ディートリヒ(英語表記)Marlene Dietrich

デジタル大辞泉 「ディートリヒ」の意味・読み・例文・類語

ディートリヒ(Marlene Dietrich)

[1901~1992]米国の映画女優。ドイツ生まれ。ドイツ映画嘆きの天使」で一躍注目され、米国映画界入り。退廃的な雰囲気で人気を博した。歌手としても活躍。出演作「モロッコ」「情婦」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ディートリヒ」の意味・読み・例文・類語

ディートリヒ

(Marlene Dietrich マレーネ━) 米国の映画女優。ドイツ生まれ。ドイツ映画「嘆きの天使」の主役に抜擢されて注目され、「モロッコ」「間諜X27」「上海特急」などに主演。「リリー・マルレーン」などの歌で、歌手としても活躍。(一九〇四‐九二

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改訂新版 世界大百科事典 「ディートリヒ」の意味・わかりやすい解説

ディートリヒ
Marlene Dietrich
生没年:1904-92

ドイツおよびアメリカの映画女優。ベルリンに生まれ,父も母の再婚による養父もプロイセン軍の将校で,〈感情を隠すことが家庭でのしつけのすべて〉として育てられた。そのような身についた感情の欠如と無表情が,のちに映画監督ジョゼフ・フォン・スタンバーグの目をとらえることになる。はじめマックスラインハルトの演劇学校で学び,ドイツの雑誌でグレタ・ガルボと比較される人気女優になっていた1929年,スタンバーグに認められて《嘆きの天使》(1930)のローラ・ローラの役に抜擢(ばつてき)され,〈脚線美〉と〈退廃的な美貌〉で全世界の話題をさらった。パラマウントと契約してアメリカへ渡り,MGMのガルボのライバルとして売り出され,《モロッコ》(1930),《間諜X27》(1931),《上海特急》《ブロンド・ビーナス》(ともに1932),《恋のページェント》(1934),《西班牙(スペイン)狂想曲》(1935)と6本のスタンバーグ監督作品に出演した。スタンバーグは彼女を〈光と影〉の造形で〈美の化身〉に仕立てあげる。2人の〈協力関係〉は,人気の衰えとスタンバーグの離婚をめぐるスキャンダルのため35年に解消された。

 ディートリヒはイギリスで《鎧なき騎士》(1937)に出演,駐英ドイツ大使リッベントロップを通じて,ドイツへ帰ってナチスのスターになるようヒトラーの要請を受けたが拒否し,39年にはアメリカ市民となった。西部劇《砂塵》(1939)で酒場女を演じ,スタンバーグ監督と別れてからもなお人気スターであることを証明したが,その後ヒット作はほとんどなく,〈box-office poison映画興行の“癌”)〉と呼ばれた。第2次世界大戦の間はアメリカ将兵を慰問してまわり,またドイツ語で反ナチスの宣伝放送をし,〈自由勲章〉を贈られ,フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章を贈られた。一時,ジャン・ギャバンと結婚(2人で共演したフランス映画《狂恋》(1945)がある),50年代に女優としての人気が衰えてからは,世界各地で特徴あるハスキーな声のエンタテイナーとして活躍した。アメリカ女性の流行になったスラックスは,ディートリヒが全盛期に先鞭をつけたものといわれる。著書に《マルレーネ・ディートリヒのABC》(1961)および自伝《マルレーネ・D》(1979年にドイツとアメリカで同時出版された)があり,《嘆きの天使》の主題歌《また恋してしまったのよ》や《花はどこへ行った》など数々のヒット曲を含むレコードも多数。
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ディートリヒ(ニームの)
Dietrich von Niem
生没年:1340ころ-1418

ドイツ西部,ウェストファーレンのニームNiem(またはニーハイムNieheim)で市民の家に生まれ,パーダーボルンで下級聖職者となったが,1376年ローマに出て法学を学んだ後,ローマとアビニョンの教皇庁に仕え書記官となる。95年フェルデンVerden司教に任命されるが,4年後退任して教皇庁に帰り,グレゴリウス12世の教皇就任以後,教会大分裂(シスマ)を終結させるために顕著な役割を演じた。公会議首位説に立つ彼の著作は当時の時代状況を知るうえで非常に貴重な史料である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディートリヒ」の意味・わかりやすい解説

ディートリヒ
でぃーとりひ
Marlene Dietrich
(1901―1992)

アメリカの女優、歌手。ベルリンの中流貴族の家柄の出身で、演劇と音楽を学んだのち、1923年から映画と舞台に出演。1930年、ハリウッドのスタンバーグ監督のドイツ映画『嘆きの天使』のローラ役に抜擢(ばってき)され、同年アメリカ映画界入りをし、スタンバーグ監督とのコンビで1935年までに『モロッコ』『間諜(かんちょう)X27』『上海(シャンハイ)特急』『ブロンド・ヴィナス』『恋のページェント』『西班牙(スペイン)狂想曲』の6本に主演。「100万ドルの脚(あし)」と退廃美で一時代を築き、G・ガルボとしばしば対比された。ナチスを嫌って1939年にはアメリカに帰化し、第二次世界大戦中はヨーロッパの前線で兵士の慰問に活躍した。『リリー・マルレーン』をはじめとする持ち歌で、1953年以降はエンターテイナーとしても活躍、1970年(昭和45)の大阪万国博覧会で初来日した。その他の映画出演に『砂漠の花園』(1936)、『鎧(よろい)なき騎士』(1937)、『狂恋』(1946)、『情婦』(1958)など。

