ダービー(英語表記)Abraham Darby

精選版 日本国語大辞典 「ダービー」の意味・読み・例文・類語

ダービー

[1] イギリスの名家の一つ。特に一二代のダービー卿は、競馬のオークス一七七九)およびダービー(一七八〇)の創設者として知られる。
[2] 〘名〙
① サラブレッド三歳馬によるクラシックレースの一つ。競走馬にとって最も名誉あるレースとされ、日本では、日本ダービー東京優駿)として、毎年初夏の頃行なわれる。《季・夏》 〔アルス新語辞典(1930)〕
② 黒フェルトの丸形の山高帽。ダービーハット
③ 競争。特にプロ野球などで、タイトルをかけた争い。「ホームランダービー
④ サッカーなどで、同じ都市や地域の二チームによる対戦。ダービーマッチ

ダービー

(Derby) イギリス、イングランド中部、バーミンガムの北北東にある都市。一三世紀に自治都市となり、一八世紀にイタリアから絹紡績が導入され、製陶業の製品に王冠模様をつけることをジョージ三世から許されて以来、工業都市として発達した。鉄道車両などの工業も行なわれる。

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デジタル大辞泉 「ダービー」の意味・読み・例文・類語

ダービー(Derby)

英国の名家の一。競馬のオークスやダービーは第12代のダービー卿が創設した。

英国、ロンドン郊外のエプソムで毎年6月上旬に行われる、サラブレッド3歳馬による競馬。距離1.5マイル(約2400メートル)。クラシックレースの一つで、1780年創始。現在、世界各地でこの名をつけた類似のレースが行われている。
日本で、1にならって毎年5月に行われる「東京優駿」の通称。五大クラシックレースの一。日本ダービー。
derby)首位をめざして何人もが競いあうこと。「ハーラーダービー」「ホームランダービー
(derby)⇒ダービーマッチ

ダービー【Derby】[地名]

英国イングランド中部の都市。バーミンガムの北北東に位置する。18世紀より絹紡績と製陶業で発展、産業革命の中心地の一つとなった。現在は鉄道車両や航空機エンジンなどを生産する。哲学者ハーバート=スペンサーの生地。
オーストラリア、西オーストラリア州北部、キンバリー地方の町。インド洋のキング湾に面し、10メートル以上もの干満の差が生じる。第二次大戦時に日本軍による空襲を受けた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダービー」の意味・わかりやすい解説

ダービー
Abraham Darby

コークス高炉による製銑にはじめて工業的に成功した,3代にわたる同姓同名のイギリスの製鉄業者一家。

(1)ダービー1世(1678-1717) ブラックカントリーの錠前工兼農民(クエーカー教徒)の子に生まれ,バーミンガムの麦芽(モルト)装置製造者の徒弟となり,1699年独立。1702年同教徒らと黄銅工場を設立した。黄銅製で高価であった深なべ(鍋)を鋳鉄製にすることを考え,乾燥砂型鋳造法を開発して07年特許を得た。08年単独でシュロップシャーコールブルックデールの小鉄工所を賃借し,翌年1月4日から高炉を稼働した。このとき燃料として木炭でなく,同地産の石炭をコークスに焼いて使用した。製品銑鉄はすべて,やかん,深なべ等の鋳物として販売し,営業的にも成功した。15年には第2高炉を建て,錬鉄鍛造場2ヵ所を入手するなど事業を拡大した。

(2)ダービー2世(1711-63) 38年から製鉄所の経営に加わり,42-43年ころ,高炉送風機駆動用水車の用水池への揚水ポンプを,従来の馬力駆動からニューコメン式蒸気機関に代えた。50年ころ,原料鉱石の選択や高炉操業法の改良でコークス高炉による錬鉄用原料銑鉄の製造に成功し,高炉を増設した。それらの高炉の送風には蒸気機関駆動のシリンダー送風機を用いた。こうしてアブラハム・ダービー一家がコークスと蒸気による製鉄の時代,石炭製鉄の時代をもたらした。

(3)ダービー3世(1750-89) 68年から経営に参加し,さかんに事業を拡張してコールブルックデール製鉄所をイギリス最大の製鉄企業とした。79年,セバーン川に世界最初の鋳鉄橋コールブルックデール橋(総重量400t)を建造した。
執筆者:

