ジャバルティー(英語表記)al-Jabartī

改訂新版 世界大百科事典 「ジャバルティー」の意味・わかりやすい解説

ジャバルティー
al-Jabartī
生没年:1753-1825

エジプト歴史家。先祖がエチオピアのジャバルト地方出身であったことからこの名で呼ばれる。カイロでのジャバルティー家は7代前までさかのぼることができ,ハナフィー派ウラマー名門であった。彼の代表作《伝記と歴史における事蹟の驚くべきことAjā'ib al-āthār fī al-tarājim walakhbār》は,イブン・イヤース以後オスマン時代においてしばらくとだえていた編年体形式のイスラム年代記の伝統を復活した著作として高い評価を受け,また,エジプト人歴史家の手になる最後の本格的年代記であった。彼は基本的には伝統的なイスラム学者であったが,同時に,西欧学問に対する知的好奇心と鋭い時代感覚をも備えていたため,記述はイスラムの危機の意識に支えられながらも,きわめて客観的である。とりわけ,フランスのエジプト占領とムハンマド・アリーの登場という近代エジプトにおける歴史の一大転換期を扱った部分は,貴重な史料となっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャバルティー」の意味・わかりやすい解説

ジャバルティー
al-Jabartī,`Abd al-Raḥmān ibn Ḥasan

[生]1753. カイロ
[没]1825/1826. カイロ
エジプトの歴史家。先祖はエチオピアのジャバルトの人。7代目の祖先がその地からカイロに移り,15世紀末か 16世紀初め頃,アズハル大学内にあるジャバルトの人たちのリワーク (寄宿舎,教室などをもつ勉学設備) に入り,やがてその学頭 (シャイフ) となった。その後,子孫が学頭の地位を世襲し史家ジャバルティーにいたった。主著『伝記と史話との伝承の不思議さ』`Ajā'ib al-āthār fī al-tarājim wa'l-akhbār (4巻) は 1688~1821年のエジプトの歴史で,ナポレオンのエジプト遠征やムハンマド・アリーの支配時代の前半など,エジプト近代化の重要時期を含む。アラブ史家の伝統的な編年史形式に拠っているが,それに重要人物の伝記を豊富に入れてある。続編を書く意図があったらしいが,実行したかどうか疑問となっている。彼の史書はムハンマド・アリーの子孫から忌避されたため,全巻が印刷されたのは 79年または 80年になってからであった。彼にはこのほか,フランス軍のエジプト占領時代の歴史"Muzhir al-taqdīs bi-dhahāb dawlat al-Faransīs"など数著があったが,それらのうち千一夜物語』の校訂本などはまだ発見されていない。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジャバルティー」の解説

ジャバルティー
al-Jabartī

1753~1825/26

エジプトの歴史家。敬虔で有力なムスリム家系に生まれる。主著『伝記と情報における奇なる事蹟』は,年代記スタイルの減少したオスマン朝エジプト支配の末期にあって,貴重なものである。また,同時代人として実見したムハンマド・アリーの台頭や,フランスによるエジプト占領に関する記述も含むため,史料価値はすこぶる高い。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android