サンパウロ(英語表記)São Paulo

精選版 日本国語大辞典 「サンパウロ」の意味・読み・例文・類語

サン‐パウロ

(São Paulo)
[一] ブラジル南東部の州。州都サンパウロ。コーヒーの世界的産地。
[二] ブラジル南東部の商工業都市。南アメリカ最大の都市。大西洋岸の外港サントスとハイウェイが結ぶ。コーヒーの集荷・輸出のほか、自動車・機械・織物工業が盛ん。日系人が多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「サンパウロ」の意味・わかりやすい解説

サン・パウロ
São Paulo

ブラジル南東部,サン・パウロ州の州都。南米最大の都市で,西半球三大都市の一つである。人口1102万(2005)。〈世界一急成長する都市〉〈南米のシカゴ〉と称される。南緯23°32′,西経46°38′,南回帰線に近い熱帯圏に位置するが,パウリスターノ高原の平均標高750mの高台にあり,気候は温暖湿潤である。年間の気温差は少なく,年平均気温17~18℃,平均年間降雨量1300mm。首都ブラジリアから1151km,旧首都リオ・デ・ジャネイロから435km離れている。大西洋沿岸に近く,海岸山脈(セラ・ド・マール)を60km下れば,国内最大の港サントスがある。

 市の中心は,元来セー聖堂を基点としたトリアングロ(三角地帯)を核として商業街,銀行街があり,すべての交通機関が都心に集中してきていたが,近年商業街の中心はアニャンガバウ谷間の向い側に移り,バスの発着所や中央市場も都心を離れたし,かつては〈コーヒー貴族〉の大邸宅街であったパウリスタ大通り方面への銀行・商社の移動も進行して,副都心の発達が目だちだした。住民は世界のおもな民族が集まっている。初めコーヒー労働者として入国したイタリア人,ポルトガル人,スペイン人,ドイツ系人,日本人らが多数流入し,市内に民族的集中地区がモザイクをなしていたが,その特色はしだいに薄れてきている。そのなかでリベルダーデ区における日系人,中国人,韓国人の集中性はまだ顕著である。

 一帯は昔ピラティニンガと呼ばれ,原住民グアイアナ族の居住地であった。1554年1月,マヌエル・ダ・ノブレガの命でJ.deアンシエタイエズス会士らが原住民教化の拠点を置いたのが市の発祥である。最初のミサの行われた日にちなみ,初めはサン・パウロ・デ・ピラティニンガと呼ばれた。やがて金,銀,ダイヤモンドの探索とインディオ奴隷狩りを目的とした植民者による奥地探検隊バンデイラの本拠地として,一帯の中心地となった。1683年には沿岸のサン・ビセンテに代わってカピタニアの主都となり,1711年には市に昇格した。だが19世紀中葉までの3世紀間は,国内でも辺境の地にあり,特別な産業のない貧しい田舎町であった。1822年にはこの地のイピランガの丘でドン・ペドロが独立宣言を発した。サン・パウロが急激な成長を始めるのはコーヒー産業が興ってからで,ことに奴隷制に基づいたパライバ川流域のコーヒー栽培から,賃金労働に基礎をおく州北部・中央部での栽培に転じた19世紀後半からである。70年代からは奥地生産地からサントス港に通じる〈コーヒー鉄道〉網が広く張り巡らされ,コーヒー集散地としてのサン・パウロ市は急激な膨張を始めた。19世紀最後の10年間に人口が6万4934から23万9934の約4倍になり,以後もこの異常な成長を止めていない。

 〈コーヒーが工業を生み落とした〉といわれ,ブラジル工業勃興の担い手はコーヒー農場主たちから出てきたのである。彼らはコーヒー産業とその輸出をめぐり,金融界,輸出入業,鉄道,発電等企業経営に乗り出し,しだいに工業家に転身していった。初めは繊維工業,食品加工等の軽工業が主体であったが,急速に多角化していった。1907年に326企業だったものが,20年には4154企業に飛躍した。第1次,第2次大戦および1929年の世界恐慌で先進国からの工業製品輸入が途絶するたびに躍進を遂げ,第2次大戦以後は重工業部門が発展してラテン・アメリカ最大の工業都市となった。

