日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
スタイン(Sir Mark Aurel Stein)
すたいん
Sir Mark Aurel Stein
(1862―1943)
イギリスの考古学者、探検家。ハンガリーの首都ブダペストに生まれ、1904年にイギリスに帰化した。ドイツの大学で学んだのち、イギリスに渡り、オックスフォード大学およびロンドン大学で考古学、東洋学を学んだ。修学後、ロンドン大学のローリンソンの推薦で、インドに渡り、ラホールの東洋学校の校長となった。1900~01年に第1回の新疆(しんきょう)省探検を試み、玄奘(げんじょう)がインドからの帰路とした西域(せいいき)南道に沿って歩き、ホータン、ニヤの諸遺跡を調査した。06~08年に第2回の探検を行い、ロプノール湖畔からミーランの調査を試み、その後、敦煌(とんこう)に入り、多くの仏画、仏典、古文書を入手した。13~16年には第3回の探検に出かけ、モンゴル西部、パミール高原、アフガニスタンに至る諸遺跡と古代交通路の調査を行っている。以上の探検の結果は、『古代ホータン』Ancient Khotan(1907)、『セリンディア』Serindia(1921)、『インナモースト・エイシア』Innermost Asia(1928)などとして、すばやく報告書が公刊され、これらの報告書は、探検家としてのみならず考古学者、東洋学者としてのスタインの業績を輝かしいものとしている。
1930年に日本を訪問し、その後、西南アジアの諸調査を行い、イラン、イラク、シリア、ヨルダンを歩き、多くの業績を残した。43年アフガニスタン調査のためにカシミールからペシャワルを経てアフガニスタンのカブールに入り、ここで病死した。
[飯島武次]
『J・ミルスキー著、杉山二郎・伊吹寛子・瀧梢訳『スタイン伝――考古学探検家』全2冊(1984・六興出版)』