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シモン・ド・モンフォール Simon de Montfort

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世界大百科事典 第2版の解説

シモン・ド・モンフォール【Simon de Montfort】

1208‐65
イングランドの貴族。フランスの貴族モンフォールの息子で,22歳のころイングランドに渡り,ヘンリー3世に迎えられたが,1238年王妹エリナーと結婚して貴族の憤りをかった。翌年レスター伯領を正式に下賜された。友人で大学者R.グロステストの影響を受け,40年には十字軍に加わった。48年に王の命でフランスのガスコーニュ総督となったが,当地の貴族との不和で54年帰国を命ぜられた。このころ王との対立が明らかになり,58年の議会でそれは決定的となった。

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世界大百科事典内のシモン・ド・モンフォールの言及

【アルビジョア十字軍】より

…同年ベジエを襲撃して全市民を虐殺し,西進してカルカソンヌを占拠した。ここで俗人の十字軍指導者としてシモン・ド・モンフォール(英国史に登場する同名人物の父)が選任される。以後十字軍はカルカソンヌを拠点として周辺への出撃を繰り返す時期が続くが,13年ミュレの合戦にアラゴン王,トゥールーズ伯,フォア伯の南欧連合軍を粉砕して,一挙に南フランスの大半を制圧した。…

【ヘンリー[3世]】より

…しかし一方,国内では騎士階層はじめ国制改革の徹底を求める声が高く,59年には〈ウェストミンスター条項〉が成立した。このころから諸侯は王と結ぶ保守派とシモン・ド・モンフォールを先頭とする改革派に分裂した。調停に当たったフランスのルイ9世が〈アミアンの裁定〉(1264)で〈オックスフォード条項〉の無効を宣言すると,両派は戦いとなり,ヘンリーはルーイスで改革派に捕らわれた。…

※「シモン・ド・モンフォール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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