ジェームズ(英語表記)William James

精選版 日本国語大辞典 「ジェームズ」の意味・読み・例文・類語

ジェームズ

(James)
[一] (一世) イギリス国王(在位一六〇三‐二五)。スコットランド王としてはジェームズ六世(在位一五六七‐一六二五)。メアリー=スチュアートの子。エリザベス一世の死後王位につき、スチュアート朝をはじめた。王権神授説を奉じ、議会と対立した。(一五六六‐一六二五
[二] (二世) イギリス国王(在位一六八五‐八八)。チャールズ二世の弟。兄のあとをつぐ。カトリック教の復活、常備軍設置をめぐり議会と対立。一六八八年名誉革命で王位を追われ、フランスに亡命した。(一六三三‐一七〇一

ジェームズ

[一] (William James ウィリアム━) アメリカの哲学者、心理学者。(二)の兄。機能的心理学の提唱者の一人で、アメリカの社会的現実に即した思想を展開した。主著「心理学原理」「宗教的経験の諸相」「プラグマティズム」「根本的経験論」。(一八四二‐一九一〇
[二] (Henry James ヘンリー━) アメリカの小説家。のち、イギリスに帰化。人間の行為を内面的な動機によって分析し、写実的技法で描いた。代表作「ロデリック‐ハドソン」「ある婦人の肖像」「ねじの廻転」など。(一八四三‐一九一六

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デジタル大辞泉 「ジェームズ」の意味・読み・例文・類語

ジェームズ【James】[英国王]

英国王。
(1世)[1566~1625]在位1603~1625。スコットランド王としては6世。在位1567~1625。スチュアート王朝の祖。王権神授説をとり、絶対王政を敷き、しばしば議会と対立。また、新教徒を弾圧、聖書英訳を命じて欽定訳聖書(ジェームズ王聖書)を作った。
(2世)[1633~1701]在位1685~1688。チャールズ2世の弟。ピューリタン革命で亡命。王政復古で帰国し、海軍卿として活躍。1688年、名誉革命でフランスに亡命。

ジェームズ【James】[米国の哲学者・小説家]

(William ~)[1842~1910]米国の哲学者・心理学者。の兄。プラグマティズムの創始者の一人。ドイツ観念論に反対し、哲学の実用的価値を提唱。著「心理学原理」「プラグマティズム」「宗教的経験の諸相」など。
(Henry ~)[1843~1916]米国の小説家。英国に帰化。の弟。心理主義文学の先駆者。作「ある婦人の肖像」「ねじの回転」など。

ジェームズ(Jesse Woodson James)

[1847~1882]米国開拓時代の無法者。南北戦争では南軍のゲリラに参加。戦後、兄フランクと強盗団を組織、銀行や列車を襲ったが、手下に殺された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ジェームズ」の意味・わかりやすい解説

ジェームズ
William James
生没年:1842-1910

アメリカの心理学者,哲学者。アメリカにおける実験心理学の創始者のひとり,哲学においてはプラグマティズムを広い思想運動に発展させ,現代哲学の主流の一つにした指導的学者として知られる。父親のヘンリー・ジェームズHenry J.(1811-82)は宗教・社会問題の著述家,父親と同名の弟は著名な小説家。ニューヨーク市に生まれ,幼時期(1843-45),少年時代(1855-60)をヨーロッパ各地で過ごし,1860年に画家を志望してアメリカの宗教画家W.M.ハントに師事したが,まもなく才能がないことを知って断念,翌年には,ハーバード大学のロレンス科学学校に入学し,はじめは化学を専攻,後に解剖学と生理学を学び,さらに医学に進んだ。医学部在学中にハーバードの著名な博物学者J.L.アガシーを隊長とするブラジル生物探検隊に参加(1865-66),アガシーによって科学的関心を強くそそられ,実証的精神を培われた。その後療養と実験生理学の研究のため再び渡欧,68年にハーバードに帰ってその翌年医学部を卒業,病気のためしばらく隠居した。73年からハーバード大学で解剖学と生理学を教え,75年からさらに心理学の講義を担当,そして79年から哲学を教えはじめ,しばらく心理学と哲学の教授を兼任したが,97年からは専任の哲学教授となって1907年まで教えた。

