タンヌリー(英語表記)Paul Tannery

改訂新版 世界大百科事典 「タンヌリー」の意味・わかりやすい解説

タンヌリー
Paul Tannery
生没年:1843-1904

フランスの科学史家。パリ近郊のマントに生まれ,エコール・ポリテクニクを卒業して煙草専売公社に入り,1893年パリ市外パンタンの専売公社工場長になって同地で没した。76年から古代ギリシアの科学に関する研究を発表しはじめ,のちには中世近世にまで研究領域を広げて有数の科学史家になった。また科学史研究の国際組織の育成にもつくした。《ギリシア科学史のために》(1887),《古代天文学史研究》(1893)ほかのおびただしい研究は17巻の《科学論文集》(1912-50)に収められている。彼はまた《ディオファントス全集》(1893-95),《フェルマー全集》(共編,1891-1922),《デカルト全集》(共編,1897-1913)の編纂者としても有名である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タンヌリー」の意味・わかりやすい解説

タンヌリー
Tannery, Paul

[生]1843
[没]1904
フランスの科学哲学史家,数学史家。初め技師であったが,のちコレージュ・ド・フランスの教授となった。古代科学史を専攻。 P.フェルマおよびデカルトの全集の編者として著名。主著"Pour l'histoire de la science helléne" (1887) ,"Recherches sur l'histoire de l'astronomie ancienne" (93) 。

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世界大百科事典(旧版)内のタンヌリーの言及

【科学史】より

…したがって,科学の特権性を過去の歴史のなかに跡づけ,あるいはそうした体系の部分的な一片一片を,他の文化圏の歴史のなかに発見するという,データ探しが,19世紀の動きを受けついだ20世紀前半の重要な学問上の目標となった。 ベルギーに生まれ,1915年からアメリカに渡ったG.サートンの大著《科学史序説》(1927‐47),ドイツのF.ダンネマンの《大自然科学史》(1910‐13),あるいはフランスのP.タンヌリーの《科学史論集》(1912‐50),イギリスのC.シンガーの一連の著作活動など,いずれも百科事典的な浩瀚(こうかん)な内容をもつもので,データの集積作業であった。それとともに,科学史はこの時期に学問としても制度化されはじめ,サートンが1912年に創刊した論文誌《アイシスIsis》は,アメリカ科学史学会(1924設立)の機関誌として今日に至っており,国際的にも最も権威ある学会誌の一つになっている。…

※「タンヌリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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