コンゴ内戦(読み)こんごないせん

知恵蔵 「コンゴ内戦」の解説

コンゴ内戦

1997年5月、反政府勢力コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)のカビラ議長がモブツ政権を倒し、コンゴ民主共和国の大統領に就任したが、翌98年8月には再度内戦になり、ジンバブエアンゴラナミビアが政府側に、ウガンダルワンダが反政府勢力に加担、派兵した。2001年1月、カビラが死亡し、同月26日、息子のジョセフ・カビラ少将が新大統領に就任、内戦の終結と早期の選挙実施を表明。これを受け、国連安保理は99年7月に結ばれた停戦合意(ルサカ合意)に基づき、約5500人から成る国連コンゴ民主共和国派遣団(MONUC)の派遣と外国軍及び国内武装勢力の前線からの撤退期限を01年3月15日と決議した。しかしルサカ合意は守られず、北部はウガンダの支援するコンゴ解放運動(MLC)、東部はルワンダの支援するコンゴ民主ラリー(RCD)が制圧、政府軍は3国の支援により、かろうじて南西部を守った。02年12月、ムベキ南アフリカ大統領の仲介により、和平が成立(プレトリア合意)、ルワンダ軍、ジンバブエ軍の撤兵が始まった。次いで、カビラはMLC、RCDとの連立内閣樹立にも合意、03年7月には暫定政府が正式に発足した。05年5月、大統領権限を制限する新憲法草案が議会可決、12月には国民投票が行われ、賛成多数で新憲法は承認された。一方、北東部では依然としてルワンダ武装勢力による侵攻が続いている。

(林晃史 敬愛大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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