サンマリノ(英語表記)San Marino

翻訳|San Marino

精選版 日本国語大辞典 「サンマリノ」の意味・読み・例文・類語

サンマリノ

(San Marino) イタリア半島北東部、アペニン山脈東側にあるヨーロッパ最古の共和国。首都サンマリノは、三つのとりでに囲まれる中世風都市。この国から発行される郵便切手は収集家に珍重される。

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改訂新版 世界大百科事典 「サンマリノ」の意味・わかりやすい解説

サンマリノ
San Marino

基本情報
正式名称サンマリノ共和国Repubblica di San Marino 
面積=61km2 
人口(2010)=3万人 
首都=サン・マリノSan Marino(日本との時差=-8時間) 
主要言語=イタリア語 
通貨リラLira(イタリア通貨を使用),1999年1月よりユーロEuro

イタリア半島中部,アドリア海側にある世界で2番目に小さい共和国で,1263年に独自の憲章を定めた世界最古の共和国でもある。アペニノ山脈がアドリア海に接近する部分に位置するカルペーニャ山地がその領域の大部分を占めていて,イタリア共和国によって周囲を取り囲まれている。石灰岩質のカルペーニャ山の北東部はリミニの町を見下ろし,ポー平原に面してそそり立つティタノ山(標高726m)をなしていて,その山頂部が共和国の首都サン・マリノであり,ここに4300人(1993)の住民が住んでいる。

 伝説によれば,4世紀半ばごろダルマティア地方のアルベ島からやって来たキリスト教徒の石工マリヌスMarinusがティタノ山に住みつき,仲間のキリスト教徒とともに一種のコミューンをかたちづくったのが,この国の起源であるとされている。イスラム教徒ノルマンなどの侵入に備えて地勢を生かした難攻不落の城塞を11世紀ごろまでにつくり上げた。中世を通じてリミニのマラテスタ家の攻撃に耐え,ウルビノ公と教皇の保護の下に独立を守り通し,15世紀半ばごろには60人からなる大評議会が設定され,現在に至るまでこれが立法府の役割を果たしている。行政府としては国家会議があり,現在のイタリアと同様,中道左派勢力が支配権を握っている。その地理的位置から当然ではあるが,イタリアとの関係が深く,リソルジメントの時期には,オーストリア治下および教会国家(教皇領)からの亡命者を受け入れ,このため1851年にはオーストリア・教会国家連合軍の軍事干渉を受けた。また第2次大戦中の1944-45年には約10万人のイタリア人亡命者をかかえこみ,連合軍の空爆とドイツ軍による破壊という悲惨な経験もした。

 山地および丘陵地からなる国土の大部分では,周囲のイタリア領と同様に小麦・ブドウ栽培,牧畜が営まれているが,国民経済にとって重要な意味をもつのは,切手収集家の間で高い評価を受けている切手の発行と年間を通じておよそ300万人に達する観光客からの収入である。

 首都サン・マリノは一部分が13世紀,大部分が14~15世紀に建設された城壁で囲まれ,坂道の多い町並みは中世的な面影を残している。城壁の最高部にはモンターレと呼ばれる塔があり,ここからはアペニノ山脈とポー平原とを一望のもとにおさめる。最も古い市街地の部分にあるバローニ宮殿(15~18世紀)は古文書館,図書館および博物館になっている。

 交通路としては,リミニから軽便鉄道が通じていた時期もあったが,現在はリミニと自動車道路で結ばれ,アペニノ山間部を通る自動車道路もイタリア領に通じている。国境における出入国管理は行っておらず,イタリアと協約を結んで,関税権もイタリアにゆだねている。通貨もイタリアと同じリラであったが,現在はユーロを使用している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンマリノ」の意味・わかりやすい解説

サンマリノ
San Marino

正式名称 サンマリノ共和国 Repubblica di San Marino。
面積 61km2
人口 3万3600(2021推計)。
首都 サンマリノ。

イタリア半島中部北東寄り,アペニン山脈北東斜面に位置し,四方をイタリア (北と東をエミリアロマーニャ州,南と西をマルケ州) に囲まれた国。ボローニャとアンコナを結ぶ鉄道・道路のほぼ中間,ティタノ山 (739m) 一帯を占める,世界で最も古く,ナウルに次いで小さな共和国。4世紀初頭,聖マリヌス (サン・マリノ) と一群のキリスト教徒が迫害を逃れてたてこもったのが起源とされる。天然の要害に守られ,戦乱の時代にもよく独立を守り,11世紀には共和国を自称。1631年にはローマ教皇により,1797年にはナポレオン1世により,さらに 1815年にはウィーン会議によってその独立が承認された。イタリア統一戦争(→リソルジメント)のときにはジュゼッペ・ガリバルディをかくまい,統一後は各種の条約によりその独立を確保 (1862) した。政治は 5年ごとの選挙によって選ばれた国会 (議員数 60) が,12人の閣僚と 2人の首班 (半年ごとに交代) を選ぶ議会民主制。正規軍はないが,儀仗兵と警察機動隊がある。住民はイタリア語を用い,ほとんどがカトリック。農業が主産業で,ワイン,繊維製品,ニス,タイル,石材なども輸出するが,切手の発行利益が国家収入の 30%を占める。年間 300万人をこす観光客が訪れ,観光業の収入も大きい。首都はティタノ山の小高い岩山にあり,北東方のアドリア海に臨むリミニ (イタリア) と道路で結ばれ,ボルゴマッジョーレまでは登山電車の便もある。三つの城塞がそれぞれ岩山上にあって,独立を維持した小国の歴史を物語るほか,14世紀建設の聖マリヌスの墓のある教会堂など中世の建造物が多く,また各種のスポーツ施設,保養施設もある。2008年「サンマリノ歴史地区とティタノ山」として世界遺産の文化遺産に登録された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「サンマリノ」の解説

サンマリノ
San Marino

イタリア半島中東部,アペニン山脈のアドリア海側斜面にあるヨーロッパ最古の共和国。首都サンマリノ
伝承によれば,4世紀ごろ,迫害を逃れたキリスト教徒によって建国されたというが,現在でも憲政は中世自治都市の姿を残している。ファシスト党の時代に,一時イタリア領となったが,1943年に独立を回復した。住民の大部分はイタリア人。主要財源は切手・ポスター類の販売収入。

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