ストルボバの和議(読み)すとるぼばのわぎ

世界大百科事典(旧版)内のストルボバの和議の言及

【グスタブ[2世]】より

…スウェーデン国王。在位1611‐32年。グスタブ・アドルフともよばれる。スウェーデンの公カールの長子として生まれる。父は,スウェーデン王兼ポーランド王ジグムント3世(アドルフの従兄)と争ってこれをスウェーデンから追い,摂政(1599),ついで王となり(1604‐11),死後,17歳に満たぬアドルフに,スウェーデン王位とともにデンマーク,ロシア,ポーランドとの紛争・確執を残す。 デンマークとのカルマル戦争(1611‐13)は劣勢で,イングランド王ジェームズ1世の調停をえてクネレドKnäredの和議を結ぶが,過酷な賠償を負う。…

【フィンランド】より

…またカール9世Karl IX(在位1599‐1611)は重税のために蜂起したフィンランドの農民一揆〈棍棒戦争〉を利用してフィンランド貴族を一掃し(1599),ここに王権を確立した。 次に勇王グスタブ2世のもとで強力となったスウェーデンは,武力によってロシアを封じ込め,1617年ストルボバの和議により東カレリアとイングリアを手に入れ,エストニアを合して,さらにポーランドを押さえ,リボニアまで手中に収めた。かくて北方戦争に突入したが,これら対外戦争で先頭に立って勇猛に戦ったのはフィンランド人であった。…

【ミハイル・ロマノフ】より

…動乱時代(スムータ)末期にゼムスキー・ソボル(全国会議)により皇帝に選出され,その協力を得て,まず国内秩序の回復に努めた。ロシア北西部とノブゴロドを占領し,さらにプスコフに迫っていたスウェーデンとは,1617年ストルボバの和議を結び,モスクワ近郊に攻め寄せていたポーランドとは,翌18年にデウリノの休戦を成立させた。一方,重税と農奴制の強化による内政の再建に着手し,シベリアの開発を推進した。…

※「ストルボバの和議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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