ティミショアラ(英語表記)Timişoara

デジタル大辞泉 「ティミショアラ」の意味・読み・例文・類語

ティミショアラ(Timişoara)

ルーマニア西部の都市。ハンガリーセルビアとの国境近くに位置する。18世紀以降、オーストリアハンガリー帝国の支配の下、商工業が発展した。旧市街にはベガ運河が流れ、15世紀以降の商家に囲まれた統一広場、オスマン帝国の襲撃に備えて建てられたフニャディ城、20世紀建造のティミショアラ正教大聖堂などがある。1989年、チャウシェスク政権に対する最初の抗議運動が起きた地として知られる。チミショアラ。

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改訂新版 世界大百科事典 「ティミショアラ」の意味・わかりやすい解説

ティミショアラ
Timişoara

ルーマニア南西部,バナト地方の中心都市。ハンガリー語ではテメシュバールTemesvár。ティミシュTimiş県の県都。人口30万3908(2005)。肥沃なティミシュ平野に位置し,西方のセルビアとの国境まで約30kmの地点にある。鉄道,自動車道路の要地で,市中にはベガ運河が流れている。気候は大陸性気候に属するとはいえ,ルーマニアの他の諸地方にくらべ温暖である。月平均の最高気温(7月)は21.6℃,最低気温(1月)は-1.2℃。現在,住民の大多数はルーマニア人であるが,この地方の歴史を反映してハンガリー人,ドイツ人(シュワーベン人とよばれている),セルビア人などもいる。第2次世界大戦後ルーマニア西部の最大の工業中心地として発達し,機械,電気・電子関係機器,化学,繊維,製靴,食料品工業の諸分野で国内生産の重要部分を占めている。またブカレスト,ヤシ,クルジュにつぐ総合大学があって,教育・文化の中心地でもある。

 歴史的には,バルカンと中欧とを結ぶ地帯に位置しているため,いくたびか支配者が交替した。ティミショアラの名が初めて史料に現れるのは1212年であるが(ラテン語でCastrum Temesiense),その後もハンガリー領テメシュTemes県の要塞都市として発展した。とくにバルカン半島におけるオスマン帝国の脅威が強まるとこの地の軍事的重要性が高まり,オスマン軍との戦いで勇名をはせたトランシルバニア総督フニャディヤーノシュも市の防備を固めた。他方,オスマン帝国との決戦を前にして,1514年ハンガリーに農民戦争が起こり,ドージャの率いる農民軍が市を攻撃したが敗北し,ドージャはここで処刑された(ドージャの乱)。モハーチの戦(1526)の敗北後,1552年抵抗の末オスマン軍によって占領され,以後ティミショアラ・パシャ領としてオスマン帝国に属した。1716年サボイ公オイゲンの率いるオーストリア軍によってオスマン帝国の支配から解放された。その後51年までは国境軍事地帯に含まれるが,81年には国王の自由市となり,経済的に新たな発展をとげた。オーストリアの植民政策によりおもにシュワーベンから多数のドイツ人が入植したのもこの時期である。1848-49年のハンガリー革命では,名将ベムBem József(1794-1850)の率いる革命軍の最後激戦地として知られている。市の要塞施設は92年に取り払われた。19世紀後半からはこの地の労働運動がさかんになり,またとくにルーマニア人の民族運動も強まった。第1次世界大戦後ルーマニア領となり,現在にいたっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティミショアラ」の意味・わかりやすい解説

ティミショアラ
Timişoara

ルーマニア西部,ティミシュ県 (面積 8692km2。人口 67万 7744〈2002推計〉) の県都。ハンガリーおよびセルビアとの国境に近く,ハンガリー平原の南東部に位置し,ベガ運河が市内を貫流する。 14世紀初期に城塞が築かれ,1552~1716年トルコ領,1718年ハプスブルク家の領有となり,1920年ルーマニア領となった。住民はルーマニア人のほか,ハンガリー人,セルビア人,ドイツ人などが多い。第2次世界大戦後,南西部の商工業の中心地として急激に発展し,機械,電機,化学,繊維,製材,食品の工場が立地した。首都ブカレストとセルビアのベオグラードを結ぶ国際鉄道幹線の要地でもある。 1945年創立の総合大学,医科,工科,農科の単科大学,国立劇場,歌劇場のほか,15世紀に建設され,のち復元されたフニャディ家の城跡,18世紀のカトリック聖堂などがある。 1989年この地で起こったハンガリー系住民の虐殺に対し抗議デモが発生,拡大して全国規模の革命に発展,ニコラエ・チャウシェスクの独裁体制が崩壊した。人口 33万 4098 (1997推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティミショアラ」の意味・わかりやすい解説

ティミショアラ
てぃみしょあら
Timişoara

ルーマニア西部、ティミシュ県の県都。運河化されたベガ川沿いに市街が発達し、セルビアとの国境に近い。人口31万7660(2002)。13世紀以来、バナート地方の経済、軍事、交通、文化の中心地であり、大学、天文台、劇場、交響楽団などがある。農業機械、自動車、電気機械、薬品、印刷などの工業が発達している。古い城壁や、18世紀のバロック様式のカトリック大聖堂などがある。1989年、チャウシェスク社会主義政権崩壊への動きが始まった都市で、ハンガリー人も多い。

[佐々田誠之助]

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百科事典マイペディア 「ティミショアラ」の意味・わかりやすい解説

ティミショアラ

ルーマニア西部,バナト地方の中心都市。ベガ運河でドナウ川に通じ,鉄道,道路交通の要地。電気・電子機器・繊維・化学・皮革・食品工業が行われる工業の中心地。教育・文化活動も活発。起源は古代ローマの植民市で,第1次大戦後ルーマニア領。1989年のチャウシェスク独裁体制崩壊は,この地の少数民族であるハンガリー人の牧師にかかわる反政府デモがきっかけ。31万9000人(2011)。

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