ジンバブエ(読み)じんばぶえ(英語表記)Zimbabwe

翻訳|Zimbabwe

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジンバブエ(国)
じんばぶえ
Zimbabwe

南部アフリカ中央部の内陸国。旧称南ローデシアローデシアともよばれた)。イギリス連邦加盟の共和国で1980年4月独立。北をザンビア、東をモザンビーク、南を南アフリカ共和国、西をボツワナに囲まれる。面積39万0759平方キロメートル。人口1263万(2000推計)。首都はハラーレ(旧称ソールズベリー)。[林 晃史]

自然

北側国境をザンベジ川、南側国境をリンポポ川に挟まれ、東部はサビ川の支流が扇状に走っている。地勢は南西部から北東部に走る標高1200メートルの高地、その両側は標高1000メートルの高原地帯、残りは各河川流域の低地からなる。気温は温暖、雨量も適度で、農業に適しているため白人入植者が多い。[林 晃史]

歴史

16世紀にカランガ人のモノモタパ王が南部に一大王国を築き周辺部族を支配した。国名の由来するジンバブエ遺跡(1986年世界遺産の文化遺産に登録)はその祖先により12~15世紀ごろ建設されたといわれる。その後ンデベレ人がこの地を制していたが、19世紀末セシル・ローズの創立したイギリス南アフリカ会社がこのンデベレ人のロベングラ王から鉱業利権を得た。以来同社の支配が始まり、マタベレ戦争などアフリカ人の抵抗があったが、入植者は増え続けて、1923年イギリス連邦内の自治植民地となった。
 1953年南ローデシア、北ローデシア(現ザンビア)、ニアサランド(現マラウイ)が合併してローデシア・ニアサランド連邦をつくったが、アフリカ人の民族独立運動によってわずか10年間で解体した。しかし南ローデシアはイギリスおよびアフリカ人の反対を押し切り、1965年少数の白人が一方的に独立を宣言してローデシア問題が起こった。初めイギリスは首相I・スミスとの交渉による問題の解決を図ったが失敗した。1970年代になってアフリカ人の武力解放闘争が激化したため、スミスはアフリカ人側との交渉に踏み切り、1975年制憲会議を開いたが決裂し、以後アフリカ人自体も数派に分裂して紛糾した。その後アメリカ国務長官キッシンジャーの和平工作、アメリカ・イギリスの共同和平提案を経て、1979年秋のロンドン会議により和平が合意された。そしてその際調印されたランカスター協定に従って1980年初め総選挙が実施され、アフリカ人勢力が圧勝、同年4月18日アフリカ人国家ジンバブエとして独立を達成した。[林 晃史]

政治

行政府は議会により選出される実権大統領(任期6年)の下に2名の副大統領のほか、23名の閣僚からなっている。立法府は一院制で、任期5年の150名の議員により構成されている。そのうち120名は普通選挙で選出され、10名は伝統的首長の代表、12名は大統領任命、残り8名は州知事である。改憲は下院議員の3分の2以上によって行われる。
 1987年に大統領に就任したロバート・ムガベは1996年3月に行われた大統領選挙で3選された。また下院の選挙は1995年4月に実施、与党「ジンバブエ・アフリカ民族同盟・愛国戦線(ZANU‐PF、党首ムガベ)」が82%の得票率で118議席を獲得した。ZANU・ンドンガ党(党首シトレ)は6.5%の得票率で2議席、残り55議席は小選挙区制で対立候補なくすべてZANU‐PFがとったため、ZANU‐PFが圧勝した。しかし、投票率は54%と極めて低かった。1999年有力労働団体ジンバブエ労働組合会議を母体に民主変革運動(MDC)が結成された。2000年6月に行われた総選挙ではZANU‐PFが得票率48.6%(獲得議席62)、MDCが47.0%(同57)となり、これまでの一党支配から二大政党へと移行した。2002年3月に行われた大統領選挙でムガベはMDC党首のツァンギライを破り、4選された。[林 晃史]

外交・軍事

独立後、国連、イギリス連邦、アフリカ統一機構(現アフリカ連合)に加盟し、非同盟主義、反人種差別主義を外交の基本としてきた。南アフリカ共和国に対しては外交関係を断ったが、経済関係は継続した。またフロントライン諸国の一国として南部アフリカ開発調整会議(現南部アフリカ開発共同体)に積極的に参加している。解放闘争期に分裂・対立したZANU、ZAPUの軍隊と、ローデシア国軍とを合体してジンバブエ国軍とすることが独立後のムガベ政権の急務であったが、たびたびの武力衝突を経て1982年初め完了した。軍隊は志願兵制で、総兵力は4万5000人(陸軍4万1000人、空軍4000人)となっている(1996)。[林 晃史]

