世界大百科事典(旧版)内のチトラセーナ・マヘンドラバルマン王の言及
【真臘】より
…6世紀にメコン川中流域に興ったクメール族(カンボジア人)の国の中国名。《隋書》巻八十二に初出するが,国名の由来は不明である。真臘はかつて扶南(ふなん)の属国であったが,しだいに強盛となり,7世紀に扶南を併合した。王統は隠者カンブと仙女メラーを始祖とすると伝えられる。史料上からは598年にバババルマン1世が在位し,《隋書》に載る質多斯那(チトラセーナ・マヘンドラバルマン)王が600年ころ登位したことが知られている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」