首ガイタンが1948年暗殺されたときには,ボゴタでは数千人の死者が出る暴動が起きた。1958年から1974年まで,国民戦線方式(大統領は両党から交互に選出,閣僚は折半)がとられたが,その後は他の政党も勢力を伸ばしている。世界最大のコカイン生産国で,1960年代以降,左翼ゲリラと麻薬密輸組織によるテロなどの活動が激しくなり,政治や社会の動きに大きな影響を与えている。他のラテン・アメリカ諸国と異なり,コロンビア革命軍(FARC,1964年結成)などゲリラ組織の活動は21世紀初頭でも活発である。2002年大統領に就任したウリベは,ゲリラとの対決姿勢を鮮明にした。2010年に就任したサントス大統領は国民統一の旗の下,国民的合意に基づく政策を進めている。
→関連項目サンタ・クルーズ・デ・モンポスの歴史地区

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コロンビア」の解説

コロンビア
Colombia

南アメリカ最北部に位置する共和国。先スペイン期には,ムイスカ(チブチャ)などの首長制社会があったが,1536年ヒメネス・デ・ケサーダに征服された。植民地時代は49年ボゴタに設立されたアウディエンシアによって統治され,1717年および39年には,ヌエバ・グラナダ副王領がペルーから分離設定された。ボリーバルの指導による独立戦争後,それがそのまま大コロンビア共和国として独立したが,彼の死後1830年にコロンビア,ベネズエラ,エクアドルに分裂した。その後,地主,教会などを背景にした保守派と,企業家,商人などに支持された自由主義派の対立が解消せず,20世紀に入って暴力化し,ボゴタソと呼ばれる首都の暴動事件まで引き起こした。1958年から74年まで,保守派と自由主義派が交互に政権を担当する協約が実行されたが,その後,麻薬問題や,それとからまった国内ゲリラ問題が深刻化して,国内政治の混迷が続いている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「コロンビア」の解説

コロンビア
Colombia

南アメリカ大陸北西部に位置し,カリブ海と太平洋に面する国。首都サンタフェ−デ−ボゴタ
1500年コロンブスの仲間デオヘダが渡来,スペイン人の植民が始まり,38年同国の植民地,1717年ヌエバ−グラナダ副王領となる。1810年独立を宣言,19年シモン=ボリバルにより解放され,ベネズエラ・エクアドル・パナマを含む大(グラン)コロンビア共和国となる。1830年にベネズエラ,31年にエクアドルが分離し,86年コロンビアと改称。1903年にはパナマが分離独立。国内では保守党と自由党の対立で政変が絶えず,1899〜1902年に続き,48年に内戦が再発し,58年に終結。その後両党の和解が進み,国民戦線を結成。合意により1974年まで4年ごとに政権を交代で担当。コーヒーの大生産国のうえ,1986年には石油の自給を達成して輸出を開始。1989年には左翼ゲリラM19との和平協定が実現した。経済面では,1995年1月にベネズエラ・メキシコとの自由貿易協定が発効,2月からはアンデスグループ(ボリビア・ベネズエラ・エクアドル・ペルー)の域外共通関税をスタートした。なお,アンデスグループは1996年3月からアンデス共同体に改組された。

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デジタル大辞泉プラス 「コロンビア」の解説

コロンビア

米国航空宇宙局(NASA)の有人宇宙輸送機、スペースシャトルの機体のひとつ。NASA型名:OV-102。スペースシャトルのオービタ(宇宙船本体部分)の2号機。宇宙まで飛行した最初のスペースシャトル。名称は18世紀のアメリカ人貿易商人、ロバート・グレイの帆船の名にちなむ。初飛行は1981年4月21日、4人の乗組員を乗せ、高度307kmの軌道を周回して無事帰還。日本人宇宙飛行士としては、1994年に向井千秋、1997年に土井隆雄が搭乗している。2003年2月1日、28度目のミッションの帰還中、大気圏再突入時にテキサス州上空で空中分解事故を起こし、乗組員7名全員が死亡した。

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飲み物がわかる辞典 「コロンビア」の解説

コロンビア【Colombia】


コーヒーの銘柄の一つで、南米のコロンビア共和国に産するもの。生産量、輸出量はブラジルに次ぐ。マイルドな酸味と強いコクが特徴。

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世界大百科事典(旧版)内のコロンビアの言及

【サウス・カロライナ[州]】より

…面積8万0432km2,人口370万(1996)。州都および最大都市コロンビア。州名はイギリス王チャールズ1世(ラテン語でカロルス)にちなむ。…

※「コロンビア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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