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ステファン・ドゥシャン Stefan Dušan

世界大百科事典 第2版の解説

ステファン・ドゥシャン【Stefan Dušan】

1308‐55
中世セルビア国王(在位1331‐45),後に皇帝(在位1346‐55)。父ステファン・デチャンスキを殺害して王位に就く。貴族の要望にこたえ,ビザンティン帝国を滅ぼしてもバルカン半島で覇権を握ろうと転戦しつづけた。ビザンティン帝国の内紛,オスマン・トルコのアナトリア征服,後者のガリポリ占拠などが幸いしてアルバニアマケドニア(テッサロニキを除く),テッサリアなどを手中に収め,1346年スコピエにおいて〈セルビア人ギリシア人の帝王〉を宣言した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のステファン・ドゥシャンの言及

【皇帝】より

…ここから,ゲルマン語では,たとえば現代ドイツ語のカイザーKaiserが,スラブ語でも,たとえば現代ロシア語のツァーリtsar’が生まれた。tsar’称号もまた,imperator称号と同じく中世でビザンティン帝国のbasileus称号と等置されたが,そのtsar’称号を,920年代にはブルガリア人シメオン1世が(先行ブルガリア人支配者の称号khan=汗にかわって),1346年の戴冠式にはセルビア人ステファン・ドゥシャンが(kralj称号にかえて),1547年の戴冠式にはロシア人イワン4世が(先行支配者たちが最初に帯びていたknyaz’(公)称号,のちに帯びるようになったvelikii knyaz’(大公)称号の代りに),それぞれとなえたのは,いずれも,ビザンティン帝国の標榜する世界皇帝理念に対するみずからの態度表明としてであった。なお近代では,ピョートル大帝が,tsar’称号を廃して,代りに西方のimperatorを公式称号に採用したけれども,tsar’称号は依然として民間で存続した。…

【セルビア】より

…この初代大主教は洗礼名サバの名で呼ばれ,〈聖サバ〉の名はのちのセルビア人にとって,教育と啓蒙の代名詞となる。 1331年に即位したステファン・ドゥシャン王(在位1331‐55)の時期は中世セルビア王国の最盛期である。ドゥシャンはハンガリーやラグーザ(ドゥブロブニク)と友好関係を維持して,1345年までにセルビア,マケドニア,アルバニア,ギリシア中部までを手中に収めた。…

【マケドニア】より

…しかし1246年にはビザンティン帝国がラテン王国を制圧し,一方ブルガリアは北方に勃興したネマーニャ朝(1168-1458)セルビア帝国との戦いに敗れて14世紀には事実上分裂した。セルビア帝国はステファン・ドゥシャン(在位1331-55)の下で最盛期を迎え,1344年までにマケドニアからテッサリア,アルバニア,イピロスの全域を収め,首都をスコピエに置いた。しかしドゥシャンの死後,帝国は分断し,同じころオスマン朝が小アジアからバルカンへ進出を開始した。…

※「ステファン・ドゥシャン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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