 ジェームズは,幼少,青年期における長い滞欧生活に加え,ハーバード大学在任中も療養,研究,学会出席などのためにたびたび渡欧して,深くヨーロッパの風土,文化,思想に親しみ,その影響を強く受けた。したがってもちろんジェームズの思想はヨーロッパ的色彩に濃く彩られているが,一方,彼はまた,だれよりも如実にアメリカの伝統を受け継ぎ,その伝統に根ざした最もアメリカ的な思想を確立した思想家であるとも言われる。しかしジェームズの哲学を一般的哲学史のなかに正しく位置づけて評価することを怠って,もっぱらそのアメリカ的性格を強調し過ぎれば,彼の真の思想と哲学的業績を歪曲することになるという警告があることも忘れてはならない。ともあれ,ジェームズの哲学の核心はなんといっても〈信ずる意志will to believe〉の思想であろう。そして〈信ずる意志〉の哲学として見れば,ジェームズの哲学の諸特性も容易に理解できるであろう。〈信ずる意志〉の哲学であるがゆえに,ジェームズの哲学は顕著に行動の哲学であり,具体的生の哲学である。というのは,〈信ずる意志〉とは〈行動する意志〉のことであり,人間として生きるための積極的かつ具体的な意志,信条にほかならないからである。ジェームズが絶対主義を排して相対主義を,決定論を否定して非決定論を,一元論に対して多元論をとるのも,世界および人生の根底につねに人間の自由意志すなわち〈信ずる意志〉を据えて考えているからである。この立場に立つがゆえに,また,ジェームズの哲学は著しく個人主義的,唯名論的にならざるをえない。プラグマティズムにおいてジェームズがたとえばC.S.パースの場合とひじょうに違うのも,パースが,(一定の条件さえ満たせば)いつでもだれでも確かめられる客観的実験的結果を重視し,それに基づく科学的信念の固め方としてプラグマティズムの方法を考えたのに対して,ジェームズは人間ひとりひとりの具体的意志の行使を重視し,そしてプラグマティズムの意味基準を〈だれかの上に,なんらかの仕方で,どこかで,あるとき生ずる〉結果に見いだそうとするからである。そのほかジェームズの哲学を顕著に特色づけている実践主義,具体的経験主義,反主知主義,反形式主義なども,あるいは彼の哲学的関心が特に宗教の問題に向けられていることも,すべて〈信ずる意志〉の思想に拠っていると言える。主著には〈意識の流れ〉やジェームズ=ランゲ説の主張を盛り込んだ《心理学原理》2巻(1890),《信ずる意志》(1897),《宗教的経験の諸相》(1902),《プラグマティズム》(1907)などのほか,西田幾多郎にも影響を与えた《根本的経験論》(1912)がある。
プラグマティズム
執筆者:

ジェームズ
Henry James
生没年:1843-1916

アメリカ人として生まれ,イギリスに帰化した小説家。ニューヨークで生まれたが,幼少のころから一家はヨーロッパ滞在を繰り返し,型にはまった教育を嫌う宗教哲学者の父の方針もあって,正規の学校教育は受けなかった。18歳のとき近所の火事の消火作業中に傷を受け,南北戦争に参加できなかった。19歳でハーバード大学に入学したが1年で退学し,バルザックホーソーンの影響下に創作を始めた。1864年に短編や書評が雑誌に載り,以後短編,書評のほかに旅行記,演劇評なども執筆,しだいに新人作家として認められる。成人後もヨーロッパ旅行は続いたが,滞英中に愛していた従妹の死を知り衝撃を受けた。彼女は《ある婦人の肖像》《鳩の翼》の主人公の原型となった。75年以後ヨーロッパに永住の決意を固め,最初はパリでツルゲーネフフローベール,ゾラらと交遊,ついでロンドンに移り次々に小説を発表してゆく。