ダービー
Derby

競馬の競走名。近代競馬発祥の地イギリスのエプソムEpsom競馬場(ロンドン郊外)で1780年に始まったもので,創設者の第12代ダービー卿スタンリーEdward Smith Stanleyの名をとって命名された。明け4歳馬(満3歳)のナンバーワンを競うこのレースの優勝はイギリス競馬界最高の栄誉とされ,第1,第2次世界大戦中は場所をニューマーケット競馬場に移したが,創設以来一度も欠かさず,例年5月最終週,または6月第1週の水曜日(この日をダービー・デーDerby dayという)に開催されている。このレースを範として世界各国の競馬でも〈ダービー〉の名で,4歳馬最大のレースが行われるようになり,日本でも1932年に東京優駿(ゆうしゆん)大競走(現在の東京優駿競走,いわゆる日本ダービー)が創設された。距離はイギリスと同様2400mで,5月の最終日曜日に開催。第1回優勝はワカタカで,第3回からは府中の東京競馬場で行われている。負担重量は第9回以降,現在の牡馬(ぼば)57kg,牝馬(ひんば)55kgになった。近年は競馬以外にも,例えば〈競輪ダービー〉など,他のギャンブル競技で,それぞれの最大のレースに〈ダービー〉の名が使用されている。
競馬
執筆者:

ダービー
Derby

イギリス,イングランド中部,ダービーシャーにある工業都市で行政中心地。地名は,古ノルウェー語で〈鹿猟園のある農場〉の意。人口23万6738(2001)。イングランドの中央部,ミッドランド低地の北縁に位置し,古来ダーウェント川に沿う交通中心として,また産業革命以後は鉄道の結節点として発展,現在は車両,自動車,航空機エンジン,化学繊維などの工業が立地する。市の北部にはローマ時代の集落跡デルベンティオがあり,9世紀にはデーン人の〈五都市〉の一つとなった。工業化の端緒は18世紀初期に設立されたイギリス最初の生糸工場にあり,1750年ごろには,のちに王室御用達となる陶磁器生産も開始された。ゴシック式尖塔のあるオール・センツ教会やローマ・カトリックのセント・メアリー教会,1160年創立のグラマー・スクールなど歴史的建築物が多い。哲学者H.スペンサーや画家J.ライトの生地。
執筆者:

ダービー
Edward Geoffrey Smith Stanley, 14th Earl of Derby
生没年:1799-1869

イギリスの政治家。オックスフォード大学を卒業して下院議員となり(1822),はじめホイッグ党に属した。アイルランド事務相(1830-33)を経て植民相となり,奴隷制廃止法案の成立に尽力したが,1835年から保守党に移り,第2次ピール内閣の植民相となり(1841-44),44年には上院議員となった。しかし,穀物法廃止問題で党首ピールと衝突し党は分裂,46年以降,ディズレーリとともに停滞期の保守党を指導した。52年,58-59年,66-68年の3回にわたり,議会の安定多数が得られぬまま内閣を組織し,1867年には第2次選挙法改正を実現した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダービー」の意味・わかりやすい解説

ダービー
Darby, Abraham

[生]1678?. ダッドリー近郊
[没]1717.3.8. マデレーコート
コークスを燃料に用いる製鉄法を開発したイギリスの製鉄業者。ブリストルでコークスを用いた銅精錬業に従事したのち,1708年製鉄会社を設立。低硫黄炭の産地に近いセバーン川沿いのコールブルックデールに製造拠点を設けた。1709年コークスを燃料にした高炉により商品価値の高い鉄を生産することに成功。石炭を用いる溶鉱炉よりはるかに大きい炉を建設することにより,コークスの使用がコストと生産性の両面において優れていることを実証した。ダービーの製造した鉄は質が高く,薄い鋳物にも適していたため,真鍮製にひけをとらない,鉄製鍋など底の深い容器の製造も可能になった。1712年にトーマス・ニューコメンが蒸気機関を発明すると,鉄製シリンダの生産という新たな市場を開拓。長男のエブラハム・ダービー(1711~63)に事業継承後の 1758年までに,100個以上のシリンダがコールブルックデールで製造された。1779年,孫のエブラハム・ダービー3世(1750~91)が世界初の鉄橋(コールブルックデール近郊に現存。→アイアンブリッジ峡谷)を完成。1802年にイギリスの技術者で発明家のリチャード・トレビシックが設計した世界初の鉄道用の高圧蒸気機関もコールブルックデールの製鉄所で製造された。(→産業革命

