シュシュニック,K.(読み)しゅしゅにっく

世界大百科事典(旧版)内のシュシュニック,K.の言及

【オーストリア】より

…同時にナチス分子も活動を強め,34年7月ドルフスもまたナチスに暗殺された。ドルフスの後継者シュシュニックKurt Schuschnigg(1897‐ )はオーストリアの独立を確保しようとしてヒトラーと会い,またそれを3月13日の国民投票に付そうとしたが,その先手を打って38年3月11日ナチスがオーストリアに進駐した。こうしてオーストリアはドイツ帝国に〈併合(アンシュルスAnschluss)〉された。…

【第2次世界大戦】より

…1936年7月の独伊協定以降,ヒトラーは宣伝やナチ党支援を通じてオーストリアに揺さぶりをかけていたが,38年初頭,軍の再編によって起こった国内不安を解消すべくオーストリア進出の実行を決意した。2月12日オーストリア首相シュシュニックをヒトラーのベルヒテスガーデンの山荘に呼びつけ,実質的にオーストリアの従属化を意味する協定を強要し,オーストリア側がそれを3月13日の国民投票で決定するという抵抗の意思を示したとき,3月11日国民投票の中止とナチ党のザイス・インクワルトの首相就任を要求する最後通牒を発した。同日夜シュシュニックは辞任しザイス・インクワルトが首相となると,要請というかたちで12日ドイツ軍は国境を越え翌13日ウィーンに入り,ヒトラーはオーストリアの〈併合〉を宣言した。…

※「シュシュニック,K.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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