 彼の文学活動は3期に分けて考えられる。第1期は《ある婦人の肖像》(1881)に至る時期で,アメリカとヨーロッパの文明,風俗習慣の相違をテーマとしている。有名な中編《デージー・ミラー》(1878)などでは表面的な風習の対照に力点が置かれているが,《アメリカ人》(1877),ことに《ある婦人の肖像》では両大陸の対比を背景として内面的な心理の葛藤,倫理的問題が扱われている。〈視点〉の技法はすでに第1期に表れている。全知の作者の地位を放棄して,作中人物の一人の視点を通して小説世界を構築する手法である。第2期は〈国際状況〉以外のテーマなどを開拓した過渡期で,まず,作者が〈アメリカのバルザック〉を志して社会を描こうとした《ボストンの人々》《カサマシマ公爵夫人》(ともに1886)がある。劇作も試みたが,《ガイ・ダンビル》(1895)は観客の罵倒を浴びた。しかし劇作は小説作法の上で影響を残した。《メージーの知ったこと》(1897),《ねじの回転》(1898),《やっかいな年ごろ》(1899)など主としてイギリス社交界を内面から描いた作品が発表された。中編《ねじの回転》はこの作者の〈幽霊物〉の代表作で,解釈をめぐって議論が絶えない。第3期は〈国際状況〉のテーマを深く掘り下げ,精緻きわまりない心理分析を行った時期であり,ときに〈円熟期〉と称せられる。《鳩の翼》(1902),《使者たち》(1903),《黄金の杯》(1904)の3作は,徹底した〈視点〉の手法,こみ入ったイメージの交錯,複雑な文などのために近づきにくいが,小説史上まれにみる芸術的完成に達した傑作である。

 ジェームズは円熟した文化と豊かな伝統を誇るヨーロッパに道徳的腐敗を見いだし,低俗な趣味と浅薄な文明のアメリカに潔癖さや勇気を看過せず,両者の融合と総合を一生の理想とした。プルーストやジョイスによって開花した心理小説の祖として,また小説を芸術の一ジャンルとして確立するため精緻な理論を展開し,みずから実践した巨匠として,現代文学への影響は甚大である。なお,哲学者のW.ジェームズは彼の兄である。
執筆者:

ジェームズ
Jesse Woodson James
生没年:1847-82

アメリカ西部の無法者。ジェシー・ジェームズと呼びならわされる。ミズーリ州に牧師で農民の子として生まれた。南北戦争に際し,兄のフランクとともに南軍に志願,残虐なことで知られるW.C.カントリル指揮下のゲリラ隊に入り,ミズーリ,カンザス地方を暴れまわった。戦後,そのゲリラ仲間10人ほどが集まって銀行強盗を始めると,ジェシーはいつしか首領となり,1873年には列車強盗も始め,神出鬼没ぶりで追跡隊を悩ませた。ただし,彼のあずかり知らぬ事件で,彼のしわざだとされたものも多いらしい。やがて,追いつめられてミズーリ州セント・ジョゼフに隠れ住んでいるところを,部下に殺された。兄のフランクは自首し,裁判の結果,放免されて,平穏な晩年を送った。当時,銀行や鉄道は北部の資本に支配されていたので,ジェシーらの悪業も民衆の喝采を博し,〈西部のロビン・フッド〉的な扱いを受けたのであろう。彼を扱った民謡やダイム・ノベル(10セント小説)や西部劇映画は数多い。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ジェームズ」の意味・わかりやすい解説

ジェームズ

米国の心理学者,哲学者。1872年以来ハーバード大学の生理学,哲学,心理学の教授を歴任。心理学ではブントをはじめとするドイツ心理学の要素的傾向に反対し,〈意識の流れ〉を主張した。機能的・生物学的な心理学を説き,実験心理学の創始者の一人となった。哲学でも〈意識の流れ〉としての〈純粋経験〉を基礎に,あらゆる超越的実在を否定する〈根本的経験論〉を主張し,ドイツ観念論に反対して相対主義,多元論,反主知主義を説く。プラグマティズムはその方法論として確立されたもので,生物学的適応論を基礎に,一切の認識を環境に対する有機体の適応とみて,真理の標準をプラグマ(行為の結果・効用)に求めた。著書は《心理学原理》《プラグマティズム》《根本経験論》など。弟は小説家ヘンリー・ジェームズ。→ジェームズ=ランゲ説
→関連項目機能心理学シラー心霊研究協会善の研究ソーンダイクミュンスターバーグロイス

