ティエポロ(英語表記)Giambattista Tiepolo

精選版 日本国語大辞典 「ティエポロ」の意味・読み・例文・類語

ティエポロ

(Giovanni Battista Tiepolo ジョバンニ=バッチスタ━) イタリアの画家。一八世紀ベネチア派の代表的装飾画家。光の効果と前景人物の処理にすぐれ、ヨーロッパ各地で壁画を描く。(一六九六‐一七七〇

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デジタル大辞泉 「ティエポロ」の意味・読み・例文・類語

ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)

[1696~1770]イタリアの画家。ベネチア派。華やかな色彩による装飾的、幻想的な天井画・壁画を多く残した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ティエポロ」の意味・わかりやすい解説

ティエポロ
Giambattista Tiepolo
生没年:1696-1770

イタリアの画家。ベネチア派最後の大装飾画家で18世紀イタリアのロココ文化を代表する。ベネチアの裕福な船荷商人の家に生まれ,ラッザリーニG.Lazzariniのもとで修業した後,1717年,21歳で画家組合に登録される。19年画家グアルディの姉と結婚。初期にはS.リッチやピアツェッタの影響(流暢で軽快な絵画的フォルムや大胆な遠近法構図)を受け,またベロネーゼの明朗な色彩空間を取り入れて自己の画風を形成。25年のサンディ邸の天井画の後,26-28年のウディネの大司教館の装飾(旧約聖書の諸場面)において画風と名声を確立し,これ以後,ベネチアをはじめ北イタリア諸都市の邸宅や教会のために大規模な壁画装飾の注文を次々と受ける。ミラノのアルキント邸(《諸芸術の栄光》1731),カザーティ・ドゥニャーニ邸(《スキピオ伝》1731),ベルガモのコレオーニ礼拝堂(《バプテスマのヨハネ伝》1732-33),ビチェンツァのロスキ荘(《諸徳目の寓意》1734),ベネチアのジェズアーティ教会(《ドミニクスの栄光》1737-39),ラビア邸(《アントニウスクレオパトラ》1747-50)等。ティエポロの画風の特徴は,ピアツェッタ風の褐色明暗調を完全に脱した輝くばかりに明澄な色彩,晴朗な青空をバックにした目もくらむような大胆な遠近法的空間設定と短縮法ポーズを駆使した奔放,雄弁な人物構図,名人芸的なすばやいデッサンと明るい色面の組合せによる非実体的なボリューム表現,主題の明朗,典雅で親密な世俗的解釈などにあるが,その装飾性豊かなロココ的様式は生涯ほとんど変化しない。50-53年ドイツのビュルツブルクに招かれ,ノイマン設計の新司教館のために質量ともに画歴の頂点をなす作品群を制作する(〈皇帝の広間〉天井の《皇帝フリードリヒ赤髭王の生涯》他)。このとき2人の息子ジャンドメニコGiandomenico Tiepolo(1727-1804)とロレンツォLorenzo T.(1736-76)を助手として使う。とくに前者は後に画家として一家をなした。帰国後,56年に新設の画家アカデミーの初代会長に就任,またベネチアのピエタ教会やレッツォニコ邸,ビチェンツァ近郊のバルマラーナ荘などで,よく組織された工房を用いて旺盛な制作を続ける。61年,スペイン国王カルロス3世の招きで2人の息子とともにマドリード出発,62-66年新王宮のために三つの大天井装飾(《スペインの栄光》他)を完成した。マドリードで客死。他に膨大な素描(約1500点)や銅版画,モデロ(見本画)を残す。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティエポロ」の意味・わかりやすい解説

ティエポロ
てぃえぽろ
Giovanni Battista Tiepolo
(1696―1770)