[畑 暉男]

『高橋英一著『愛しのマレーネ・ディートリッヒ』(1984・文化出版局)』

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百科事典マイペディア 「ディートリヒ」の意味・わかりやすい解説

ディートリヒ

ドイツ出身の米国の映画女優,歌手。ベルリンに生まれ,舞台・映画で活躍,《嘆きの天使》(1930年)で認められ,監督J.v.スタンバーグとともに渡米。以後《モロッコ》(1930年)等で脚線美,ハスキーな声が人気を呼んだ。第2次世界大戦中アメリカ兵の慰問や反ナチスの宣伝放送にたずさわり,戦後はおもに歌手として世界各地のステージで活躍した。著書に《マルレーネ・ディートリヒのABC》(1961年),自伝《マルレーネ・D》がある。
→関連項目クーパースーパーインポーズヤニングス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディートリヒ」の意味・わかりやすい解説

ディートリヒ
Dietrich, Marlene

[生]1904.12.27. ベルリン
[没]1992.5.6. パリ
ドイツ出身の映画女優。本名 Maria Magdalene von Losch。マックス・ラインハルト演劇学校に学び,レビュー,オペレッタ,映画に出演していたが,J.スターンバーグに見出されて『嘆きの天使』 (1930) の主役に抜擢され,その脚線美と退廃的な美貌で世界的な人気を博した。その年アメリカに渡り,『モロッコ』 (30) ,『間諜 X27』 (31) など,スターンバーグの作品で主役を演じ,アメリカ映画史上に一時代を築いた。

ディートリヒ
Dittrich, Rudolf

[生]1861.4.25. ガリチア近郊ビアラ
[没]?
オーストリア=ハンガリー帝国の来日教師。ウィーン音楽院を優等で卒業。 1888年 11月,東京音楽学校教師として日本に招聘され,夫人ペリーネとともに着任。小学校唱歌の和声法から,管弦楽の演奏にいたるまで,多彩な芸術活動の教授,指導にあたり,幸田延など優秀な門下生を育成し,94年7月,満期解任,帰国した。同じく同校教師をつとめた夫人は日本で死去。

ディートリヒ
Dietrich, Christian Wilhelm Ernst

[生]1712
[没]1774
ドイツの画家,銅版画家。レンブラントや S.ローザ,ワトーなどに近い画風の歴史画,風景画,風景銅版画を多数制作した。

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世界大百科事典(旧版)内のディートリヒの言及

【スタンバーグ】より

…アメリカの映画監督。アメリカのギャング映画の歴史を開いた《暗黒街》(1927)の監督であるとともにマルレーネ・ディートリヒを世界的なスターに仕上げたドイツ映画《嘆きの天使》(1930)の名監督として知られる。ウィーンの中流ユダヤ人家庭に生まれたが,貴族を思わせる〈フォン〉は,のちにアメリカの映画製作者の商魂によって付け加えられたもの。…

【嘆きの天使】より

…女流監督レオンティーネ・ザガン(1889‐1974)の《制服の処女》(1931)などと並んでドイツのトーキーの本格的到来を告げるとともに,またワイマール時代のドイツ映画の末期を飾った作品である。スタンバーグに発見されたマルレーネ・ディートリヒが一躍スターとなったことでも知られる。帝制ドイツの教育制度と教育者のまやかしの権威と偽善性を告発したハインリヒ・マンの小説《ウンラート教授――ある暴君の末路》(1905)の映画化で,ふとしたことからキャバレー〈青い天使〉(《嘆きの天使》の原題)の歌手(ディートリヒ)の色香に迷う道学者ぶった謹厳な高校教師(エミール・ヤニングス)の堕落とその末路を描く。…

【モロッコ】より

…ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督作品。ドイツ映画《嘆きの天使》(1930)でスタンバーグ監督により発見され一躍スターになったマルレーネ・ディートリヒが,ハリウッドに〈輸入〉されて出演した初めてのアメリカ映画であり,〈ピグマリオンとガラテア〉にたとえられたスタンバーグ=ディートリヒコンビによる一連のハリウッド作品(1935年の《西班牙狂想曲》まで6本ある)の出発点となった。ドイツで上演されていた舞台劇《アミー・ジョリー――マラケシュからきた女》(1927)を原作とし,外人部隊の兵士とモロッコまで流れてきたキャバレーの歌手との絶望的なロマンスをエキゾティックにうたいあげたメロドラマだが,当時の〈シングル・トラック・システム〉という制限のなかで,必要な音声だけを巧みにとり入れた独創的な音響処理が高く評価された。…

※「ディートリヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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