スミス(Ian Douglas Smith)(読み)すみす(英語表記)Ian Douglas Smith

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スミス(Ian Douglas Smith)
すみす
Ian Douglas Smith
(1919―2007)

ローデシア(現ジンバブエ)の政治家。白人入植者の子としてミドランド州のセルクウェに生まれる。南アフリカ連邦のローズ大学を卒業、第二次世界大戦中イギリス空軍飛行士として活躍。1948年政界に入り南ローデシア立法審議会議員。1961年白人入植者を代表するローデシア戦線党(RF)を結成。1964年首相に就任。1965年11月宗主国イギリスとアフリカ人の反対を押し切って入植者による支配を続けたままでの一方的独立を宣言した。アフリカ人の合意が独立の条件とするイギリスと何度も交渉を重ねたが決裂。1970年代以降のアフリカ人武力闘争に武力で対峙(たいじ)。以後ソ連が積極的に支援するアフリカ人解放勢力との戦争が続いた。ソ連の南部アフリカ進出を恐れたアメリカは1975年のビクトリア・フォールズ会談で初めて解放諸勢力と交渉したが決裂。しかし、スミスは1976年のアメリカ国務長官キッシンジャーによる和平交渉、さらに1977年の一人一票制の選挙を主唱する英米提案をけり、国内穏健派のアフリカ人指導者ムゾレワらと国内解決を図った。1979年8月に開かれたイギリス連邦首脳会議で、アジア・アフリカ諸国は国内解決を認めたサッチャー政権を非難し、改めて全当事者によるロンドン制憲会議を提唱した。同年9月のロンドン制憲会議に合意し、新憲法、独立までの移行期、軍・ゲリラ武装解除、一定期間の白人権益保護について協議した。その結果ランカスター協定が締結され、翌1980年4月ジンバブエは独立。その後もRF党首、下院議員として白人の権利擁護にあたった。RFは1985年ジンバブエ保守連合(CAZ)と改名したが、1987年、独立時のランカスター協定の期限終了後に全100議席のうち20議席あった白人議席はなくなり、党首を辞任、翌1988年政界から引退した。

[林 晃史]

『Bitter harvest(2001, Blake Publishing, London)』『Dickson A. MungaziThe last defenders of the laager(1998, Praeger Publishers, Westport,Conn.)』

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