ショー

精選版 日本国語大辞典 「ショー」の意味・読み・例文・類語

ショー

〘名〙 (show 「見せる」「展示する」の意)
① 舞台芸術のうち、特に視覚的要素を強調したもの。レビュー、ミュージカルショーバラエティーショーアトラクションなどの総称。また、はなやかな見せ場をもつ場面、情景などのたとえ。〔モダン用語辞典(1930)〕
※帰郷(1948)〈大仏次郎〉夜の鳥「舞踊のショウが終ると、また場内の電燈がともり」
② 展示会。展覧会。「ファッションショー」「自動車ショー」など。
※母なるもの(1969)〈遠藤周作〉「まるで、ショーの説明役みたいでしたが」
③ 興行のこと。「チャリティーショー」「ロードショー」など。

ショー

(George Bernard Shaw ジョージ=バーナード━) イギリスの劇作家、小説家、批評家。イギリス近代劇の創始者。処女戯曲「やもめの家」の発表によって、たちまち名声を博した。その警抜な皮肉は有名。戯曲の代表作「ウォーレン夫人の職業」「人と超人」「聖女ジョーン」など。一九二五年ノーベル文学賞受賞。(一八五六‐一九五〇

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デジタル大辞泉 「ショー」の意味・読み・例文・類語

ショー(George Bernard Shaw)

[1856~1950]英国の劇作家・批評家。フェビアン協会に参加。風刺と機知に富んだ辛辣しんらつな作品により、英国近代劇を確立した。戯曲「人と超人」「ピグマリオン」「聖女ジョーン」などのほか、社会主義や芸術についての評論が多い。1925年、ノーベル文学賞受賞。バーナード=ショー。

ショー(show)

舞台芸能などの見世物。特に、音楽・舞踊を中心とした、視覚的要素の強い芸能。「ミュージカルショー」「トークショー
展示会。「ファッションショー
興行。「チャリティーショー」「ロードショー
[類語]興行見せ物

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百科事典マイペディア 「ショー」の意味・わかりやすい解説

ショー

アイルランド出身の劇作家,評論家。ダブリンの穀物商の家に生まれる。小学校を終えるとすぐ社会に出て,20歳のときロンドンに行く。そのころから小説を書き,のちフェビアン協会の設立に参加,また演劇評論家アーチャーと知り合い,近代劇の推進者として活躍する。戯曲には,《やもめの家》(1892年),《ウォレン夫人の職業》(1898年),《シーザーとクレオパトラ》(1901年),《人と超人》(1903年),《ピグマリオン》(1913年,のちブロードウェーでミュージカル化,1964年にはG.キューカー監督により《マイ・フェア・レディ》として映画化),《聖女ジョーン》(1923年)など。音楽,演劇の評論も行い,皮肉,毒舌で知られる。1925年ノーベル文学賞受賞。
→関連項目キューカーグライン菜食主義ジョンステージソサエティダブリンテリー中村吉蔵ピュグマリオン

ショー

米国の劇作家,小説家。ニューヨーク生れ。反戦劇《死者を葬れ》(1936年)で成功し,《おとなしい人びと》などを書く。第2次大戦に参戦後発表した小説《若き獅子たち》(1948年)は,激しい戦闘の中に交錯する3人の男の運命を描いた代表作。ほかに《苦悩する放送》や短編集など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ショー」の意味・わかりやすい解説

ショー
George Bernard Shaw
生没年:1856-1950

イギリスの劇作家。アイルランドのダブリン生れ。ロンドンに出てジャーナリストとなり,音楽批評,次いで劇評を執筆。劇評家としては在来のウェルメード・プレーを排撃して,イプセン風の社会意識をもった劇を擁護した。他方,穏健な社会主義者としてフェビアン協会の設立に参加。彼は世界は〈生命力〉に動かされて進化するという哲学をもっていた。戯曲で最初に話題になったのはスラム街の住宅事情を攻撃した《やもめの家》(1892初演。以下初演)である。それ以後,ヒロイズムを風刺した《悪魔の弟子》(1897),売春問題を扱った《ウォレン夫人の職業》(1902),生命力の哲学を具体化させた《人と超人》(1905),英雄を茶化した《シーザーとクレオパトラ》(1906),ジャンヌ・ダルクを主人公にした《聖ジョーン》(1923)のほか,おびただしい数の戯曲を発表した。音声学者が花売り娘に上流階級の言葉づかい,礼儀作法を教えこんでレディに仕立てる《ピグマリオン》(1913)は,のちにアメリカで,ブロードウェーでのミュージカル・ドラマ化を経て,《マイ・フェア・レディ》(1964,G.キューカー監督,アカデミー作品賞ほかを受賞)として映画化された。ロマンス性も強いが,イギリスの階級制度を風刺している。ショーの作品はいずれも思想性や問題性に富んではいるが,他方,作者が退けたウェルメート・プレーの技巧を取り入れた娯楽劇にもなっており,逆説を盛りこんだせりふによって生気を与えられている。1925年,ノーベル文学賞を受賞。
執筆者:

