スタンリー クラーク(英語表記)Stanley Clarke

現代外国人名録2016 「スタンリー クラーク」の解説

スタンリー クラーク
Stanley Clarke

職業・肩書
ジャズ・ベース奏者

国籍
米国

生年月日
1951年6月30日

出生地
ペンシルベニア州フィラデルフィア

グループ名
グループ名=リターン・トゥ・フォーエバー〈RTF

学歴
フィラデルフィア音楽院

受賞
グラミー賞(最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞,第53回)〔2011年〕「スタンリー・クラーク・バンド

経歴
幼い頃からアコーディオンバイオリンチェロを学び、その後ベースに転向。フィラデルフィア音楽院で学び、1970年代前半にニューヨークに移る。ホレス・シルバー、スタン・ゲッツらとの共演を経て、’72年ジャズ・ピアニストのチック・コリアらとともにフュージョン・バンド“リターン・トゥ・フォーエバー(RTF)”を結成し、アルバム「リターン・トゥ・フォーエバー」でデビュー。電気ピアノを駆使した近未来的な音作りと、ラテン要素を取り入れた斬新なサウンドで、瞬く間に一世を風靡。その後、代表曲「スペイン」を含むセカンドアルバム「ライト・アズ・ア・フェザー」(’73年)や、「第7銀河の讃歌」(’73年)、「浪漫騎士」(’76年)などを発表。’77年解散するが、’82年、2008年再結成。2011年活動を再開し、約30年ぶりの来日公演を開催。この間、「スクール・デイズ」をはじめとするリーダー・アルバムで、フュージョン界での地位確立。1975年にはジェフ・ベックをゲストに迎えたリーダー作「Journey To Love」をリリース。’81年にジョージ・デュークと結成した“クラーク〜デューク・プロジェクト”でも成功を収めた。’90年代以降は映画音楽家としても活躍。2009年ジャズ・ピアニストの上原ひろみドラムスレニー・ホワイトと“スタンリー・クラーク・トリオ”を結成し、アルバム「ジャズ・イン・ザ・ガーデン」をリリース。2010年には上原、ラスラン・シロタ(キーボード)、ロナルド・ブルーナー・Jr.(ドラムス)と“スタンリー・クラーク・バンド”として活動。2011年アルバム「スタンリー・クラーク・バンド」が、米国音楽界最高の栄誉であるグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞を受賞した。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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