ダービー
Derby

イギリスイングランド中部の都市。単一自治体(ユニタリー unitary authority)。1997年にダービーシャー県から分離して単一自治体となった。ロンドンの北北西約 180km,ペナイン山脈の南端麓にあり,トレント川支流ダーウェント川の下流部に臨む。古代ローマの要塞の近くにできた古い町で,9世紀にここを占領したデーン人が Deorabyと呼んだことに由来。1750年頃から陶磁器の生産が始まり「ダービー焼」で有名。18世紀初めにイタリアから絹紡績が導入されて以来,織物工業が発展,絹のほか,レース,綿織物などの生産が盛んとなった。19世紀に鉄道の要地となってから,鉄道車両製造,機関車修理などの工業が発達。ほかに,航空機エンジン,機械,化学,印刷などの工業がある。16世紀建築の塔をもつ大聖堂,聖ピーター聖堂など由緒ある建築物が多い。哲学者ハーバート・スペンサーの生地。面積 78km2。人口 23万3700(2005推計)。

ダービー
Derby

イギリスで行なわれる競馬クラシック競走の一つ。イギリスの競馬のうち最も賞金が高く,また最大の人気を集めている。1780年に第12代ダービー伯爵らによって創設され,以後第1次・第2次世界大戦中ニューマーケット競馬場で代行されたのを除き,一度も中止されることなく毎年 6月上旬にエプソム・ユーエルのエプソム競馬場で開催されている。距離・負担重量など各種条件はこの間数度にわたり変更され,今日は距離 1.5マイル(約 2400m),負担重量牡馬 9ストン(約 57.2kg),牝馬 8ストン 9ポンド(約 54.9kg)。ダービーに範をとったレースは多くの国で行なわれているが,各種条件は必ずしも同一とはかぎらない。日本では東京優駿(日本ダービー)が,アメリカ合衆国ではケンタッキー・ダービーが開催されている。

ダービー
Darby, John Nelson

[生]1800.11.18. ロンドン
[没]1882.4.29. ボーンマス
イギリスの神学者。アイルランド教会の聖職者であったが,国家からの宗教の独立を主張して,国教会を退き (1827) ,初期キリスト教会の簡素を求めて,同志たちと 1830年頃プリマス兄弟団を結成 (→プリマス・ブレズレン ) 。 47年には兄弟団のなかにダービー派と呼ばれる非開放的なセクトをつくり,その指導者となる。著書多数で,賛美歌集を編んだ。

ダービー
Darby, Abraham III

[生]1750
[没]1791
同名の祖父 (1677~1717) ,父 (11~63) と3代続いたイギリスの製鉄業者。 1779年工場のあったシュロップシャーのコールブルックデールでセバーン川に最初の鉄橋を建設した。

ダービー
Derby

アメリカ合衆国,コネティカット州南西部,ニューヘーブンの西約 10kmにある町。かつては造船や漁業で栄えたが,19世紀中頃に衰微。現在は金属,機械など多様な工業が発達している。人口1万 2199 (1990) 。

ダービー
Derby

オーストラリア,ウェスタンオーストラリア州北東部,フィツロイ川河口の港町。キンバリー高原西部の牧牛業の集散地。近くに灌漑地区があり米作が試みられている。人口 3258 (1986) 。

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百科事典マイペディア 「ダービー」の意味・わかりやすい解説

ダービー

英国の著名な競馬レース。1780年,第12代ダービー伯が創設。毎年6月の第1水曜日にロンドン郊外エプソムEpsom競馬場で行われるサラブレッド明け4歳馬(満3歳馬)の1.5マイル1ヤード(約2415m)の平地競走。このレースでの優勝はイギリス競馬界でも最高の栄誉とされる。競走当日はダービー・デーといって官庁,会社も休みとなり,ダービー・ハットにダービー・タイなどで着飾って見物する。米国のケンタッキー・ダービー(1875年創始。チャーチルダウンズ競馬場で開催)や日本ダービーはこれにならったもの。