 サン・パウロ首都圏は人口1641万7000(1991)で,数多くの衛星都市が発達している。特に市の南東方向に展開する,俗にABCDと呼ばれる4市(サント・アンドレ,サン・ベルナルド・ド・カンポ,サン・カエタノ・ド・スル,ジアデーマ)は重要な工業地区を構成しているが,70年代からはさらにズトラ街道沿いの東部方面への拡大が目だっている。約2万の企業に130万の工業労働者(1974)が就労し,自動車工業,金属・機械・繊維・化学薬品工業,電気製品その他の全部門にわたり,これら製品の海外,ことにラテン・アメリカ諸国への輸出も活発に行われている。工業化の初期には海岸山脈の落差を利用したクバトン発電所の電力が大きな役割を果たしたが,現在では南マト・グロッソ州境パラナ川のウルブプンガ発電所からの遠距離送電が行われ,さらに82年からより大規模なイタイプ発電所(完成時発電設備容量1070万kW)の操業が開始された。大企業には外国資本との合弁のものが多く,多国籍企業の問題は大きい。また,急激な都市化,工業化に伴う交通と公害の問題解決が大きな課題となっている。高速道路が次々に建設され,1974年からは地下鉄の南北線も開通し,ビラ・コッポス国際空港も郊外に建設されたが,総合的解決にはいたらず,今は政府によって工業の地方分散政策が推進されている。

 リオ・デ・ジャネイロが政治,観光,消費,民俗情緒の都市であるのに対して,サン・パウロは産業,労働,生産,現実の都市といわれるが,サン・パウロの文化・政治面への貢献度はリオ・デ・ジャネイロに優るとも劣らない。かつてはサン・パウロ市長になれば大統領は目前だといわれた。雄大な規模を誇る大学都市をもつサン・パウロ総合大学は名実ともにブラジル学界をリードする最高の教育研究機関である。同大学付属の,毒蛇研究のブータンタン研究所,歴史・民族資料を擁するパウリスタ博物館,ルネサンスから20世紀初めにかけての西欧の名品を収蔵するサン・パウロ美術館(1947創設)は世界に有名である。サン・パウロ市は〈バンデイランテ首都〉の異名があり,市民はパウリスターノと呼ばれる。
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サン・パウロ市内南東部にある一地区。1822年9月7日ポルトガルのブラガンサ家の王子ペドロ(ペドロ1世)が,ブラジルの独立を宣言(〈イピランガの叫び〉)した土地として知られる。記念博物館があり,歴史的場面を表す彫刻群が展示されている。
執筆者:

サン・パウロ[州]
São Paulo

ブラジル南東部にあり,工業化,都市化,近代化が最も進んだ州。面積24万7320km2。人口はブラジル最大で3703万2000(2000)。州都はサン・パウロ市。沿岸近くに高い海岸山脈(セラ・ド・マール)があり,州の85%は標高300~900mで,内陸に向かって傾斜するブラジル高原にある。河川はおもに奥地へと流れる。人口の半数が大都市に集中しており,都市人口は88.6%で,発展途上国としては例外的に中都市がよく発達している。

 かつてはトゥピ・グアラニー族,カインガング族などの居住地帯だった。16世紀からポルトガル入植者がサトウキビ栽培,牧畜,奴隷狩りなどを行ったが,目だった産業のない貧困地帯だった。19世紀中葉よりコーヒー産業が発展しだしてからこの地帯は急成長を始め,大量の外国移民が契約労働者として入り,鉄道網が発達し,各地に都市が勃興した。1936年までの100年間に約300万人の外国移民(おもにイタリア人,ポルトガル人,スペイン人,日本人,ドイツ人など)が流入して,州内は人種と文化のるつぼと化し,急速に多人種社会が形成された。1908年以来日本人移民も約20万人来航し,現在では州内571のムニシピオ(行政区)で日系人の居住しない所は一つもない。

 サン・パウロ工業地帯は今日ラテン・アメリカ最大のものである。初期の工業化はコーヒー生産を母体として大土地所有者である伝統的支配者層の手で推進されたが,1929年の世界恐慌後その多くは移民やその子孫の手に移った。二つの世界大戦と世界恐慌の時期にサン・パウロ工業は輸入代替で飛躍的に発展し,〈サン・パウロはブラジルの機関車である〉といわれた。50年代以降,重工業,自動車産業の発達が目覚ましい。サン・パウロ1州で総国民所得の40%,総工業生産の50%を占める。それらの6割は大都市圏に集中している。農業では今日でもコーヒーが主で,全国の4割を生産し,砂糖産業も伸びている。他州に比べて小土地所有の独立自営農の発達が顕著で,農村・都市ともに中産階級の層が厚い。州内には舗装した高速道路が縦横に走り,交通機関としての鉄道の役割は衰微し,長距離バス,自家用車によるものが多い。州出身者はパウリスタPaulistaと呼ばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンパウロ」の意味・わかりやすい解説

