チャンドラグプタ2世(読み)チャンドラグプタにせい(英語表記)Chandragupta II

改訂新版 世界大百科事典 「チャンドラグプタ2世」の意味・わかりやすい解説

チャンドラグプタ[2世]
Chandragupta Ⅱ

インドのグプタ朝第3代王。在位376ころ-414年ころ。生没年不詳。ビクラマーディティヤVikramāditya(超日王)の名でも知られる。父王サムドラグプタの征服事業を継承,西方のマールワー,グジャラート,カティアーワール半島に進出し,ウッジャインサカシャカ勢力を平定した。さらに南はデカン地方のバーカータカ朝ルドラセーナ2世Rudrasena Ⅱに,ナーガ国出身の妃との間の娘プラバーバティーPrabhāvatīを嫁がせて,その勢力を配下におさめるなど幅広い外交活動を行った。また,文芸,絵画,建築,彫刻など諸芸を厚く保護してグプタ文化の最盛期を現出した。当時西アジア世界との交易で栄えていた西部インドの掌握が,上記文化の開花の背景にあったと考えられている。詩聖カーリダーサが豊かな創作活動を展開し,中国僧法顕が来訪して王朝下の繁栄を記録にとどめたのもこの王の治世である。王は先の王と同じくヒンドゥー教徒で,とくにビシュヌ神の信奉者であったが,仏教やジャイナ教にも寛容な政策をとった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャンドラグプタ2世」の意味・わかりやすい解説

チャンドラグプタ2世
チャンドラグプタにせい
Chandragupta II

インド,グプタ朝第3代の王 (在位 385頃~413頃) 。別名ビクラマーディティヤ Vikramāditya。漢訳名は超日王。チャンドラグプタ1世の孫。父のサムドラグプタが強大な軍事力をもって北インドの大部分を征服し,グプタ帝国を築いたあとをうけて,西方のサカ王国を攻め,ウッジャイニー (現ウジャイン) をも支配し,またバーカータカ朝に娘をとつがせ,デカンに勢力を及ぼした。その治世にグプタ朝の権勢栄光絶頂に達し,サンスクリット文学の黄金時代を現出した。文芸を保護し,詩人カーリダーサはこの時代に活躍した。法顕の渡印もこの時代である。

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世界大百科事典(旧版)内のチャンドラグプタ2世の言及

【グプタ朝】より

…クシャーナ朝滅亡後の北インドの分裂状態のなかで,マガダ地方の小地域の支配者から興起した。
【歴史】
 初代チャンドラグプタ1世は,マウリヤ朝の創始者と同じ名をもち,同じくパータリプトラ(現,パトナ)に都し,バイシャーリーVaiśālīの名族リッチャビ族の娘と結婚して,その威信を高めて,ビハールとウッタル・プラデーシュの諸国を征略して,ガンガー(ガンジス川)中流域の覇権を握った。319∥320年にあたる〈グプタ紀元〉元年は,王が即位した年であろう。…

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