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デミレル Demirel, Süleyman

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デミレル
Demirel, Süleyman

[生]1924.11.1. ウスパルタ
[没]2015.6.17. アンカラ
トルコの政治家,治水技術者。大統領(在任 1993~2000)。1948年イスタンブール工科大学卒業後,アメリカ合衆国に留学。1950年アンカラ電気研究所所長。1952~54年水力発電計画の責任者となり,その建設にあたった。1954~60年ダム局長,水利局長,1960~65年中東工科大学講師。1961年正義党から出馬して国会議員に当選,1964年同党党首となる。1965年トルコ史上最年少で首相に就任,1969年再選を果たしたが 1971年軍の圧力で退陣を余儀なくされた。1975年右派連合を背景に首相に返り咲き,1980年に軍事クーデターで政権が倒されるまでの間に 3度組閣した。1991~93年 7度目となる首相を務めた。1993年5月大統領に選出され,2000年まで務めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

デミレル
でみれる
Sleyman Demirel
(1924―2015)

トルコの政治家。トルコ南西部ウスパルタ県に生まれる。1949年イスタンブール工科大学卒業(土木工学を専攻)。国家水利庁長官(1955~1960)などを経て1962年公正党に入党、1964年党首に就任する。1965年2月ユルギュプリュSuat Hayri rgpl(1903―1981)内閣に副首相として初入閣する。同年10月の総選挙で国会議員に当選、公正党も第一党に躍進して1971年3月まで3次にわたって政権を担当する。1971年3月12日、経済危機と社会不安を懸念して軍部が発出した「3月12日書簡」でデミレル内閣は総辞職に追い込まれた。1975年以降、デミレル政権は3回誕生したが(1975年3月~1977年6月、1977年7月~1978年1月、1979年11月~1980年9月)、いずれも国家救済党や民族主義者行動党などとの連立であり、きわめて脆弱(ぜいじゃく)な政権であった。1980年9月の軍事クーデターの後、軍事政権が打ち出した主要政治家の10年間政治活動禁止措置により政界を引退した。しかし、1987年に行われた国民投票の結果、禁止措置が解除され政界への復帰を果たし、民主党、公正党の後継政党である正道党(1983年結成)の党首に就任した。1991年10月の総選挙で第一党に躍進した正道党は社会民主人民党と連立を組み第7次デミレル政権が成立した(1993年5月まで)。1993年4月心臓病で急逝した大統領トゥルグト・オザルTurgut zal(1927―1993)の後を受けて第9代大統領に選出される。2000年4月、現行憲法の規定(大統領の任期7年。再選不可)を改正する法案(任期5年。再選可能)が国会に上程されたが否決され、同年5月で任期満了となり政界を引退した。カリスマ性と巧みな話術で国民的人気が高い穏健な中道右派の政治家として、国内では自由主義路線、対外的には親西欧政策を推進した。[長場 紘]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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