ジョリオ-キュリー(読み)ジョリオキュリー

化学辞典 第2版の解説

ジョリオ-キュリー
ジョリオキュリー
Joliot-Curie, Jean Frédéric

フランスの物理学者.1920年パリ物理化学学校に進学し,技術者になる教育を受けた.恩師P. Langevinの推薦で1925年にM. Curie(キュリー)が指導するラジウム研究所に私設助手として入所,翌年にはI. Joliot-Curie(ジョリオ-キュリー)と結婚した.1930年放射性元素の電気化学的性質についての一連の研究で博士号を取得したが,1935年パリ大学理学部の講師に採用されるまで正規のポストに就けず,国家科学基金の奨学金によって研究を続けた.この間にα線の衝撃による放射線の放出実験を夫妻で行い,1934年ポロニウムのα線でアルミニウムやホウ素など軽い原子核を衝撃すると人工放射能が生じることを見いだし,妻とともに1935年ノーベル化学賞を受賞.1937年コレージュ・ド・フランス教授となり,ヨーロッパ最初のサイクロトロンを設置した原子核化学研究所の創設に尽力した.また,原子核の連鎖反応の研究を行い,ウランと重水による原子炉の設計を行った.ナチスドイツの占領下にあった第二次世界大戦中はレジスタンス運動に参加し,戦後すぐに原子力の平和利用を訴えた.1946年に新設された原子力委員会の委員長として,フランス最初の原子炉建設を指揮したが,フランスの原爆保有に反対し,1950年解任された.1946年に組織された世界科学者連盟初代会長を務め,1951年には世界平和評議会議長を務めるなど,科学の平和利用を訴え続けた.

ジョリオ-キュリー
ジョリオキュリー
Joliot-Curie, Irène

フランスの物理学者.M.&P. Curie(キュリー)夫妻の長女として生まれる.祖父による家庭教育で育ち,15歳から正規教育を受け17歳で大学入学資格試験に合格し,1920年物理学と数学の学士号を取得し,翌年から母が指導するラジウム研究所の研究員になった.1937年ソルボンヌ大学教授,1946年ラジウム研究所所長となる.母と同じ放射能の研究を行い,α線に関する研究で1925年に博士号を取得.翌年,母の助手であったJ.F. Joliot-Curie(ジョリオ-キュリー)と結婚し,両親のように夫妻で放射能の研究を行い,1934年には人工放射能を発見した.この人工放射性元素の生成は,元素転換に化学的証明を与えることになり,1935年夫とともにノーベル化学賞を受賞.第一次世界大戦で赤十字のX線検査班を指導して戦場を駆けめぐる母の助手として働いた経験をもつ彼女は,母以上に積極的に社会的活動に参加し,1936年フランス人民戦線内閣で大臣を務めたのをはじめ,ファシズムに反対する知識人監視委員会に参加し,第二次世界大戦後は原水爆の反対を訴えた.母親と同じく,放射線照射による白血病により死去

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

今日のキーワード

国民投票法

正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」。平成19年法律第51号。2007年(平成19)5月18日に制定され、施行は3年後の2010年5月18日である。この法律は、日本国憲法第96条に定める日本...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android