イタリア、ベネチア派の画家。4月16日ベネチアで受洗(正確な誕生日は不明だが3月5日ごろ)。18世紀最大の装飾画家の1人であると同時に、ジョット以来のイタリア絵画の最後を飾る巨匠でもあった。海商の子として生まれ、初めラッザリーニGregorio Lazzariniのもとで修業するが、セバスチアーノ・リッチやピアツェッタ、とくに16世紀のベロネーゼから多くを学んだ。最初の確かな作品が『イサクの犠牲』(1715~16。ベネチア、オスペダレット)であり、1717年画家組合に登録、19年フランチェスコ・グァルディの姉チェチリアと結婚する。ベネチアのほか、ウディネ(1726)、ミラノ(1731)、ベルガモ(1731~32)など北イタリアの諸都市で活躍、初期の暗い色調を一掃し、明るく色彩豊かな画風を確立する。ベネチアのパラッツォ・ラビアの壁画『クレオパトラ物語』(1747~50)ではみごとな視覚的イリュージョンの世界をつくりあげ、このころから絶頂期に入る。50年にはドイツのウュルツブルク宮に招かれ、建築と一体となった壮大な天井画『世界の四大陸』などを制作した。55年ベネチアのアカデミアの院長に就任。ビチェンツァのビッラ・バルマラーナの壁画やストラのビッラ・ピサーニの天井画を完成させたのち、62年スペインのカルロス3世の招きで息子とともにマドリードに赴く。王宮の玉座の間の天井画制作がおもな仕事であったが、アランフェスのサン・パスクアレ聖堂にも7点の祭壇画を描いた(ただしこの祭壇画はやがてメングスの作品に取り替えられてしまう)。神話や聖書の物語を題材にした軽快な筆致のフレスコ画でとくに有名であるが、油彩画も多数制作しており、また『気まぐれ』などのエッチングの連作も残している。近代画家の先駆者であるゴヤがティエポロの壁画やエッチングから多くの影響を受けたことは特筆されてよい。1770年3月27日マドリードで没した。なお、息子のドメニコGiovanni Domenico Tiepolo(1727―1804)も画家で、1745年ごろから父の助手として働いているが、父に忠実な画風なため判別がむずかしい。版画家としても『エジプトへの避難』(1753)の連作などを残している。

[篠塚二三男]

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百科事典マイペディア 「ティエポロ」の意味・わかりやすい解説

ティエポロ

イタリアの画家。ベネチア生れ。ラッザリーニに学び,ピアツェッタベロネーゼの影響を受けて,ルネサンス時代から続いたベネチア派の最後を飾る大家となった。ドイツやスペインのマドリード等でも活動。作品は,神話,宗教,伝説に題材を求めた装飾性豊かな大作が多く,遠近法の効果を強調した空間構成,華麗な色彩,躍動感を特色とする。代表作に連作《クレオパトラの物語》(1745年―1750年),ベネチアのパラッツォ・ラビアの壁画装飾,ドイツのビュルツブルクの司教館の壁画・天井画装飾(1751年―1753年),マドリードの王宮やアランフエス離宮の装飾などがある。
→関連項目ビュルツブルク司教館フラゴナールロココ美術ロンギ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティエポロ」の意味・わかりやすい解説

ティエポロ
Tiepolo, Giovanni Battista

[生]1696.3.5. ベネチア
[没]1770.3.27. マドリード
イタリアの画家。 S.リッチ,P.ベロネーゼの影響下で自己の画風を確立し,18世紀最大のフレスコ画家としてベネチア派に最後の繁栄をもたらした。 1717年画家組合に入り,50年まで主としてベネチアで活躍。スカルツィ聖堂礼拝堂の天井画 (1743~44) やフレスコ『アントニウスとクレオパトラ』 (45~50,パラッツォ・ラビア) などで円熟期に達する。 50~53年,皇太子司教に招かれてウュルツブルクに滞在,ドイツ皇帝フリードリヒ1世の生涯そのほかのフレスコおよび祭壇画を制作。 55年帰郷しベネチア・アカデミア初代会長に就任。 61年カルロス3世に招かれてスペインにおもむき,2人の息子とともにマドリードの王宮にフレスコの連作を描く。当地で不遇の晩年を過したが,その作品は2世代後のゴヤに大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のティエポロの言及

【ピラネージ】より

…44年ベネチアに帰郷。G.B.ティエポロから影響を受けて,従来の固い定形化した描写から脱し,豊かな絵画的描線と自在なイメージを獲得する。あわせてビビエーナらのバロック的舞台空間の刺激もあって,大判の,壮大な《牢獄》シリーズのイメージには画風の変化が認められる。…

【ベネチア派】より

… ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。フィレンツェ派の素描(ディセーニョdisegno)に対するベネチア派の彩色(コロリートcolorito)と言われるように,古くはゴシックのパオロ・ベネツィアーノPaolo Venezianoから下ってはロココのティエポロに至るまで,一貫して形体,線,彫刻的ボリュームより色彩,光のトーン,絵画的マッスあるいは筆触に価値を置いた。その結果,前者より半世紀遅れて発展したにもかかわらず,ジョバンニ・ベリーニの様式変化に象徴されるような急速な成熟を遂げて,近代的な開かれた絵画的様式と概念にいち早く到達する。…

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