百科事典マイペディア 「タン・マラカ」の意味・わかりやすい解説
タン・マラカ
→関連項目ムソ
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インドネシアの革命家、思想家。西スマトラに生まれる。1913~1919年オランダに学んだ。1921年ジャワ島中部北岸のスマラン市に移り共産党に入党、頭角を現したが、翌1922年逮捕、国外追放に処された。この年から20年間、中国、東南アジア、ヨーロッパ、ソ連などを舞台として、波乱と謎(なぞ)に満ちた国外生活が続いた。1942年ひそかにジャワへ戻り、1945年再度政治舞台に登場、「100パーセントの独立」を獲得すべく「闘争同盟」を結成し、反スカルノ、反シャフリルの立場を貫いた。投獄と釈放の生活を繰り返したが、1949年2月殺害された。多くの著書を残している。
[土屋健治]
『タン・マラカ著、日野遼一訳『大衆行動――インドネシア共和国への道』(1975・鹿砦社)』▽『押川典昭訳『牢獄から牢獄へ――タン・マラカ自伝』全2巻(1979、1981・鹿砦社)』
1897 - 1949
インドネシアの思想家,革命家。
西スマトラ生まれ。
別名Sutan Ibrahim Gelar Datuk Tan Malaka。
1913〜19年オランダに留学、その間社会主義へ傾倒し祖国解放を志す。帰国後教員を経て共産党に入党、’21年同党議長となり反植民地闘争を指導、翌年逮捕され国外追放。’42年帰国するまでソ連、中国、東南アジア等で活動し’45年独立宣言後に政治活動を再開、闘争同盟を結成し反スカルノ、反シャフリルの立場で独立闘争を指導。’49年ゲリラ戦中に死亡。著書に「大衆行動」、「唯物論・弁証法・論理学」、自伝「牢獄から牢獄へ」等多数あり。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
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