日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソロー」の意味・わかりやすい解説
ソロー(Henry David Thoreau)
そろー
Henry David Thoreau
(1817―1862)
アメリカのエッセイスト、思想家。7月12日、マサチューセッツ州コンコードに生まれる。ハーバード大学卒業時の演説「商業精神」で、週に1日のみ働き、「あとの6日は愛と魂の安息日として、自然の影響にひたり、自然の崇高な啓示を受けよ」と語り、一生この主旨に沿った生き方を試みようとした。家業の鉛筆製造事業のほか、教師、測量、大工仕事などに従事したが、定職につかず、コンコードに住む超絶主義者のエマソンや彼の周辺の人々と親交を結び、日々の観察と思索を膨大な量の日記として残した。
作品には、兄のジョンJohn Thoreau Jr. (1815―1842)と1839年に行ったボート旅行をモチーフにした随想と詩『コンコード川とメリマック川での1週間』(1849)と、ウォールデン池畔に小屋を建て、自然の啓示を受けて単純素朴に生きる実験を行った2年2か月の生活を、初夏から次の春までの1年分にまとめた『ウォールデン――森の生活』(1854)がある。ソローは具体的事物を細かく観察したが、事物を単に事実としてのみ見ずに、ウォールデン池について、「この池が一つの象徴として深く清純に創(つく)られていることを私は感謝している」「私が池について観察したことは、倫理においても真実である」と説くように、具体的事物のかなたに普遍性を読み取ろうとした。それが「自然の崇高な啓示を受ける」ことにほかならず、このためには、観(み)る行為が正確で純粋でなければならないと同時に、観察した事象について時間をかけて思索する必要があった。ソローは1862年5月6日、44歳で死んだが、思索を十分練らないままに残された旅行記は、『メイン州の森』(1864)、『ケープコッド』(1865)、『カナダのヤンキー』(1866)の3冊にまとめられ、それぞれ死後刊行された。
ソローはまた若いころから家族ぐるみで奴隷制に反対し、奴隷制を許す体制を批判して人頭税納付を拒み続け、1846年7月投獄された。1日で釈放されたが、このときの体験がのちに『市民としての反抗』としてまとめられた(1849)。個人の良心に基づく不服従を説き、「まったく支配しない政府が最上の政府である」と主張するこの書物は、のちにガンジーやキング牧師に愛読された。
[松山信直 2015年10月20日]
『東山正芳著『ヘンリー・ソーロウの生活と思想』(1972・南雲堂)』▽『酒本雅之著『支配なき政府――ソーロウ伝』(1975・国土社)』
ソロー(Robert Merton Solow)
そろー
Robert Merton Solow
(1924―2023)
アメリカの経済学者。ニューヨーク市ブルックリンに生まれる。ハーバード大学に入学したが、第二次世界大戦中は陸軍に所属、終戦後の1945年に復学してW・レオンチェフに経済学を学び、1947年に卒業、1949年に修士号、1951年に博士号を同大学で取得した。1950年からマサチューセッツ工科大学(MIT)に勤務し、1958年教授に昇格した。1961年にジョン・ベーツ・クラーク賞を受賞、同年第35代大統領ケネディの経済諮問委員会委員、1964年に計量経済学会会長、1979年にアメリカ経済学会会長を務めた。
ソローは、統計学と経済成長モデルを研究し、新古典学派成長論を展開した。従来の経済成長論は資本・生産比率などを固定化したため、均衡成長に至るまでの経路が不安定になると主張した。彼はそれらの固定化を排し、資本と労働の間に代替性があり、一定の割合で成長していく恒常状態に達するとした新しい均衡成長論を提唱した。さらに技術進歩の重要性を主張し、技術進歩を計測的にとらえ、それを経済成長理論に取り入れた成長モデルをつくりあげた。このような生産と福祉の増大をもたらす「経済成長の諸要因を理論的に分析し、新古典派成長理論の基礎的枠組みを構築」した業績に対して、1987年のノーベル経済学賞が与えられた。
インフレーションと失業をめぐるフィリップス曲線の分析でも知られている。
[金子邦彦]
『ロバート・M・ソロー著、福岡正夫訳『成長理論(第2版)』(2000・岩波書店)』