ディエゴ マラドーナ(英語表記)Diego Maradona

現代外国人名録2012の解説

ディエゴ マラドーナ
Diego Maradona


国籍
アルゼンチン

専門
サッカー監督(アルワスル);元・サッカー選手

肩書
サッカー・アルゼンチン代表監督

本名
Diego Armando〉 ディエゴ・アルマンド〈Maradona マラドーナ

生年月日
1960/10/30

出生地
アルゼンチン ブエノスアイレス郊外ラヌース

経歴
3歳でサッカーを始め、9歳でアルヘンチノス・ジュニアーズの少年チームにスカウトされ本格的に開始。15歳でプロデビューし、翌年にはアルゼンチン代表となった。その左足で魔術のようにボールを扱う天才プレーヤーで、“すべてのボールはマラドーナに渡り、マラドーナから始まる”と評されたほど。1981年ボカ・ジュニアーズを経て、’82年770万ドルでスペインのFCバルセロナへ。’84年には870万ドルでイタリア・セリエAのナポリへ移籍。2度のリーグ優勝など、数々のタイトル獲得に導き、当時付けていた背番号10はナポリの永久欠番になった。この間、’79年に日本で開かれた世界ユース選手権で優勝しMVPを獲得。W杯へは4度(’82年,’86年,’90年,’94年)出場。’86年のW杯メキシコ大会は“マラドーナのための大会”と言われたほどで、準々決勝では“神の手”ゴールや60メートル5人抜きドリブルで得点するなどアルゼンチン優勝の立役者に。名実ともに世界No.1選手となったが、’91年3月コカインの服用が判明し、4月麻薬所持現行犯で逮捕。’92年6月出場停止処分が解除され、9月スペインのセビリアで1年6ケ月ぶりに現役復帰を果たす。’93年9月ロサリオのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍。10月アルゼンチン代表に復帰。’94年6月W杯米国大会対ナイジェリア戦でW杯通算21試合目の出場となり歴代最多記録に並ぶが、ドーピング検査で5種類の薬物使用が発覚、W杯から追放され、8月国際サッカー連盟(FIFA)により15ケ月間の出場停止処分を受けた。’95年7月ボカ・ジュニアーズと契約、10月ピッチに復帰。’96年8月退団を表明、麻薬中毒の更生施設に入る。’97年再びボカ・ジュニアーズと1年契約、通算5度目の復帰となる。同年6月ドーピングで陸上界を追放されたベン・ジョンソンを専属トレーナーに任命するが、10月には引退を表明した。2000年10月アルゼンチン1部リーグに昇格したばかりのアトレティコ・アルマグロ監督に就任。2004年高血圧と拡張型心筋症で一時重体に陥るが、一命を取りとめた。その後、胃袋を縮小する手術を受け、減量にも成功。2008年11月アルゼンチン代表監督に就任。感情を前面に出してチームを鼓舞し、W杯南アフリカ大会は南米予選を苦しみながらも突破。2010年の本大会では攻撃的サッカーでベスト8進出を果たしたものの、準々決勝でドイツに0-4で惨敗し、大会後退任。2011年5月UAEのアルワサル監督に就任。1979年世界ユース選手権、’82年ボカ・ジュニアーズ対日本代表戦で来日。’91年コカイン服用で逮捕されて以降は来日が認められなかったが、2002年W杯日韓共催大会の際に例外的に入国が許可され来日した。

受賞
欧州最優秀選手賞名誉バロンドール〔1995年〕;FIFA20世紀最優秀選手〔2000年〕

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2012」(2012年刊)現代外国人名録2012について 情報

最新 世界スポーツ人名事典の解説

ディエゴ マラドーナ
Diego Maradona
サッカー

元・サッカー・アルゼンチン代表監督
生年月日:1960年10月30日
国籍:アルゼンチン
出生地:ブエノスアイレス郊外ラヌース
別名等:本名=Diego Armando Maradona
受賞歴:欧州最優秀選手賞名誉バロンドール〔1995年〕;FIFA20世紀最優秀選手〔2000年〕
経歴:3歳でサッカーを始め、9歳でアルヘンチノス・ジュニアーズの少年チームにスカウトされ本格的に開始。15歳でプロデビューし、翌年にはアルゼンチン代表となった。その左足で魔術のようにボールを扱う天才プレーヤーで、“すべてのボールはマラドーナに渡り、マラドーナから始まる”と評されたほど。1981年ボカ・ジュニアーズを経て、’82年770万ドルでスペインのFCバルセロナへ。’84年には870万ドルでイタリア・セリエAのナポリへ移籍。2度のリーグ優勝など、数々のタイトル獲得に導き、当時付けていた背番号10はナポリの永久欠番になった。この間、’79年に日本で開かれた世界ユース選手権で優勝しMVPを獲得。W杯へは4度(’82年,’86年,’90年,’94年)出場。’86年のW杯メキシコ大会は“マラドーナのための大会”と言われたほどで、準々決勝では“神の手”ゴールや60メートル5人抜きドリブルで得点するなどアルゼンチン優勝の立役者に。名実ともに世界No.1選手となったが、’91年3月コカインの服用が判明し、4月麻薬所持現行犯で逮捕。’92年6月出場停止処分が解除され、9月スペインのセビリアで1年6ケ月ぶりに現役復帰を果たす。’93年9月ロサリオのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍。10月アルゼンチン代表に復帰。’94年6月W杯米国大会対ナイジェリア戦でW杯通算21試合目の出場となり歴代最多記録に並ぶが、ドーピング検査で5種類の薬物使用が発覚、W杯から追放され、8月国際サッカー連盟(FIFA)により15ケ月間の出場停止処分を受けた。’95年7月ボカ・ジュニアーズと契約、10月ピッチに復帰。’96年8月退団を表明、麻薬中毒の更生施設に入る。’97年再びボカ・ジュニアーズと1年契約、通算5度目の復帰となる。同年6月ドーピングで陸上界を追放されたベン・ジョンソンを専属トレーナーに任命するが、10月には引退を表明した。2000年10月アルゼンチン1部リーグに昇格したばかりのアトレティコ・アルマグロ監督に就任。2004年高血圧と拡張型心筋症で一時重体に陥るが、一命を取りとめた。その後、胃袋を縮小する手術を受け、減量にも成功。2008年11月アルゼンチン代表監督に就任。感情を前面に出してチームを鼓舞し、W杯南アフリカ大会は南米予選を苦しみながらも突破。2010年の本大会では攻撃的サッカーでベスト8進出を果たしたものの、準々決勝でドイツに0-4で惨敗し、大会後退任。2011年5月UAEのアルワサル監督に就任。2012年7月解任。1979年世界ユース選手権、’82年ボカ・ジュニアーズ対日本代表戦で来日。’91年コカイン服用で逮捕されて以降は来日が認められなかったが、2002年W杯日韓共催大会の際に例外的に入国が許可され来日した。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

ディエゴ マラドーナ

生年月日:1960年10月30日
アルゼンチンの元・サッカー選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

寒暖差アレルギー

寒暖の差により鼻の奥の毛細血管が詰まり、鼻の粘膜が腫れることで起きる鼻炎。医学的には血管運動性鼻炎の一種とされる。多くの場合秋から冬にかけて1日の寒暖差が大きい時期や冷房による急な温度変化などにより起...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ディエゴ マラドーナの関連情報