ジョアンビル(英語表記)Jean,sire de Joinville

改訂新版 世界大百科事典 「ジョアンビル」の意味・わかりやすい解説

ジョアンビル
Jean,sire de Joinville
生没年:1225ころ-1317

フランス,シャンパーニュ地方の貴族で,《聖王ルイの歴史Histoire de Saint Louis》の著者。仏王ルイ9世の率いる第7回十字軍にあとから加わり,1249年エジプトで王軍とともに戦い,共に捕らわれの身となる。この捕囚生活は王に親しく接する好機となり,釈放された後も,王と行動を共にし,パレスティナに赴く。だが帰国後は,新たな十字軍に参加せよとの王の懇請を,一身上のつごう,家庭の事情を盾に拒み,王が遠征地のカルタゴペストで死ぬ一方,ジョアンビルはシャンパーニュ伯の家老セネシャル)として,平穏無事な余生を送る。《聖王ルイの歴史》は,1282年,ルイ王の聖別に際し,王の人柄,言動について証言を求められたことをきっかけに書き始められたらしいが,完成は晩年に近い1309年である。そこには主題たる聖王の事績とその死のほかに,エジプトでの実戦のもよう,シリアでの独仏のからみあいなど十字軍の記録をはじめ,ナイル川,ベドウィンマムルーク朝ルポルタージュ,さらには,テンプル騎士団の財宝ジェノバの海運,モンゴルの脅威など,盛りだくさんの情報が織り込まれている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョアンビル」の意味・わかりやすい解説

ジョアンビル
じょあんびる
Jean de Joinville
(1224?―1317)

フランスの年代記作家。シャンパーニュ伯の家令の家に生まれる。父の死後ルイ9世に仕え第7回十字軍(1248~1254)に参加。エジプトで国王とともに一時捕虜になる。国王の親友としてつねに傍らにあったが、最後の十字軍(第8回、1270)には参加しなかった。晩年80歳を超えてからジャンヌ・ド・ナバル要請で『聖王ルイ伝(ジョアンビル殿の回想録)』Mémoiresを書いた(1305~1309)。これは模範的キリスト教徒としてのルイ9世の言行を活写し、時代の雰囲気を伝える貴重な文献の一つとなっている。

[安斎和雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョアンビル」の意味・わかりやすい解説

ジョアンビル
Joinville, Jean, Sire de

[生]1224頃
[没]1317.12.24. ジョアンビル
フランス,ジョアンビルの領主,年代記作者。フランス王ルイ9世に従って第7次十字軍に出征し,ともに捕虜となるなど帰国まで王と行動をともにした (1248~54) 。『聖ルイの歴史』 Histoire de Saint Louisはこの間の回想を中心にした同時代史で,第7次十字軍およびルイ9世治世の貴重な史料である。

ジョアンビル
Joinville, François-Ferdinand-Philippe-Louis-Marie d'Orléans, Prince de

[生]1818.8.14. ヌイイ
[没]1900.6.16. パリ
フランスの海軍軍人。フランス王ルイ・フィリップの第3子。 1840年ナポレオン1世の遺骸をセントヘレナからフランスに持帰った。 48年二月革命の際イギリスに逃れ,のちアメリカに渡ったが 70年帰国。 71年国民議会議員にオートマルヌ県から選出された。

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百科事典マイペディア 「ジョアンビル」の意味・わかりやすい解説

ジョアンビル

フランスの領主,年代記作者。友人でもある国王ルイ9世に仕え,1248年第7回十字軍のエジプト遠征に参加,王とともに捕虜となり,1254年帰国した。主著《聖王ルイの歴史》は末期十字軍とルイ9世の正確な史料。

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