経済・産業

自治植民地時代、経済はタバコ栽培とクロム、亜鉛、石綿などの鉱業生産輸出に依存していた。大恐慌後、白人地域とアフリカ人地域を区分する土地配分法を制定、マーケティング・ボード(流通調達のための政府機関)をつくり入植者を保護した。ローデシア・ニアサランド連邦結成期、経済の規模が拡大し、外国投資が増え製造工業が著しく発展して、南アフリカ共和国に次ぐアフリカ大陸第二の工業国となった。しかし1965年の一方的独立宣言以降、国連の対ローデシア経済制裁を受け、かろうじて南アフリカ共和国の援助によって経済発展を維持したが、アフリカ人解放闘争の激化により農場が戦場化したため、1970年後半以降、経済発展は著しく停滞した。独立後、制裁は解かれ、外国の援助を受けてふたたび経済が活発化した。農業は、輸出市場向けの白人による大規模農業とアフリカ人による自給自足農業とに分かれ、前者では葉タバコ、砂糖、トウモロコシ、綿花、小麦、コーヒー、茶、酪農、後者はトウモロコシ、大豆、ラッカセイなどの食糧作物が中心となっている(国内総生産に占める農業の比率25%、1995)。鉱業はクロム、アスベスト、ニッケル、金、銅のほか、石炭、リチウム、ウラン、燐(りん)鉱石など豊富だが、ほとんど外国系企業により採掘されている(鉱業の比率7.5%)。工業は農産物加工から金属、機械、繊維、化学に至るまであらゆる分野にわたっており(工業の比率23.3%)、工業の発展を支える道路、鉄道、電力なども整備されている。
 また国土の約2分の1を占める白人地域のアフリカ人への返還も、独立後のムガベ政権の大きな課題となった。政府はアフリカ人の再入植用に白人農家の売却希望者から市場価格で土地を購入してきたが、それが遅々として進まないことから、1992年3月、「土地収用法」を立法化し、行政上必要な場合、政府は土地収用を宣言し、所有者に対し補償委員会が設定した価格を、現金または国債で支払うことを可能にさせた。この立法に対し白人農家は激しく反対し、旧宗主国イギリスも同法の撤回を求めて新規援助を停止した。
 国際収支の特徴は、貿易収支の黒字と対照的な貿易外収支の経常的赤字で、それを埋める純資本収支は黒字を保っていることである。貿易外収支の赤字は貨物輸送料の激減と外国企業の本国送金が原因である。[林 晃史]

社会

1981年の人種別内訳は、白人17万人、カラード2万人、インド人1万人、アフリカ人740万人であった。独立前後から白人の国外流出が続き、最大時の27万人から激減した結果である。アフリカ人はさまざまな部族に分かれるが、主要部族は北東部のショナ(アフリカ人人口の71%)と西部のンデベレ(16%)である。解放闘争期からZANUを支持するショナ人とZAPUの支持基盤であるンデベレ人はしばしば対立抗争し、その抗争は独立後の政治、軍隊にも反映している。公用語は英語であるが、ショナ語、ンデベレ語も使われている。宗教は、白人と約15%のアフリカ人がキリスト教、残りは部族宗教である。労働者の大半は農業に従事している。賃金労働者は約330万人で、部門別には白人農場34%、製造業15%、家庭使用人12%、行政部門7.5%、鉱業6%となっている。また、失業者は120万人(1990)といわれる。白人の平均所得はアフリカ人の10倍、農村のアフリカ人の約150倍といわれ、人種間の所得格差は大きい。独立後、政府は最低賃金制度を導入し、農場、家庭使用人は月額45ジンバブエ(Z)ドル(当時1Zドル≒0.6米ドル)、工業・商業労働者は133Zドルとしたが、アフリカ人の不満は高まっている。教育はアフリカ人・白人共学で差別はなく、現在、小学校は無料で、小学生238万人(1993)、中学生66万人(1992)、大学は首都のジンバブエ大学のみである。英字日刊紙はクロニクル紙(3.8万部)とヘラルド紙(9.5万部)が発刊されており、ジンバブエ放送局、テレビ局がある。[林 晃史]

日本との関係

1966年の国連の対ローデシア経済制裁以来、国交を断絶してきたが、1979年12月制裁解除とともに再開した。1981年(昭和56)大使館を開設、貿易も再開され、日本の出超となっている。1981年5月ムガベ首相が訪日。経済復興のため、独立以後日本は有償・無償・技術協力援助を実施している。[林 晃史]
『星昭・林晃史著『アフリカ現代史』(1992・山川出版社) ▽B・デビッドソン他著、北沢正雄訳『南部アフリカ』(1979・岩波書店) ▽日本貿易振興会編・刊『ジンバブエ』(1991)』

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