ショー
Richard Norman Shaw
生没年:1831-1912

イギリスのビクトリア朝後期を代表する建築家。エジンバラ生れ。ロンドンで建築を修業,1856-58年フランス,ドイツなどを回り,《大陸の建築画集Architectural Sketches from the Continent》(1858)を出版。建築家G.E.ストリートの事務所を経て,62年親友のネスフィールドEden Nesfieldと独立。初期の聖三位一体教会(ビングリー,1868)ではゴシック・リバイバルの影響もみられたが,70年代に入り,軽快・素朴なクイーン・アン様式でローサー・ロッジ(ロンドン,1875)をはじめ多くの住宅を設計し,快適な間取りや自由な様式を求めた〈住宅革新運動English Domestic Rivival movement〉の中心的存在となる。その後古典的な構成も取り入れ,ニュー・スコットランド・ヤード(ロンドン,1890)などバロック風の大作も手がけた。
執筆者:

ショー
William Napier Shaw
生没年:1854-1945

イギリスの物理学者,気象学者。バーミンガムで生まれ,ケンブリッジ大学で学び,J.C.マクスウェルの教えを受けた。はじめはキャベンディシュ研究所につとめ,電気に関する実験などをした。1887年にはケンブリッジ大学の講師,97年には気象評議会の委員となり,1905年気象台長となった。06年には低気圧の中の空気の流跡線の研究を発表した。これは,ノルウェー学派の低気圧波動論の先駆ともいえるもので,V.F.K.ビヤークネスらの研究を支援した。また,高層観測の重要性を主張した。07-23年の間,現在の世界気象機関(WMO)の前身,国際気象機関(IMO)の会頭をつとめるなど,国際会議の場でも活躍し,イギリスの気象事業,気象学の研究,啓蒙活動にも大きな貢献をした。20-24年にはロンドン大学のインペリアル・カレッジで最初の気象学の教授をつとめた。1915年にはサーSirの称号をおくられている。《気象学便覧Manual of Meteorology》4巻(1926-31)が代表的な著書である。
執筆者:

ショー
Irwin Shaw
生没年:1913-84

アメリカの作家。1936年,23歳のとき,反戦劇《死者を葬れ》で劇作家としてデビュー。その後,《夏服を着た女たち》や《80ヤード独走》(ともに1939)など都会的な短編小説を,雑誌《ニューヨーカー》《エスクワイア》に発表して好評を博した。第2次大戦後はもっぱらパリとスイスに住み,戦争小説《若き獅子たち》(1948)で注目をあびた。12冊の長編があるが,ショーの魅力はみごとなストーリーテリングとしゃれた会話の短編小説にあった。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ショー」の意味・わかりやすい解説

ショー
Shaw, Robert

[生]1927.8.9. イギリス,ウェストホートン
[没]1978.8.28 アイルランド,トルマケディ
イギリスの俳優,劇作家,小説家。ロンドンのロイヤル演劇アカデミーを卒業。シェークスピア記念劇場(→ロイヤル・シェークスピア劇場)で俳優として出発,ロイヤル・シェークスピア劇団員としてウィリアム・シェークスピアの『マクベス』Macbeth,『シンベリン』Cymbeline,『ヘンリー8世』Henry VIIIなどに出演した。1951~52年オールド・ビック劇団(→オールド・ビック劇場)に所属し,おもににシェークスピア俳優として活躍した。1955年に現代劇も演じ始め,1961年にハロルド・ピンターの『管理人』The Caretaker(1960)でアメリカ合衆国デビューを果たした。映画は『007/ロシアより愛をこめて』From Russia with Love(1963),『わが命つきるとも』A Man for All Seasons(1966),『スティング』The Sting(1973)など数多くの作品に出演した。小説家としては限界状況におかれた人物を好んで描いた。ジャン・カルバンを主人公にしてキリスト教社会主義の問題を取り上げた『旗』The Flag(1965),ナチス幹部カール・アドルフ・アイヒマンの裁判にヒントを得た『ガラス張り座席の男』The Man in the Glass Booth(1967)などがある。

