ジョンソン(Walter Johnson)(読み)じょんそん(英語表記)Walter Johnson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ジョンソン(Walter Johnson)
じょんそん
Walter Johnson
(1887―1946)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)、監督。1907年から27年まで21年間、大リーグ(メジャー・リーグ)のワシントンセネタース(現ミネソタ・ツインズ)一筋に投げ続けた「ビッグ・トレインBig Train」(人間機関車)の異名をもつ剛球投手で、大リーグ歴代2位の通算417勝をあげた。

 11月6日、カンザス州のハンボルトで生まれる。1907年、マイナー・リーグを経験せずにセネタースに入団。翌08年にはニューヨークハイランダーズ(現ニューヨーク・ヤンキース)相手に3連続完封を演ずる活躍をみせるが、チームが弱く、14勝14敗でシーズンを終えた。しかし、1910年から19年まで10年連続20勝を達成、1912年からは8年連続奪三振王となった。その間、1913年には55回3分の2連続無失点を達成するなど、36勝7敗で初めての最多勝に輝いた。1910年から19年までのセネタースは年平均76勝に対し、ジョンソンはその3分の1にあたる平均27勝をあげていた。1920年の対ボストン・レッドソックス戦で初のノーヒットノーランを達成したが、その直後に右腕を痛めてシーズンを欠場。しかし、翌21年に復活し、24年には23勝で6回目の最多勝を獲得、チームを創設24年目で初のリーグ優勝に導いて最優秀選手(MVP)に輝き、ワールド・シリーズでも初優勝を遂げた。1927年に引退するまで、開幕戦で7回の完封勝利や、2回にわたって無死満塁のピンチを3者3球三振で切り抜けるなどの離れ技を演じた。通算完封勝利110は歴代1位、通算奪三振3508の大リーグ記録は56年間破られなかった。1929年から32年までセネタース、33年から35年までクリーブランド・インディアンスで監督を務めた経験がある。1936年に初めての選考で、ベーブ・ルースらとともに野球殿堂入りを果たした。

 選手としての21年間の通算成績は、登板試合417、投球回5914と3分の1、417勝279敗、防御率2.17、奪三振3508、完投531、完封110。獲得したおもなタイトルは、最多勝利6回、最優秀防御率5回、最多奪三振12回。監督としての通算成績(7年)は、529勝432敗。1936年に野球殿堂入り。

[出村義和]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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