シュミット(Carl Schmitt)(読み)しゅみっと(英語表記)Carl Schmitt

  • 1888―1985

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

20世紀ドイツの政治学者、公法学者。ウェストファーレンのプレッテンベルクに生まれる。ベルリン、ミュンヘン、ストラスブール大学で法律学を修め、「責任および責任の種類に関して、その術語的研究」という刑事責任論の論文を書いて学位を得た。グライフスワルト、ボン、ベルリン商科、ケルン、ストラスブール大学教授を歴任し、ヒトラー政権成立後ベルリン大学教授に任命され、ナチ法学界の中心的存在となったが、1936年ごろから彼の政治学は民族理論が弱いとして批判を受け、第一線から退いた。

 第二次世界大戦後はアメリカ軍によって一時期勾留(こうりゅう)され、釈放後は故郷のプレッテンベルクで著作活動を続け、『大地のノモス』(1950)、『ドノソ・コルテス論』(1950)、『パルチザンの理論』(1963)などを発表している。

 第一次世界大戦前は公法学者として活躍し、『法律と判決』(1912)、『国家の価値と個人の意義』(1914)などを発表し注目されたが、戦後は政治学者に転じ、ワイマール体制下にあって一貫して「強いドイツ」の復興のために理論活動を行った。『政治的ロマン主義』(1919)、『独裁論』(1921)、『政治神学』(1922)、『現代議会主義の精神史的地位』(1923)、『大統領の独裁』(1924)、『政治的なものの概念』(1927)、『憲法理論』(1928)、『憲法の番人』(1928)、『全体国家への転回』(1931)、『合法性と正当性』(1932)、『国家・運動・国民』(1933)など次々に著作を発表し、これらの著作を読むだけで、ワイマール14年間の主要な政治的争点、ワイマール共和国の崩壊過程、ナチス政権成立の事情などが手にとるようにわかる。

 シュミットの学問的出発点は、自由主義的なワイマール民主体制に反対し、ドイツ大統領のリーダーシップによる権力集中型国家の構築を目ざしたもので、これは当時のドイツの保守支配層の考え方を代弁したものといえる。したがって、彼の全著作を通じて、一方では近代民主主義の思想やその制度的表現である議会制度を批判し、他方ではワイマール憲法の枠内で大統領の権限強化を図りつつ大統領の独裁を確立するという試みが対(つい)をなして行われている。

 彼の議会制批判の要旨は、次のとおりである。いまや新しい社会階級である労働者階級が台頭し、彼らは社会主義の実現を目ざし階級闘争を唱え、ドイツの統一を破壊しようとしている。彼らはドイツ支配層の不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である。にもかかわらず議会制民主主義の下では、「敵」である彼らに議席を与え「討論相手」に変えてしまっている。このような状況では、彼らに対抗できない。議会制度は否定されるべきである。

 そこで彼は、議会に拠点を置かない大統領中心の政府をつくることを目ざす。そのため、憲法第48条を手掛りにして「例外状態」「異常事態」において大統領のとる措置、命令は無制限であるという解釈を唱える。

 ところで、ワイマール期14年間は数年間を除きほとんど「例外状態」の連続であったから、大統領は第48条の「非常大権」を発動して危機を切り抜けていた。ということは「例外」は「例外」でなく大統領政治が恒常的であることを意味したから、シュミットの独裁論はけっして当時にあっては奇異なこととは感じられなかった。とくに1929年の世界大恐慌発生後から1933年ヒトラー政権が成立するまでは大統領内閣の時代が続いた。そこでシュミットは、いまや大統領の命令や措置は法律に等しいと極言するまでになった。彼は、独裁は専制とは異なり危機回避のための有効な手段であると述べ、憲法の番人である、また敵を指定できる大統領が真の主権者であるとして、国民主権主義を否定しワイマール議会制民主主義に死亡宣告を下した。そして、議会政治では国民は代表者を選んだのちにはなんらなすすべをもたない「見えない政治」であるから、いまや「歓呼と喝采(かっさい)」によって主権者の「上からの命令」に「下から呼応」するような「見える政治」に変えなければならない、という。こうした考えは、まさに、ヒトラーのナチ党の行動とほとんど同じものであったことはいうまでもないであろう。1933年5月1日、シュミットはついにナチ党に入党し、ナチ党の法律顧問の地位につく。しかし、ナチ党の狂信主義はとどまるところを知らず、シュミットの政治論は民族理論が弱いと批判され失脚する。

 第二次世界大戦後、彼は『パルチザンの理論』などを発表して注目されたが、これはベトナム戦争を題材にして、彼がかつて唱えた敵・味方論がベトナムの地を舞台にして米ソの代行戦争として闘われているという自己弁護論にすぎず、もはや往年の精彩を失ったものといわざるをえない。

 日本では昭和初年の「政治概念論争」のなかでシュミットの「敵・味方論」が一時期話題となり、また第二次世界大戦後の昭和40年代前半に、戦後民主主義の再検討との関連で、シュミットの議会制批判が利用されたが、もともとシュミットは民主政治を否定するためにその理論を展開していたのであるから、そのようなシュミット理論の利用の仕方は誤用であったといわざるをえない。シュミットの「魔性の政治学」はあくまでも反面教師としての意味以上のものではないのである。

[田中 浩]

『田中浩・原田武雄訳『政治的なものの概念』(1970・未来社)』『田中浩・原田武雄訳『政治神学』(1971・未来社)』『田中浩・原田武雄訳『大統領の独裁』(1974・未来社)』『田中浩・原田武雄訳『合法性と正当性』(1983・未来社)』『田中浩著『カール・シュミット』(1992・未来社)』

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