ショー
Shaw, George Bernard

[生]1856.7.26. アイルランド,ダブリン
[没]1950.11.2. イギリス,エイオット・セント・ロレンス
アイルランド出身のイギリスの劇作家。ロンドンに出て小説家を志したが成功せず,音楽批評や劇評を執筆。社会主義に関心をもち,1884年フェビアン協会に入る。イプセンワーグナーニーチェらの影響を受ける。喜劇『男やもめの家』 Widowers' Houses (1892) によってようやく劇壇に登場。『キャンディダ』 (1895) ,『人と超人』 (1905) ,『シーザーとクレオパトラ』 (1906) ,『メトセラへ帰れ』 (1921) ,『聖ジョーン』 (1923) など作品多数。いずれも思想性と機知に富む喜劇である。その他『イプセン主義真髄』 The Quintessence of Ibsenism (1891,改訂増補 1913) ,『知識階級婦人のための社会主義および資本主義入門』 The Intelligent Woman's Guide to Socialism and Capitalism (1928) などの著書がある。 1925年ノーベル文学賞受賞。

ショー
Shaw, Richard Norman

[生]1831.5.7. エディンバラ
[没]1912.11.17. ロンドン
イギリスの建築家。 W.バーンのもとで修業したのち,ロイヤル・アカデミーで建築を学ぶ。ドイツ,イタリア,フランスに留学,帰国後『建築素描集』 Architectural Sketches from the Continent (1858) を出版。その後制作活動に入り,W.ネスフィールドと共同制作,のち独立して数多くの住居建築を設計し,19世紀後半のイギリスにおける最も重要な住宅建築家となる。主作品はホーリー・トリニティ聖堂 (66~67) ,クラグサイド (70) ,ベドフォード・パークの田園都市計画 (78) ,アルバート・ホール・マンションズ (79~81) ,ブライアンストン (90) などがある。

ショー
Shaw, Irwin

[生]1913.2.27. ニューヨーク
[没]1984.5.16. ダボス
アメリカの劇作家,小説家。ブルックリン・カレッジ卒業後,『死者を葬れ』 Bury the Dead (1936) ,『おとなしい人々』 The Gentle People (39) などの戯曲を発表。その後,第2次世界大戦の,平和な生活と凄惨な戦場との対照を背景にヒューマニズムを強調した最初の小説『若き獅子たち』 The Young Lions (48) で一躍有名になった。ほかに『ルーシー・クラウン』 Lucy Crown (56) ,『夏の日の声』 Voices of A Summer Day (65) ,『富める者,貧しき者』 Rich Man,Poor Man (70) などがある。

ショー
Shaw, Artie

[生]1910.5.23. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2004.12.30. カリフォルニア,ニューベリーパーク
アメリカのジャズ・クラリネット奏者兼楽団指揮者。 1930年代から 1940年代にかけてコール・ポーター作曲の『ビギン・ザ・ビギン』など数々のヒット・レコードを出した。楽団の人気は高かったが,1954年に引退。 1983年バンドを再結成した。エバ・ガードナー,ラナ・ターナーらとの8回の結婚歴でも有名。

ショー
Shaw, Robert Barkley

[生]1839.7.12.
[没]1879.6.15.
イギリスの中央アジア旅行家。 1868~69年商用で東トルキスタンを訪れ,ヤクブ・ベクとイギリスとの通商条約の締結を斡旋した。のちにビルマのマンダレーの弁務官になった。主著は"A visit to High Tartary,Yarkand and Kashgar" (1871) 。

ショー
show

見せること,展示することを意味するが,普通には視覚的,娯楽的要素の濃い各種の舞台芸能,テレビ,ラジオ番組などの総称。第1次世界大戦後のヨーロッパでのレビューがその源とされるが,日本でショーという言葉が用いられたのは,1935年前後の頃からである。軽快なテンポで,音楽,舞踊,コントなどがバラエティー風に構成されたものが多い。また自動車ショー,ファッションショーなどの展示会をもさす。

ショー
Shaw, Robert Gould

[生]1837.10.10. ボストン
[没]1863.7.18. サウスカロライナ,チャールストン
アメリカの陸軍軍人。南北戦争で 1861年北軍に加わり,63年黒人で編成された第 54連隊の指揮官となり,同年6月戦線に参加,フロリダ遠征ののち,7月フォート・ワグナー攻略戦指揮中に要塞の壁近くで戦死。 97年ボストンに記念碑が建てられた。

ショー
Shaw, Joshua E.

