システィナ礼拝堂(読み)システィナれいはいどう(英語表記)Cappella Sistina

精選版 日本国語大辞典 「システィナ礼拝堂」の意味・読み・例文・類語

システィナ‐れいはいどう ‥レイハイダウ【システィナ礼拝堂】

(システィナはSistina) イタリアローマバチカン宮殿内にある礼拝堂。一四七三年シクストゥス四世の命により着工、八一年完成。奥行四〇・五メートル、幅一三・二メートルで約二〇メートルの高さの折上げドーム天井配置。祭壇後方の西側壁面にはミケランジェロ作の「最後の審判」、天井には旧約聖書中の天地創造から人間の堕落までを九図に分けてフレスコ画で描いてある。

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デジタル大辞泉 「システィナ礼拝堂」の意味・読み・例文・類語

システィナ‐れいはいどう〔‐レイハイダウ〕【システィナ礼拝堂】

《〈イタリア〉Cappella Sistinaバチカン宮殿にある礼拝堂。1473~1481年、教皇シクストゥス4世により創建。ミケランジェロの「最後の審判」ほか、すぐれた壁画・天井画がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「システィナ礼拝堂」の意味・わかりやすい解説

システィナ礼拝堂
しすてぃなれいはいどう
Cappella Sistina

バチカン市国、ローマ教皇庁内にある礼拝堂。教皇選挙会(コンクラーベ)の会場にあてられることでもよく知られている。初め教皇専用の礼拝堂として、1278年ニコラウス3世の提案によって造営されたが、その後シクストゥス4世の意向を受けたジョバンニ・デ・ドルチによって、1473~81年に全面的に改築され、40.5×13.2メートルの長方形、天井の高さ20.7メートルという広壮な礼拝堂となった。当時の政治上の混乱を反映して、礼拝堂と城砦(じょうさい)の機能を兼ねうる構造になっている。堂内を二分する障柵(しょうさく)はミーノ・ダ・フィエーゾレ、ジョバンニ・ダルマータおよびアンドレア・ブレーニョの共作である。壁画はコジモ・ロッセリボッティチェッリギルランダイヨペルジーノ(のちにシニョレッリ、ピントリッキョらが加わる)によって1481~83年に制作された。祭壇に向かって左側には『モーセの生涯』、右側には『キリストの生涯』が6面ずつ描かれている。壁画の上の高窓の左右には、それぞれニッチ(龕(がん))の中に立つ計24人の教皇像が描かれているが、この制作にはギルランダイヨ、ボッティチェッリ、フラ・ディアマンテらが従事した。

 ミケランジェロによる天井画はユリウス2世の命により1508年に着手、12年に完成されている。ミケランジェロはまず建築的デザインを描いて天井を区画し、中央部を縦に連続する九つの長方形の枠内に創世記物語を描いた。次にそれを取り巻くように12人のモニュメンタルな預言者と巫女(みこ)の坐像(ざぞう)を配し、これらが創世記物語と連接する位置に20体の青年の裸像を描いている。そのうえさらにキリストの先祖たちや装飾彫刻まで描き込み、しかも複雑な画面全体を統一的に構成したのである。

 同じ礼拝堂の祭壇の背後にみる『最後の審判』はパウルス3世の命で、やはりミケランジェロの手で完成。ダンテの『神曲』から構想を得て、制作者自身の宗教観を大胆に造形化した作品。画面中央やや上部に審判者キリストとマリアを配置し、これを取り囲んで上段は天使、中段は預言者、巫女、使徒、殉教者、下段右側は地獄に堕(お)ちる者と地獄、左側は墓から出て天国に昇る者という布置であり、巨大な浮彫りを思わせる画面である。

 なお、この礼拝堂のあるバチカン市国は1984年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[濱谷勝也]

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百科事典マイペディア 「システィナ礼拝堂」の意味・わかりやすい解説

システィナ礼拝堂【システィナれいはいどう】

バチカン宮殿にある教皇の礼拝堂。Cappella Sistina。教皇シクストゥス4世が1473年―1481年ジョバナニ・デ・ドルチに建てさせた,長方形プランの簡素な煉瓦建築で,ルネサンスからマニエリスム期の多数の壁画,天井画によって名高い。〈システィナ〉とは〈シクストゥスの〉の意。《天地創造》《楽園追放》など旧約聖書に取材した9場面の天井画と祭壇壁画《最後の審判》はミケランジェロの作品。また両側の長い壁画にはピントゥリッキョボッティチェリギルランダイオシニョレリペルジーノらによる宗教画がある。
→関連項目アルカデルトバチカンバチカン美術館

