チャハル(英語表記)Chakhar

  • ちゃはる / 察哈爾

世界大百科事典 第2版の解説

中国,明代のモンゴルの直轄部で,挿漢とも呼んだ。嘉靖年間(1522‐66)トゥメット部の圧迫を受けて遼東の辺外の地に移り,遊牧生活を送っていたので,モンゴル語で辺域を意味するチャハルと呼ばれるようになったという。清に下り,一時遼寧省義県(錦州北方)付近に配置されたが,のち大同,宣化の辺外(長城線外)に配置され8に編成された。現在は内モンゴル自治区の一部となっている。【河野 通博】

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

内モンゴルの部名。15世紀にダヤン・ハンが内モンゴルを統一して、左右両翼6万戸(1万戸が一部)に分け、子弟を分封した際、左翼3万戸の一つとして設けられたのが始まりである。その死後チャハル部のハンが内モンゴル全部のハンとして君臨したが、16世紀中ごろ右翼のアルタン・ハンらの圧迫を避けて本拠をチャハルから興安嶺(こうあんれい/シンアンリン)の東に移した。リンダン・ハン(在位1603~34)のとき、右翼のハラチン部を滅ぼし、トゥメト、オルドス両部を従えて内モンゴルを統一したが、清(しん)の圧力を受けて興安嶺の西に移動、1635年清に滅ぼされた。清はその子孫を張家口(ちょうかこう)の北に移し、チャハル部の名を残したが、74年三藩(さんぱん)の乱のときチャハル部が反乱を企てたので、討伐されて自治権を失い、清直轄のチャハル八旗となった。中華民国成立後の1914年その地にチャハル特別区を置き、28年省に改められ、52年内モンゴル自治区に編入された。[若松 寛]

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