チェンバレン(Arthur Neville Chamberlain)(読み)ちぇんばれん(英語表記)Arthur Neville Chamberlain

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

チェンバレン(Arthur Neville Chamberlain)
ちぇんばれん
Arthur Neville Chamberlain
(1869―1940)

イギリスの政治家。ジョゼフ・チェンバレンの子(オーステンの異母弟)としてバーミンガムで生まれる。1890年からバハマ諸島に父が所有する農場アサの栽培を試みたが失敗し、バーミンガムに戻って実業界に入った。市の行政にも関与したのち、1918年保守党下院議員となり、郵政相(1922)、保健相(1923、1924~1929、1931)、蔵相(1923~1924)を歴任した。この間、保健相としての住宅建設促進で名をあげた。1931年から1937年にかけてはふたたび蔵相を務め、マクドナルド、ボールドウィン両政府の第一の実力者として保護関税の採用などを行った。この時期から、対外拡張政策をとるドイツ、イタリア、日本に対する「宥和(ゆうわ)政策」を主張していたが、1937年に首相に就任後、それをさらに積極的に推進した。しかし第二次世界大戦の開始を防ぎえず、1940年5月、保守党内部からも不信を買って首相辞任に追い込まれた。

[木畑洋一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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