ジェームズ

英国の小説家。W.ジェームズの弟に当たる。ニューヨークの裕福な知識人の家に生まれ,少年期に家族とともに数度ヨーロッパに滞在。ハーバード大学にも在籍したが,1865年ごろから雑誌に寄稿を始める。ヨーロッパと米国を往き来しながら作品を書いたが,1875年パリ経由でロンドンに渡り,のち英国に帰化。《ロデリック・ハドソン》(1875年),《デージー・ミラー》(1878年),《ある婦人の肖像》(1881年)など,米国とヨーロッパの新旧文化の衝突という国際問題を扱った作品を書く。その後,別のテーマも試みたが,再び新旧大陸を主題にした《鳩の翼》(1902年),《使者たち》(1903年),《黄金の杯》(1904年)を発表した。その特色は,厳密な構成と入念な文体によって,出来事ではなく心理の複雑さを描いた点にあり,プルーストジョイスらの先駆となっており,現代文学への影響ははかりしれない。ほかに,中編《ねじの回転》(1898年),《密林の獣》(1903年),未完の《象牙の塔》(1917年),《過去の感覚》(1917年),評論《小説の技法》や紀行文など。
→関連項目怪奇小説キャザー

ジェームズ

米国のブルース歌手,ギター奏者,作曲家。割れたガラス瓶の首の部分をギターの弦に押しつけて演奏するボトル・ネック奏法の名手。1951年にR.ジョンソンのカバー曲《ダスト・マイ・ブルームDust My Broom》でレコード・デビューし,これによって全米の注目を浴びた。後に,いとこのホームシック・ジェームズHomesick James〔1910-2006〕らと組んで,《スカイ・イズ・クライングThe Sky Is Crying》などのヒット曲を放ち,エレクトリック・ブルース界に大きな影響を与え,多くの模倣者を生んだ。
→関連項目ベリー

ジェームズ

米国の列車強盗団の首領。南北戦争中,南部軍のゲリラであるカントリル遊撃隊に加わって活動し,兄フランクやヤンガー兄弟と組み,西部で悪名をとどろかせた。1876年ミネソタ州で銀行襲撃に失敗してから落ち目となり,手下に撃たれて死んだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェームズ」の意味・わかりやすい解説

ジェームズ
James, William

[生]1842.1.11. ニューヨーク
[没]1910.8.26. ニューハンプシャー,チョコルア
アメリカの哲学者,心理学者,いわゆるプラグマティズムの指導者。小説家 H.ジェームズの兄。 1861年ハーバード大学理学部へ入学,のち同大学の医学部へ移籍。 67~68年ドイツに留学し,フランスの哲学者 C.ルヌービエなどの影響を受け,心理学,哲学に心をひかれた。 69年卒業,学位を得たが開業せず,療養と読書に過した。 72年ハーバード大学生理学講師。のち心理学に転じ,伝統的な思考の学としてではなく生理心理学を講じ,実験心理学に大きな貢献をした。また,ドイツの心理学者 C.シュトゥンプを高く評価。さらに宗教,倫理現象の研究に進み,その後哲学の研究に入った。その立場は根本的経験論に基づく。そのほか,82年頃から心霊学に興味をもち,アメリカ心霊研究協会の初代会長をつとめた。主著『心理学原理』 The Principles of Psychology (1890) ,『信ずる意志』 The Will to Believe and Other Essays in Popular Philosophy (97) ,『宗教的経験の諸相』 The Varieties of Religious Experience (1901~2) ,『プラグマティズム』 Pragmatism (07) ,『根本経験論』 Essays in Radical Empiricism (12) 。

ジェームズ
James, Henry

[生]1843.4.15. ニューヨーク
[没]1916.2.28. ロンドン
アメリカの小説家。哲学者を父として,名門の富裕な家に生れ,兄ウィリアムとともに幼い頃から何度かヨーロッパに旅行した。ハーバード大学に学び,1875年からヨーロッパに永住,長編『ロデリック・ハドソン』 Roderick Hudson (1875) ,『アメリカ人』 The American (77) ,中編『デイジー・ミラー』 Daisy Miller (79) で文名を確立,以後『ある婦人の肖像』 The Portrait of a Lady (81) ,『鳩の翼』 The Wings of the Dove (1902) ,『使者たち』 The Ambassadors (03) ,『黄金の鉢』 The Golden Bowl (04) など,欧米間の文化,人間性の相違を扱った「国際小説」を発表したほか,旅行記,書簡,評論などを残した。視点人物の設定,内面描写など技法上でも新生面を開き,ジョイス,プルーストらの先駆者として 20世紀最大の作家の一人に数えられる。

