スライ ダンバー(英語表記)Sly Dunbar

現代外国人名録2016 「スライ ダンバー」の解説

スライ ダンバー
Sly Dunbar

職業・肩書
ミュージシャン

国籍
ジャマイカ

生年月日
1952年5月10日

出身地
キングストン

本名
ダンバー,ローウェル〈Dunbar,Lowell〉

グループ名
グループ名=スライ&ロビー〈Sly&Robbie〉

経歴
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのリーダーであるスライ・ストーンに私淑し、スライ・ダンバーを名のる。スキン・フレッシュ・アンド・ボーンズで活動し、1970年代前期にベーシストのロビー・シェイクスピアとリズム・セクションのスライ&ロビーを結成。ボブマーリーと並ぶレゲエ界の大物ピーター・トッシュのアルバム制作でその名を知られるようになり、トッシュのバックバンドとしてローリング・ストーンズのワールドツアーの前座を務めたのがきっかけで、’78年ミック・ジャガーとピーターの共作「ドント・ルック・バック」にもプレイヤーとして参加。’80年タクシー・レコードを設立。’90年代から2000年代にかけてはヒップホップR&B、ラテン音楽を融合させた“レゲトン”を提唱し、その先駆者となった。’98年アルバム「フレンズ」でグラミー賞最優秀レゲエ・アルバム賞を受賞。’80年代以降はレゲエ以外にも活動の幅を広げ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、スティング、ジョー・コッカー、セルジュ・ゲンズブール、カルロス・サンタナなどロックやポップスのミュージシャンの楽曲製作に加え、ポール・マッカートニー、マドンナ、ブリトニー・スピアーズらのリミックスも手がける。プロデューサー・チームとしても活躍し、ノー・ダウトのアルバム「ロック・ステディー」(2001年)からのシングル「Hey Baby」をプロデュースし、2003年彼らにグラミー賞最優秀ポップ・グループ賞を獲らせた。J-POPの愛好者としても知られ、2008年のアルバム「アメージング」では青山テルマ「そばにいるね」をカバーし、グラミー賞の最優秀レゲエ・アルバム賞にノミネートされた。2009年久保田利伸「LA・LA・LA・Love Song」などを英語でカバーした「Jパラダイス」をリリース。2010年にはその続編として宇多田ヒカル「First Love」などをカバーした「Jラバーズ」を発表。他のアルバムに「ベース&トラブル」「リズム・ダブルス」「ワン・ポップ・エゲエ」「Jスタンダーズ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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