世界大百科事典(旧版)内のシャルレ,N.T.の言及
【ドーミエ】より
…少年時代は生活のために働きながら絵や石版術を学んだ。ルイ・フィリップを洋梨になぞらえたフィリポンCharles Philipon(1804‐62)が主宰している風刺雑誌《カリカチュール》,《シャリバリ》を舞台に,シャルレNicolas Toussaint Charlet(1792‐1845),トラビエCharles‐Joseph Traviès(1804‐59),ドベリアAchille Deveria(1805‐59)らと共通する様式の石版風刺画家として声価を確立する。その契機となったのは洋梨風の国王を貪欲な巨人に見たてた《ガルガンチュア》(1830)で,このため6ヵ月の入獄と罰金が科された。…
【リトグラフ】より
…これ以後19世紀を通して石版画はフランスを中心に発展するが,同時に報道や記録という実用的役割も果たした。シャルレNicolas‐Toussaint Charlet(1792‐1845)やラフェAuguste Raffet(1804‐60)による戦場石版画はナポレオン伝説の形成に寄与した。名所図絵的な風景石版画も流行し,テーラー男爵の《古きフランスへのロマンティックでピトレスクな旅》(25巻)は1820‐78年に刊行された記念碑的出版となり,ボニントン,ユエ,イザベーEugène Isabey(1803‐86)ら多くの版画家が協力した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」