シャルル アズナヴール(英語表記)Charles Aznavour

現代外国人名録2016 「シャルル アズナヴール」の解説

シャルル アズナヴール
Charles Aznavour

職業・肩書
シャンソン歌手,作詩家,作曲家,俳優

国籍
アルメニア

生年月日
1924年5月22日

出生地
フランスパリ・サンジェルマン・デ・プレ

本名
アズナヴリアン,シャヌー〈Aznavourian,Shahnourh Varenagh〉

勲章褒章
レジオン・ド・ヌール勲章コマンドール章〔2004年〕

受賞
ACCディスク大賞〔1947年〕「酔いしれて」,シャンソン大賞〔1986年〕

経歴
両親はアルメニア人で、父はオペレッタのバリトン歌手だった。少年時代より俳優を志望子役として舞台に立っていたが、1941年ピエール・ロッシュと出会い、’42年デュエットで歌手デビュー。’46年頃、歌手エディット・ピアフに才能が認められ、ピアフのステージの前座で出演。’53年ソロとして独立。’55年オランピア劇場に出演して成功。しゃがれ声と独特の節まわしで人気を得、作詩・作曲も手がけた。代表曲に「ラ・ボエーム」「イザベル」「帰り来ぬ青春」、「酔いしれて」「日曜日はきらい」「メケ・メケ」(以上作詩も)、「ラ・マンマ」(作曲も)など。一方、性格俳優として映画「ピアニストを撃て」(’60年)、「ラインの架橋」(’61年)など約60本に出演。’70年代やや沈滞気味だったが、’80年代に入ると円熟味を増し、以後の代表曲に「人の言うように」(’73年)、「去りし人々」(’75年)、「声のない恋」(’80年)、「私は引退しない」(’87年)などがある。また、’88年のアルメニア大地震の際の支援や、アゼルバイジャンと戦争状態にあったアルメニアに対する国際的支援の活動を続け、’93年3月からアルメニアの駐仏大使、’95年よりユネスコのアルメニア移動大使を務めた。2004年アルメニアが“国民英雄”を授与。2008年アルメニア国籍を取得。2009年アルメニアの駐スイス大使に就任。1968年に日本で初コンサート、2007年2月「ありがとう、さよなら日本公演」と題する来日公演を開催。自伝に「私の若かった昨日」(1969年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「シャルル アズナヴール」の解説

シャルル アズナヴール
Charles Aznavour


1924.5.22 -
フランスのシャンソン歌手,作詞家,作曲家,俳優。
パリ生まれ。
本名Shahnourh Aznavourian。
アルメニア人の芸人の息子として生まれ、父ミーシャは、オペレッタのバリトン歌手。1941年作曲家ピエール・ロッシュと出会い、シャンソンを共作、デュエットを組んでデビューする。’52年ソロ歌手としてのスタートを切り、独特の声とジャズの感覚を取り入れた唱法で人気を獲得。ヒット曲に、「ラ・マンマ」、映画出演では、「ピアニストを撃て」など。’93年アルメニア駐仏大使に任命される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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