ショーン ペン(英語表記)Sean Penn

現代外国人名録2016 「ショーン ペン」の解説

ショーン ペン
Sean Penn

職業・肩書
俳優,映画監督

国籍
米国

生年月日
1960年8月17日

出生地
カリフォルニア州サンタモニカ

受賞
アカデミー賞主演男優賞(第76回,2003年度)〔2004年〕「ミスティック・リバー」,アカデミー賞主演男優賞(第81回,2008年度)〔2009年〕「ミルク」,ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞,第46回)〔1996年〕「デッドマン・ウォーキング」,インディペンデント・スピリット賞主演男優賞(第11回,1996年度)「デッドマン・ウォーキング」,カンヌ国際映画祭主演男優賞(第50回)〔1997年〕「シーズ・ソー・ラブリー」,ベネチア国際映画祭最優秀男優賞(第55回)〔1998年〕「キャスティング・ディレクター」,ベネチア国際映画祭最優秀男優賞(第60回)〔2003年〕「21グラム」,ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(第61回,2003年度)「ミスティック・リバー」,ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(第74回)〔2008年〕「ミルク」,ロサンゼルス映画批評家協会賞主演男優賞(第34回)〔2008年〕「ミルク」

経歴
父は演出家、母は女優、弟も俳優という芸能一家。高校時代は8ミリ映画製作に熱中し、卒業後、ロサンゼルス・グループ・レパートリー・シアターで2年間裏方修業。テレビや舞台劇に出演した後、1981年「タップス」で映画デビュー。以来個性的な風貌役柄性格俳優として注目を集める。気性の激しさとマスコミ嫌いも有名で、’85年ロックスターのマドンナとの結婚に際しての取材トラブル後、度々暴力事件を起こし、’87年60日間の実刑を科された。’85年離婚。’91年「インディアン・ランナー」で監督デビュー。’96年「デッドマン・ウォーキング」(’95年)の死刑囚役で初のアカデミー賞候補となり、2004年「ミスティック・リバー」(2003年)で、2009年には「ミルク」(2008年)で同賞主演男優賞を2度受賞。他の出演作に「初体験リッジモント・ハイ」(1982年)、「バッド・ボーイズ」(’83年)、「カラーズ/天使が消えた街」(’88年)、「シーズ・ソー・ラブリー」「Uターン」「ゲーム」(’97年)、「キャスティング・ディレクター」「シン・レッド・ライン」(’98年)、「ギター弾きの恋」(’99年)、「アイ・アム・サム」(2001年)、「21グラム」(2003年)、「ニクソン」「ザ・インタープリター」(2005年)、「オール・ザ・キングスメン」(2006年)、「フェア・ゲーム」(2010年)、「ツリー・オブ・ライフ」(2011年)、「LIFE!」(2013年)など、監督作品に「クロッシング・ガード」(1995年)、「プレッジ」(2000年)、「セプテンバー11(イレブン)」(2002年)、「イントゥ・ザ・ワイルド」(2007年)などがある。1996年女優のロビン・ライトと再婚するが、2010年離婚。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ショーン ペン」の解説

ショーン ペン
Sean Penn


1960.8.17 -
俳優。
カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。
妻はロックスターのマドンナで、父親は演出家、母親も女優という芸能一家。当初、ロサンジェルス・グループ・レパートリー・シアターで裏方の修行をするうち、テレビなどにも出演するようになる。マスコミ嫌いと激しい気性は有名で、マドンナとの結婚に関しても数度の暴力事件を起こしている。代表作品に絶賛を浴びた舞台劇「Heartland」、映画デビューとなった「タップス」(’81年)などがある。91年「インディアン・ランナー」で監督デビュー。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ショーン ペン」の解説

ショーン ペン

生年月日:1960年8月17日
アメリカの俳優;映画監督

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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