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改訂新版 世界大百科事典 「システィナ礼拝堂」の意味・わかりやすい解説

システィナ礼拝堂 (システィナれいはいどう)
Cappella Sistina

バチカン宮殿内にある礼拝堂。教皇居城の付属礼拝堂として1475年シクストゥス4世によって建立された。〈システィナ〉とは〈シクストゥスの〉の意。単廊式で,幅13.4m,奥行き40.2m,高さ20m。内陣と信者席とがついたてによって仕切られており,左側壁にはモーセの生涯,右にはキリストの生涯,その上には歴代教皇の肖像が15世紀末フィレンツェ派の画家(ペルジーノ,ギルランダイオ,ボッティチェリなど)によって描かれた。1508-12年,ユリウス2世の命によってミケランジェロが旧約聖書の《創世記》から,天地創造より人間の堕落までの主題を天井に9場面に描き,さらに旧約の預言者などを描いて,両側壁の2主題と総合されてキリスト教の全史を物語る空間となった。終りに35-41年クレメンス7世とパウルス3世の命でミケランジェロが祭壇座に《最後の審判》を制作し,同礼拝堂はルネサンスからマニエリスムにいたる時期の,もっとも重要な宗教的,芸術的モニュメントとなった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「システィナ礼拝堂」の意味・わかりやすい解説

システィナ礼拝堂
システィナれいはいどう
Cappella Sistina

1473~84年,教皇シクスツス4世が G.ドルチにローマのバチカン宮に建てさせた教皇のための礼拝堂。長方形プランの簡素な煉瓦建築で,美術史的には堂内を飾るルネサンス・フレスコによって重要。内陣を仕切る大理石のついたてと合唱壇は M.フィエーゾルおよび G.ダルマタの作。両側の長い壁には,ボティチェリ,ギルランダイオ,C.ロッセリ,シニョレリ,ピントリッキオ,P.コシモなどのキリストの生涯を画題としたフレスコが並ぶ。さらに有名なのはミケランジェロの天井画と祭壇壁画。 1508~12年制作の天井画は,中央に「天地創造」「楽園追放」「ノアの洪水」など旧約聖書の9場面を描き,祭壇壁画は 36~41年,パウロ3世のために制作された『最後の審判』が有名。ラファエロもタペストリーの下絵を制作した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「システィナ礼拝堂」の解説

システィナ礼拝堂(システィナれいはいどう)
Sistina

ヴァチカン宮殿内の主要礼拝堂。教皇シクストゥス4世の命で,ジォヴァンニ・デ・ドルチが建造(1473~81年)。多くの芸術家が装飾したうち,ミケランジェロの「最後の審判」の天井画が最も有名である。

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旺文社世界史事典 三訂版 「システィナ礼拝堂」の解説

システィナ礼拝堂
システィナれいはいどう
Cappélla Sistina

ローマのヴァチカン宮殿内の廟所 (びようしよ)
教皇シクストゥス4世の命により1473〜81年に建造された。内部装飾が美術史上重要で,特にミケランジェロの壁画・天井画が有名。天井画「天地創造」は1512年,壁画「最後の審判」は1541年に完成した。

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世界大百科事典(旧版)内のシスティナ礼拝堂の言及

【最後の審判】より

…この影響は上述した西ヨーロッパの諸例にも散見するが,イタリアに著しく,ジョットのパドバの壁画でも,基本的には西ヨーロッパ的であるが,その影響がうかがわれる。イタリアではダンテの《神曲》などの反映を示して,しだいによみがえった人々や地獄,天国の場面を豊富にし,また現実感を加え,ミケランジェロはシスティナ礼拝堂の壁画に,中世的な階段構図をやめ,審判者らを中心に,左下から上り,右下に下る旋回構図をとる11群の人物大群の圧倒的表現力をもって,この主題を近代化している。【吉川 逸治】。…

【ミケランジェロ】より

… 05年,教皇ユリウス2世の招きでローマに赴き,40体以上の彫刻と建築的モティーフの複合体である教皇の墓廟の制作を命ぜられるが,翌年には早くも教皇との間に不和が生じ,仕事は中断する。教皇は08年システィナ礼拝堂天井画制作を彼に命じ,彫刻家をもって自認するミケランジェロは,不承不承ながらも,12年に《創世記》諸場面とその周辺の多数の画面をほとんど独力で描き上げる。この天井画の特質は,第1には無数の人体の彫塑的表現効果であり,第2にはその新プラトン主義的な聖書解釈であろう。…

※「システィナ礼拝堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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