ジェームズ
James, George Wharton

[生]1858.9.27. リンカーンシャーゲインズバラ
[没]1923.11.8. カリフォルニア,パサディナ
イギリス生れのアメリカ南西部地域の探検家,紹介者。 1881年アメリカに移り,89年までカリフォルニア,ネバダでメソジスト派牧師。アメリカ南西部の地理,インディアンの生活についての調査報告および著述が多く,彼らと親しくつきあったことでも有名。主著『グランド・キャニヨン周辺』 In and Around the Grand Canyon (1900) ,『南西部の先史時代の断崖住居』 Prehistoric Cliff Dwellings of the Southwest (18) 。

ジェームズ
James, Marquis

[生]1891.8.29. メリーランド,スプリングフィールド
[没]1955.11. ニューヨーク,ライ
アメリカのジャーナリスト,作家。 1917~19年軍務に服し第1次世界大戦下のフランスに渡る。 23~32年『アメリカ在郷軍人会月報』 American Legion Monthlyの編集スタッフとなり,アメリカの歴史,伝記を多数著わした。 37年『アンドルー・ジャクソン伝』 Andrew Jacksonでピュリッツァー賞を得た。

ジェームズ
James, Jesse Woodson

[生]1847.9.5. ミズーリ,センタービル付近
[没]1882.4.3. ミズーリ,セントジョーゼフ
アメリカ西部における最も著名な無法者の一人。ジェシー・ジェームズとして知られる。南北戦争当時 15歳で南軍ゲリラ隊に加わり活躍したが,戦後無法者の宣告を受け,1867年に「ジェームズ団」を組織して銀行襲撃,列車強盗を働き,仲間の裏切りにより殺された。弱者や牧師,南部は襲わず,義賊として伝説化された。

ジェームズ
James, Charles

[生]1880.4.27. ノーサンプトンシャー,アールスバートン
[没]1928.12.10. ボストン
イギリス生れのアメリカの化学者。ロンドン大学のユニバーシティ・カレッジ卒業 (1904) 。アメリカに渡ってニューハンプシャー大学教授。希土類元素に関する広範な研究を行い,純度の高い希土の製造,固定を行なった。

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367日誕生日大事典 「ジェームズ」の解説

ジェームズ

生年月日:1880年4月27日
アメリカの化学者
1928年没

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世界大百科事典(旧版)内のジェームズの言及

【ある婦人の肖像】より

…アメリカの作家H.ジェームズの小説。1881年刊。…

【感情】より

…いずれもわれわれにとってきわめて身近なものでありながら,この感情の学問的解明は遅れており,相互に対立し合うさまざまな説明が与えられている。たとえば情動は,古い時代には意識の側から説明されていたが,これに対してW.ジェームズは〈悲しいから泣くのではなく,むしろ泣くから悲しいのだ〉と,これを神経興奮に続いて起こる身体的変化の側から説明し(ジェームズ=ランゲ説),心理学に変革をひき起こした。ところが一方,そのように情動は生理的混乱の意識への反映であり無意味な意識現象だとする見方に対して,怒りやヒステリーの発作でさえ,順序だった行動によって対処しえぬ状況を避けようとするそれなりに意味のある行動(P.ジャネ),象徴的行動(S.フロイト),その状況を虚構的に変容しようとする魔術的行動(J.P.サルトル),つまりは意識の全体的な態度だと見る見方が提出されている。…

【経験論】より

…合理論ないし理性主義に対立するが,この対立の代表は17~18世紀の西洋の大陸合理論対イギリス経験論である。W.ジェームズはこの対立を,諸原理によって進む硬い心の人と諸事実によって進む軟らかい心の人との気質の対立として説明した。経験論という邦訳語は《哲学字彙》(1881)以来定着している。…

【ジェームズ=ランゲ説】より

…一般に一つの理論と誤解されている。アメリカの心理学者W.ジェームズは,情動とは原因的場面の知覚にすぐ続いて起こる内臓と筋肉の変化を体験することであると主張した(1884)。これとまったく独立にデンマークの生理学者ランゲC.G.Langeは脈管における変化を体験するのが情動であるとした(1885)。…

