世界大百科事典(旧版)内のダンダーナカーンの戦の言及
【セルジューク朝】より
…トルコ系の王朝。1038‐1194年。大セルジューク朝とも呼ばれる。トルクメン族の族長セルジュークは,カスピ海,アラル海の北方方面より10世紀末にシル・ダリヤ河口のジャンドへ移住してムスリムとなり,ガージーを集めて勢力をなした。その子イスラーイールIsrā‘īl(?‐1032)は,サーマーン朝,次いでカラ・ハーン朝,ガズナ朝と同盟して力を伸ばした。その甥のトゥグリル・ベク,チャグリー・ベクChaghrī Bek(987‐1060)らは,1038年ニーシャープールに無血入城し,40年にはダンダーナカーンDandānqānの戦でガズナ朝軍を破り,ホラーサーンの支配権を手中に入れた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」