[生]1776
[没]1860
アメリカの発明家。 A.フォーサイスが発明した小銃弾用の雷管を大幅に改良し,機関銃の登場をもたらした。初め鉄製であったが,1816年頃から銅でつくった管に雷汞 (らいこう) を詰めた。

ショー

ビリングズ」のページをご覧ください。

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図書館情報学用語辞典 第5版 「ショー」の解説

ショー

1907-1972.米国デトロイト生まれ.図書館情報学研究者・実務家で,図書館活動,図書館学教育,書誌作成,図書館技術・情報検索システムの研究や振興,学術出版社の創立など,幅広く活躍した.米国農務省図書館長,ラトガース大学およびハワイ大学の図書館学校主任教授を歴任し,アメリカ図書館協会長(1956-1957)を務めた.Bibliography of Agriculture(1943)の編集に携わり,その経験から機械文献探索の重要性を認識して,ブッシュのラピッドセレクター(Rapid Selector)の継続研究にも取り組んだ.

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ショー」の解説

ショー Shaw, Glenn W.

1886-1961 アメリカの日本文学研究家。
1886年11月19日生まれ。大正2年(1913)来日。大阪外国語学校などで英語をおしえ,戦後はアメリカ大使館文化担当官。戦争中をのぞき在日36年。その間,尚紅蓮(しょう-ぐれん)の名で俳句をつくり(句集「蟹水仙」),「出家とその弟子」「藤十郎の恋」「羅生門」などを翻訳した。1961年8月26日死去。74歳。ロサンゼルス出身。コロラド大卒。
【格言など】京のセミ幾億匹の暑さかな

ショー Shaw, Alexander Croft

1846-1902 カナダの宣教師。
1846年2月5日生まれ。明治6年(1873)イギリス海外福音伝道会から派遣されて来日。12年東京芝に聖アンデレ教会をつくり,日本聖公会の指導者の育成にあたる。軽井沢を避暑地として開発,紹介した。明治35年3月12日東京で死去。56歳。トロント出身。トリニティー大卒。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ショー」の解説

ショー
George Bernard Shaw

1856~1950

イギリスの文学者。アイルランドのダブリン生まれ。1884年フェビアン協会に加入,社会主義の宣伝に活躍。92年『男やもめの宿』を発表,劇作家として名声を得た。1925年にノーベル文学賞を受けた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ショー」の解説

ショー

バーナード=ショー

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世界大百科事典(旧版)内のショーの言及

【人工知能】より

… ホッブズはこのように,きわめて明快な計算主義的人間観を主張しており,AI研究者のホージランドJ.Haugelandはホッブズを〈AIの祖父〉と呼んでいるほどである(《Artificial Intelligence:The Very Idea》,1985,The MIT Press)。ちなみに,ホージランドによれば,ホッブズがAIの祖父だとすると,チューリングがAIの父,マッカーシーJ.McCarthy(1927- )は名付親であるが,実際に産み落としたのはニューウェルA.Newell(1927- ),ショーShaw,サイモンH.Simon(1916- )ということになる。 思考は記号を操作することであり,またその計算は規則に従う機械的処理過程であるとするホッブズの思考法は,ライプニッツに引き継がれ,〈ホッブズが,われわれの心mensの働きはすべて計算computatioであると述べているがそれは正しい〉(Leibniz,Gerh.4,p.64)とするライプニッツの普遍記号学の構想に引き継がれてゆく。…

【アーチャー】より

…彼は旧来の型にはまったメロドラマを排して,リアリズムに根ざしたまじめな劇を支持し,また,H.アービングを典型とする俳優の芸に依存した劇に対して脚本が優位を占める劇を主張した。つまり,親友のG.B.ショーが実作を通じて行ったイギリス近代劇確立運動を,理論面で支えようとしたのである。彼のもっとも重要な仕事は1908年に完成したイプセン劇の英訳で,イギリスでは長く標準的上演台本となった。…

【コムストック】より

…彼自身の計算で3600人以上を有罪に追い込んだというが,わいせつと無関係な思想家や芸術家で彼の偏執の犠牲となった人も多い。その一人のG.B.ショーは,道徳家ぶった偽善者,極端な道徳的検閲をあらわすのに〈コムストック風comstockery〉という単語をつくって報いた。【亀井 俊介】。…

【フェビアン協会】より

…ローマの知将ファビウス(あだ名は〈遷延家〉)にちなんで名づけられた。G.B.ショーとシドニー・ウェッブの参加により,固有のフェビアン社会主義が確立される。協会が採択した《フェビアンの基礎》(1887)は,土地と産業資本の個人的・階級的所有から社会的所有への移行を目標に掲げ,社会主義的世論の普及によってこれを達成するものとした。…

※「ショー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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