サンパウロ
São Paulo

ブラジル南東部,サンパウロ州の州都。ブラジル最大の都市で,大西洋岸に沿って連なるマル山脈中の丘陵地帯にあり,パラナ川支流ティエテ川に臨む。標高約 730mの高地にあるため,南回帰線上に位置するわりに涼しく,気温は夏でも 30℃をこえることはまれで,冬にはしばしば 0℃近くまで下がる。1554年イエズス会の伝道所のまわりにラテンアメリカインディアン(インディオ)の小集落がつくられたのが市の始まりで,1560年には町に発展。1681年沿岸のサンビセンテに代わってこの地方一帯のポルトガル植民地の首都となった。17世紀を通じて,おもに奴隷にするためのインディオや,金,銀,ダイヤモンドを求めて内陸の奥地に入り込む人々の基地となって発展した。しかし 18世紀にポルトガル植民地がいくつかに分割された結果,市の重要性が低下,19世紀初めには一農業集落にすぎなくなった。19世紀後半,コーヒー栽培が導入され,プランテーション農業によって大規模に栽培されるようになった。財政状況が良好となった市は 1880年以降急速に発展,内外から多数の移住者が流入して人口が急増し,工業も発展し始め,近代都市へと変貌していった。1900年代初めには日本からも多数が移住,今日までに世界最大規模の日系人社会を形成している。人口はその後も世界に類をみない速度で増え続け,都市域も拡大,周辺 36市に及ぶ大都市圏に発展している。今日ではブラジルの工業,商業,金融の中心地で,特に工業発展が著しく,南アメリカ最大の工業都市となっている。市内外には繊維,機械,電機,家具,建設,食品,化学製品,薬品などの工業が立地するほか,ブラジル有数の製油所があり,金属,機械,自動車などの重工業も発達。文化の中心地でもあり,市内にはサンパウロ大学(1934)をはじめとする多数の高等教育・研究機関があり,博物館,美術館,図書館,劇場などの文化施設も多い。パウリスタと呼ばれるサンパウロ市民の間では,サッカーをはじめとするスポーツが盛んで,大競技場を含む各種のスポーツ施設がある。ブラジルの鉄道・道路網の一大起点で,外港となっている大西洋岸の港湾都市サントスとも急崖をなすマル山脈の南斜面を越えてケーブル鉄道と道路で結ばれる。北西郊にビラコポス国際空港があり,市内には国内線用のコンゴニャス空港がある。面積 1493km2。都市圏面積 7951km2。人口 1115万2344。都市圏人口 1968万3975(2010)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サンパウロ」の解説

サンパウロ
São Paulo

ブラジル南東部サンパウロ州の首都。16世紀半ば,イエズス会が布教の拠点としたが,やがてバンデイランテス(奴隷狩りの探検隊)の根拠地となり,1711年に市に昇格した。19世紀後半からコーヒー産業で栄え,20世紀には,経済の中心としてブラジル最大の都市となった。

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世界大百科事典(旧版)内のサンパウロの言及

【ブラジル】より

…トゥピ語はイエズス会宣教師によって体系化され,初期にはリングア・ジェラルlingua geralと呼ばれる共通語として植民者,現地生れの混血層,非トゥピ語族間にも広く使用された。アフリカからは主としてサトウキビ栽培の奴隷労働力として約360万人の黒人(おもにバントゥー族,ヨルバ族)が強制移住させられ,ことにサン・パウロからマラニョンに至る沿岸地帯では人口の圧倒的多数を占めたが,死亡率が高く,また混血も進行した。 独立後の19,20世紀では移入人口の比重は圧倒的にヨーロッパからの白人系に移り,全ブラジル人口の白人化傾向が進んだ。…

【バンデイラ】より

…エントラーダentradaともいい,その参加者をバンデイランテbandeiranteという。当時の沿岸主要都市から出発したが,とりわけサン・パウロ市のものが有名で,今日に至るまで,サン・パウロ人はバンデイランテ精神を称揚している。元来は中世ポルトガルの軍隊組織の名称で,36人の小隊を指したが,16世紀にはより大きな組織をも意味した。…

※「サンパウロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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