ジャスティン ガトリン(英語表記)Justin Gatlin

現代外国人名録2016 「ジャスティン ガトリン」の解説

ジャスティン ガトリン
Justin Gatlin

職業・肩書
陸上選手(短距離) アテネ五輪陸上男子100メートル金メダリスト

国籍
米国

生年月日
1982年2月10日

出生地
ニューヨーク市ブルックリン

学歴
テネシー大学

経歴
高校時代は障害などでも活躍。テネシー大学に進学後は100メートル、200メートルなどで大学選手権のタイトルを独占。2001年全米ジュニア選手権で興奮剤(アンフェタミン)の使用が判明し、1年間の出場停止処分を受ける。2003年世界室内選手権60メートルで優勝。2004年米国五輪代表選考会100メートル、200メートルで2位。豪快なストライド走法で知られ、同年のアテネ五輪100メートルでは上位5人が9秒台を記録するハイレベルなレースを制して金メダルに輝き、200メートルで銅メダル、4×100メートルリレーで銀メダル獲得。2005年世界選手権ヘルシンキ大会で大会史上2人目の100メートルと200メートルの2冠を達成。2006年5月カタール・グランプリ100メートルでアサファ・パウエル(ジャマイカ)と並ぶ世界タイ記録の9秒77をマーク。しかし、同年4月と7月に行われたドーピング(禁止薬物使用)検査陽性反応を示したことが明らかになり、8年間の出場停止処分を受け、5月に出した世界タイ記録も抹消された。その後、高校時代の経験を生かしてNFLの入団テストを受けるなどしたが、2008年に処分が4年間に軽減され、2010年7月競技に復帰。2011年世界選手権大邱大会100メートルに出場するも、準決勝敗退。2012年6月全米選手権100メートルで復活優勝を果たし、8年ぶりの五輪となった8月のロンドン五輪では、100メートルで銅メダル、4×100メートルリレーで銀メダルを獲得した。2013年世界選手権モスクワ大会100メートルはウサイン・ボルト(ジャマイカ)に次いで2位。2015年世界選手権北京大会は、100メートル、200メートルともボルトに敗れ銀メダル。185センチ、83キロ。愛称Jガット。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ジャスティン ガトリン」の解説

ジャスティン ガトリン
Justin Gatlin
陸上

陸上選手(短距離)
生年月日:1982年2月10日
国籍:米国
出生地:ニューヨーク市ブルックリン
学歴:テネシー大学
経歴:高校時代は障害などでも活躍。テネシー大学に進学後は100メートル、200メートルなどで大学選手権のタイトルを独占。2001年全米ジュニア選手権で興奮剤(アンフェタミン)の使用が判明し、1年間の出場停止処分を受ける。2003年世界室内選手権60メートルで優勝。2004年米国五輪代表選考会100メートル、200メートルで2位。豪快なストライド走法で知られ、同年のアテネ五輪100メートルでは上位5人が9秒台を記録するハイレベルなレースを制して金メダルに輝き、200メートルで銅メダル、4×100メートルリレーで銀メダルを獲得。2005年世界選手権ヘルシンキ大会で大会史上2人目の100メートルと200メートルの2冠を達成。2006年5月カタール・グランプリ100メートルでアサファ・パウエル(ジャマイカ)と並ぶ世界タイ記録の9秒77をマーク。しかし、同年4月と7月に行われたドーピング検査で陽性反応を示したことが明らかになり、8年間の出場停止処分を受け、5月に出した世界タイ記録も抹消された。その後、高校時代の経験を生かしてNFLの入団テストを受けるなどしたが、2008年に処分が4年間に軽減され、2010年7月競技に復帰。2011年世界選手権大邱大会100メートルに出場するも、準決勝敗退。2012年6月全米選手権100メートルで復活優勝を果たし、8年ぶりの五輪となった8月のロンドン五輪では、100メートルで銅メダル、4×100メートルリレーで銀メダルを獲得した。2013年世界選手権モスクワ大会100メートルはウサイン・ボルト(ジャマイカ)に次いで2位。185センチ、83キロ。愛称Jガット。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android