改訂新版 世界大百科事典 「ティッセン」の意味・わかりやすい解説
ティッセン
Thyssen AG
ドイツ最大の鉄鋼一貫メーカー。本社デュースブルク。鉄鋼のほか特殊鋼,機械,販売・サービスなどに多角化し,また,これらの事業はドイツ国内および海外にある200社近い関係会社で分担する形態をとっており,ティッセン・グループを構成している。
1871年ルール地方のミュールハイムにティッセン合資会社として設立され,1926年の鉄鋼会社の大合同による合同製鋼Vereingte Stahlwerke AGの成立とともにその傘下に入った。第2次大戦後の47年に合同製鋼は解体されたが,53年に再びアウグスト・ティッセン・ヒュッテ社(ATH)として再発足,その後解体された多数の小工場を集約化するとともに,ドイツ特殊鋼,フェニックスライン鋼管,ハンデルスユニオン(商社)を買収し,品種構成や販売ルートを拡充した。68年にはオーバーハウゼン製鉄所,73年にはラインシュタール・グループの買収により国内粗鋼生産のシェアは30%台に上昇した。一方,1969年には鋼管部門をマンネスマン社に移譲し,鋼板・条鋼分野に特化した。70年代になると国際的な多角化に乗り出し,74年にフランスのエレベーター会社,78年にはアメリカの自動車部品メーカー,バッド社を買収し,グループを拡充した。77年現社名に改称。
ティッセンの鉄鋼部門はヨーロッパで最も整備された力をもつといわれる。その理由は,(1)高炉,転炉の大規模化が進んでいて,労働生産性が高い,(2)設備近代化投資が比較的早く,1973年の第1次石油危機前に手掛けられていたので財務面の負担が少ない,(3)品種構成が薄板類,なかでも冷延鋼板やパイプ用鋼板へのシフトが進み,かつ特殊鋼の拡充など高級化している点にある。ティッセンの多角化の特色は,装置産業(鉄鋼)から労働集約的な分野(機械,自動車部品,エンジニアリング等)への進出によって高付加価値化を目指している点にある。売上高81億1600万マルク(1994年9月期)。98年ドイツ鉄鋼大手のクルップ社と合併,ティッセン・クルップ社となった。
執筆者:下田 雅昭
ティッセン
Fritz Thyssen
生没年:1873-1951
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報