世界大百科事典(旧版)内のスーナン・グヌン・ジャティの言及
【チェリボン】より
…スンダ人,ジャワ人,中国人,オランダ人の諸文化が混在し,町名もジャワ語のチャルバン(混合物の意)にちなむといわれる。イスラム伝来以前は目立たぬ港であったが,1552年ごろ以後にここに移住して来たイスラム教徒のスーナン・グヌン・ジャティ(別名ファラテハン)が勢力を得た。彼は北スマトラのパサイ出身でメッカ巡礼をすませた後,ジャワ北岸デマック国王トレンガナの妹と結婚していた。…
【バンテン王国】より
…ヨーロッパ文献にはバンタムBantamと記される。北スマトラのパサイ出身のいわゆる〈9聖人〉の一人スーナン・グヌン・ジャティ(ファラテハン)は1524年にジャワ北岸のデマックにイスラムを伝え,さらに布教と貿易の根拠地を求めてバンテンに移動した。バンテンはしばらくのあいだデマックの属国としてグヌン・ジャティの支配を受けたが,1552年ごろ以後,彼は本拠を約300km東方のチェリボン港に移し,彼の子ハサヌッディン(在位1552‐70)がバンテンの王統を継いで別の王国となった。…
※「スーナン・グヌン・ジャティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」