ダービー

英国,シュロップシャーのコールブルックデールの製鉄業者一族。1世のアブラハム・ダービー〔1677-1717〕は枯渇し始めていた木炭に代えてコークスによる鉄鉱石製錬に成功。2世アブラハム〔1711-1763〕はコークス製鉄を企業化,英国製鉄業の隆盛を導いた。3世アブラハム〔1750-1791〕も世界最初の鋳鉄橋コールブルックデール橋の架設で知名。
→関連項目産業革命鉄鋼

ダービー

英国の政治家。名門の出身で,襲爵まではスタンリー卿と呼ばれた。初めホイッグ党に属しアイルランド担当相(1830年―1833年),第1次選挙法改正にあずかる。1835年保守党に転じて保護関税政策を主張,1846年党首となり,1852年以降3度組閣,第2次選挙法改正を断行。1869年党首をディズレーリに譲った。その長男15代ダービー〔1826-1893〕も政治家。初め保守党に属し,植民相・外相としてインド支配確立等に活躍。のち自由党,自由統一党に転じ,指導者の一員となる。

ダービー

英国,イングランド中部ダービーシャー州の工業都市。ダーウェント川に臨み,1717年イングランドで最初の絹織物工場が建てられたが,現在では運河,道路,鉄道交通の要地。鉄道車両,自動車,航空機エンジン,陶器,繊維などの工業が行われる。24万8752人(2011)。
→関連項目トレント[川]

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367日誕生日大事典 「ダービー」の解説

ダービー

生年月日:1826年7月21日
イギリスの政治家
1893年没

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世界大百科事典(旧版)内のダービーの言及

【石炭鉱業】より

…しかし,石炭に対する需要が圧倒的に高まり,石炭鉱業が工業国の基幹産業となっていったのは,製鉄業および蒸気機関との結合によってである。18世紀初頭にA.ダービーが発明したコークス製鉄法や同世紀後半のH.コートによるかくはん式精錬法(パドル法)などによって,あらゆる種類の鉄が石炭を燃料として生産されるようになった。18世紀後半以来の産業革命が〈鉄と石炭の革命〉と呼ばれるひとつの理由がここにある。…

【鉄】より

…こうして生きた燃料から化石燃料へ,木炭から石炭への移行が焦眉の急となった。これを解決したのが18世紀初頭,セバーン川上流でコールブルックデール製鉄所を経営したA.ダービー1世であった。彼は1709年に石炭を高炉の燃料とすることに成功し,この事業は息子のA.ダービー2世に受け継がれて軌道に乗った。…

【ディズレーリ】より

…ディズレーリは,彼の代表的な政治小説《コニングズビー》(1844)を著してピールを非難・攻撃する一方,党内に〈青年イングランド党〉という小会派をおこした。そしてこの対立は,46年の穀物法廃止の実現を契機に保守党を分裂に追い込み,以後ディズレーリは,ピール派が脱党して弱体化した保守党をE.G.S.S.ダービーとともに指導することとなった。だが,46年から60年代にかけての時期は,イギリス自由主義の黄金時代として知られる時代であり,保守党にはほとんど利がなかった。…

【エプソム】より

…競馬の方は,ジェームズ1世時代に始められ,1730年ころから恒例となった。現在は,町の南部にあるエプソム・ダウンズの競馬場で,6月第1水曜日に開催されるダービー競馬,また同一週の土曜日にあるオークス競馬が世界的に知られる。ジュース類の生産や土曜市も行われている。…

【競馬】より

…これがマッチレースに代わりしだいに競馬の本流を占めるようになった。そしてこのスイープ・ステークスの代表としてセントレジャー(1776,ドンカスター競馬場),オークス(1779,エプソム競馬場),ダービー(1780,エプソム競馬場)の各レースが創設された。セントレジャーはアンソニー・セントレジャー中将,ダービーは第12代ダービー卿エドワード・スミス・スタンリーとそれぞれ創始者の名をとり,オークスは創始者ダービー卿の別荘地の名から名付けられた。…

※「ダービー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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