【宗教心理学】より

…学問のはじまりは関連ある現象の分類にある。W.ジェームズは〈健やかな精神の人〉と〈病める魂の人〉という二大別を行い,人生を比較的楽天的に,肯定的に見る人と,人生の苦悩を人一倍感受し,その苦悩を通して,神を求める人とに分けた。前者はどちらかといえば,内在的な神あるいは汎神論的な考えに魅力を感じ,自分自身の中に神性,仏性をやどし,あるいは自然の美しい現象の中に神の営みを体験するタイプであり,後者は,超越的な神,きびしい父性的な神を信ずるタイプである。…

【心理学】より

…この考えは,デカルトのコギトから出発して意識の志向性(〈意識はつねに何ものかについての意識である〉)を人間理解の中心に据えたサルトルに受け継がれたが,心理学それ自体のなかでは力をもたなかった。W.ジェームズの機能主義心理学も,有名な〈意識の流れ〉という言葉からわかるように,個々の要素ではなく一つの全体的流れとしての意識の機能を問題とした。W.マクドゥーガルの本能論心理学も,精神の能動性を主張する学派の一つで,精神のあらゆる活動の推進力として生得的な本能を考えた。…

【心霊研究協会】より

…当初の目的は,死後生存にまつわる諸現象およびメスメリズムmesmerism(催眠)の厳密な調査,研究であった。歴代会長には,W.ジェームズ,ベルグソン,クルックス,ドリーシュら一流の学者が名を連ねる。3年後にはジェームズらの努力で,アメリカにも同様の団体が組織されている。…

【政治意識】より

…それは年齢や社会構造に応じての気質や性格の変化と結びつけることによって,さまざまな類型論を生んでいる。それらの中でも,W.ジェームズの〈かたい心〉〈やわらかい心〉と急進・反動型,保守・漸進型を結びつけたローエルAbbort L.Lowellの類型論は,その後,H.J.アイゼンクによって調査データの因子分析による裏付けをえて,広く用いられている。S.フロイトは,このような性格の形成をリビドー(性衝動)の発達と下意識の抑圧構造と結びつけ,政治意識の解釈に新しい領域を開いた。…

【多元論】より

…近世では,表象能力と欲求能力とを備えて無意識的な状態から明確な統覚を有する状態まで無数の段階を成すモナドを説くライプニッツ,近代ではその影響下にあって経験の根底に多数の実在を認め心もその一つとするJ.F.ヘルバルト,真の現実界は物質界を現象として意識する自由で個体的な多数の精神的単子から成ると説くH.ロッツェなどである。さらにまたW.ジェームズは自己の根本的経験論は多元論であり,世界はどの有限な要素も相互に中間項によって連続せしめられており,隣接項とともに一体を成しているが,全面的な〈一者性oneness〉は決して絶対的に完全には得られぬとして,多元論の立場から多元的宇宙を説き,一元論的な絶対的観念論の完結した全体的な宇宙観を退けた。【茅野 良男】
[インドの多元論]
 インドでは,ニヤーヤ学派バイシェーシカ学派の説が,多元論の代表とみなされている。…

【プラグマティズム】より

…プラグマティズムは哲学へのアメリカの最も大きな貢献であり,実存主義,マルクス主義,分析哲学などと並んで現代哲学の主流の一つである。プラグマティズムを代表する思想家にはC.S.パースW.ジェームズJ.デューイG.H.ミードF.C.S.シラーC.I.ルイスC.W.モリスらがいる。プラグマティズム運動は〈アメリカ哲学の黄金時代〉(1870年代~1930年代)の主導的哲学運動で,特に20世紀の最初の4分の1世紀間は全盛をきわめ,アメリカの思想界全体を風靡(ふうび)するとともに,広く世界の哲学思想に大きな影響を与えた。…

【霊媒】より

…有名な霊媒には,ヒューム(ホーム)Daniel Dunglas Home,パラディーノEusapia Palladino(以上物理的霊媒),パイパーLeonore Piper,ギャレットEileen Garrett(以上心理的霊媒)などがいる。そのうちパラディーノに関しては犯罪学者ロンブローゾらが,パイパーに関しては心理学者W.ジェームズらが,ギャレットに関しては生理学者カレルらが実験的研究を行っている。霊媒を通じて,通常では得られない死者に関する正確な情報が得られても,その由来を解釈する場合,死後生存仮説の対立仮説として,実在するあらゆる情報源から超感覚的に関連情報を探し出し利用したとする超ESP仮説があり,死後生存の証明はきわめて難しいとされる。…

※「ジェームズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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